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愛を取り戻せ ~ モーリス・ユトリロ展2005年10月08日 23時51分23秒

庭草に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり・・これは、万葉集(第10巻2160番)の詠み人知らずの歌です。村雨は、にわか雨のことで、この雨が降りこうろぎの鳴き声を聞くと秋になったのだな、という意味です。昨日の雨は、そんな感じがする雨で、今日の空模様もはっきりしない曇り空、どことなくユトリロの描くパリのような感じがして、雰囲気満点で日本橋の高島屋に向かいました。

ユトリロは、母親の愛に飢えた画家でした。孤独に耐えられず酒に溺れ、精神的にぼろぼろになりながら、母親を振り向かせるために絵を描いたといわれています。しかし、画家になったばかりの頃は、酒代欲しさに絵を売っていたといわれ、なかなか立ち直れなかったようです。パリの街角の同じ風景を何枚も描き続け、「白の時代」、「色彩の時代」といわれる作品を数多く残したそうです。この展覧会は、そんな彼の初期から晩年に至までの80点あまりを公開していました。

彼のこだわりのにパリの街角の漆喰の壁があります。特に「白の時代」の頃の作品では、絵の具に砂、卵、苔といったさまざまものを混ぜリアリティを追求しています。なぜそこまでこだわるのかは、正直判りませんが、アルコール依存の中で視覚だけは物足りなくて、触覚とか臭覚といったものも使い風景を捕らえようとしていたのかもしれません。それとも街角の漆喰だけが、母親を感じることのできる唯一のアイテムだったのでないでしょうか。

ラバン・アジル
モーリス・ユトリロ「ラバン・アジル」

画家として認められるようになると突然に画風が明るく変化します。「色彩の時代」というようです。曇り空から日の差し込む青空へ、いった何が彼自身に起こったのか、やはりこれも良く判りませんでした。この頃、友人が母親と結婚をするなど複雑な事情もあったのですが、これらが直接の原因とは、なんとなく思えませんでした。彼は、以前から神への信仰を持ち続けていたようですが、母親に反対され悩んでいたようです。東山魁夷が、「描くことは祈ること」といって絵画の作成こそが信仰を意味すると語っていたこと思い出しました。もしかすると、ユトリロもそれに似た心境から画風を変え神に祈りを捧げたのではないかもしれません。

ムーランの大聖堂
モーリス・ユトリロ「ムーランの大聖堂」

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