Asagi's Art News





永遠 ~ デ・キリコ展2005年10月10日 20時09分45秒

芸術とは、神秘的な蝶たちが舞う運命的なネットワークであり、そうした神秘的な時間に人は無知を免れ月並みの人間の凡庸さを免れることができる・・これが形而的絵画(メタフィジカ)であるというのですが、何のことだかさっぱり判りません。哲学的にいう時間や空間を抽象的に表現したものらしいのですが、なんともキリコは、難しい世界を作り上げてしまったのでしょう。小雨の中、先月に続いて東京駅にある大丸まで出かけました。

別にキリコは、最初から難しい世界を描いていたわけでなく、どちらかというと新古典やロマン主義に近いものから出発したようです。初期の作品には、神話に出てくる女神のような裸婦を描いていました。ところが哲学者ニーチェに強く影響を受けることで、独自の世界を作り上げたそうです。あさぎは、ニーチェについてもよく知らないのですが、永劫回帰(永遠回帰)説というのがあって、「世界は何か目標に向かって動くのではなく、現在と同じ世界を何度も繰り返す」ことらしいのです。これが、それ以前の世界や理性を探求するだけであった哲学を改革したといわれていて、「神は死んだ」という言葉が有名であるそうです。

とりあえず、難しいことは、そのままにして彼の作品を見ていたのですが、印象としては、空虚と寂しさを感じるものが多かったように思います。例えば、「夏の夢/アリアドネとイタリア広場」は、煙突、機関車、横たわるオブジェ・・と、どれとも関連性が無く、影の長さからすると夕方近くのように思えるのですが、緑色の空や広場の感じからは、何時頃かを特定することはできません。ただ、虚しく時間が繰り返されているような気がします。まさに空虚です。解説によると、キリコは、日本についてとても興味があったらしく、やはり思想的なところに惹かれたとすれば、日本の仏教にある「空」という思想に気づいていたのかもしれません。

夏の夢/アリアドネとイタリア広場
ジョルジョ・デ・キリコ「夏の夢/アリアドネとイタリア広場」

それから、あさぎが、中でも特に寂しいと思った作品は、「愛の涙/ヘクトルとアンドロマケの抱擁」でした。この作品も登場する人物は、なぜか台の上に乗り、まるでオブジェのようです。彼の描く人物をマネキンとも解説ではいっていましたが、なぜか感情が伝わってきました。戦士は、もう動くことができなくなり涙を流している様は、魂だけの帰還を感じさせ、ひどく疲れています。彼女は、彼を抱き締めて、震えている。安堵では無く、とても寂しいのです。まるでこの世界に2人だけ残されてしっまたようです。終わりの無い永遠とは、こういうことなのでしょうか?

愛の涙/ヘクトルとアンドロマケの抱擁
ジョルジョ・デ・キリコ「愛の涙/ヘクトルとアンドロマケの抱擁」

コメント

_ 紫崎式子 ― 2005年10月24日 13時38分30秒

はじめまして、私もこの展覧会に行ってきました。
「虚しく時間が繰り返されている」「世界に2人だけ残されてしっまたよう」という指摘に、非常に興味を持ちました。
やはり、キリコを観賞するときには、〔時間〕というキーワードが欠かせないのかもしれませんね。

こちらと、モロー展の方にもTBさせてください。

_ あさぎ ― 2005年10月25日 00時30分03秒

>紫崎式子さん
コメント&TBありがとうございました。

たしかに時間は、キーワードのようですね。哲学とか言われても難しいので、ただ彼の作品を見つめることにしました。すると、なんとなく虚しさや寂しさが伝わってきたので不思議でした。少しだけ彼の哲学が、判った気がして嬉しかったです。

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_ 紫崎式子日記β - 2005年10月24日 13時45分36秒


巨匠デ・キリコ展@大丸ミュージアム

やっと行ってこれましたよー。

キリコも、実はよく知らなかった画家
『沈黙のミューズ』と『不安を与えるミューズたち』は知ってるよ~? くらいな感じ。
知ろうとしなかったっていうかね。
母親の葬式でもかおひとつ変え...