Asagi's Art News





富士山が教えるもの ~ 北斎展2005年11月06日 19時39分44秒

印象派の画家達は、浮世絵をこよなく愛してくれました。そして、浮世絵は、彼らの作品に多くの影響を与えた日本の誇るべき文化であると言えます。その巨匠である葛飾北斎の一生を綴る展覧会が上野で開かれています。その展示数は、500点を越える今までにない大規模なものです。海外に流出した作品もここぞとばかりに凱旋しますので、とても楽しみにしていました。

北斎展

やはりというか、大盛況でゆっくり見ることは難しかったのですが、頑張って鑑賞しました。北斎の人生をたどるように、絵師として活動をはじめた春朗(しゅんろう)期、作品に幅が出てきた宗理(そうり)期、悩ましい美人画の葛飾北斎期、北斎漫画など絵手本を手がけた戴斗(たいと)期、冨嶽三十六景はじめとする代表作を生み出した為一(いいつ)期、晩年の肉筆画に移っていった画狂老人卍期の順に作品が展示されます。

歳を重ねるごとに変化して行くの作品も楽しいのですが、注目はどうしても冨嶽三十六景ということになります。オリジナルの美しい作品は、もはや海外にしかないという状況は、少し寂しい気もしますが、世界でも大切にされていることを思うとなんとなく嬉しくなるのが複雑な心境です。「山下白雨」「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」これがベスト3となりますが、あさぎは、やっぱり「神奈川沖浪裏」です。前期後期で入れ替えがあるそうですが、このときはニューヨーク・メトロポリタン美術館のものでした。

冨嶽三十六景
葛飾北斎「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」

北斎の構図の凄さが、この作品の中に凝縮されているようで感動的です。左側の大波から伝わる躍動感に目を奪われるとすぐに白い波しぶきの繊細に気づかせる巧みさがあり、右側に目を移すと大波に立ち向かう船とその乗組員が必死が見るものをハラハラさせます。そして中央に雪化粧の富士山が、控えめでありながらも存在感を主張して、まるで人に試練を与える神のような姿を見せてるところは、酸いも甘いも知った北斎の人生感なのでしょうか。日本人に生まれて良かったと思う至福な時間でした。

※東京国立博物館

コメント

_ はろるど ― 2005年11月12日 23時38分09秒

あさぎさま、初めまして。
拙ブログにコメントとTBをありがとうございました。

神奈川沖浪裏、私もメトロポリタン所蔵のものを拝見しました。
今は展示替えにてなくなってしまったようですが、
あの白さは忘れられません。

>中央に雪化粧の富士山が、控えめでありながらも存在感を主張して、まるで人に試練を与える神のような姿を見せてるところは

あの富士は小さいですが、ちゃんと主張していますよね。
同感です。

あさぎさまは、たくさんの展覧会をご覧になられておられるようで、
今後ともどうぞよろしくお願いします。
(TBを致しましたが、私の拙い文章が長々と載ってしまいました…。大変に恐縮です。もし重くなるようでしたら削除してもらって大丈夫です…。)

_ あさぎ ― 2005年11月13日 21時19分58秒

>はろるどさん
コメント&TBありがとうございます。

サーバに何やら問題があるようで、TBの表示が大きくなってしまうようです。気にしませんので、今後もよろしくお願いします。

_ Tak ― 2005年11月14日 00時05分57秒

こんばんは。
「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」の浪の色が
あんなに白く、あんなに細かく描写されていると
このMETの作品で初めて知りました。

TBさせていただきました。

_ えみ丸 ― 2005年11月14日 13時08分27秒

初めまして・・
私のblogへの訪問ありがとうございました
この展覧会は本当に見ごたえありますね
私は目玉の方は入れ替えはしないものと思い込んでいましたが、
どうやら違うようで、全部見て来なかったことを後悔しています
あさぎさんのblog読ませていただくとあれこれから連想していくところが同じと楽しくなりました
クールベ展、茨城県立美術館で観ていますが良い展覧会でした

_ あさぎ ― 2005年11月15日 00時44分09秒

>Takさん
コメント&TBありがとうございました。

「神奈川沖浪裏」は、画集でしか見たことが無かったのですが、あのように素晴らしいものだとは思いませんでした。
Takさんのブログで比較をされてますが、PC画面だけでもかなり違うのですね。なんだか、とても嬉しい気分です。

>えみ丸さん
コメント、あらためてTBありがとうございました。

すべてをご覧になれなくて、本当に残念ですね。でも、入れ替えがあった以外の作品も素晴らしいものがあったのでがっかりしないで下さいね。
私は、宗理期や北斎期にあった美人画などは、とってもよかったと思います。

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_ はろるど・わーど - 2005年11月12日 23時28分28秒

東京国立博物館(台東区上野公園)
「北斎展」
10/25〜12/4

もはやこれ以上望むことが許されないほど、質量共に極めて充実した、葛飾北斎(1760-1849)の大回顧展です。展示作品の数は、会期全体を通すと計500点。メトロポリタン美術館やアムステルダム国立美術館など、欧米からも多数集められた品々は見応え満点です。まさに「史上最強の北斎展」と呼んで良いでしょう。

会場は非常に混雑していて、作品の前に立つのもままならないほどでした。一点一点を、じっくり味わおうとするならば、最低半日はかかるのではないでしょうか。展示は、実にオーソドックスなスタイルで、北斎の画業を時系列に回顧し、作品を並べていきます。「習作の時代」とも題され、自身の画名を春朗と名乗った「春朗期」の作品から、精緻でありながら躍動感を持つ北斎の筆の力と、絶妙なバランス感覚を見せる優れた構図感を堪能することが出来ますが、さらに俵屋宗理と改名して創作を続けた「宗理期」に差し掛かると、徐々に独創的な画風を示し始めて、より見応えが増してきます。

「宗理期」の中では、後の「神奈川沖浪裏」を思わせるような大きな波が、荒々しい山のようにダイナミックにせり上がる、「おしをくりはとうつうせんのづ」(東京国立博物館蔵)や、洋風版画としても知られ、橋や家、それに背後の山々の稜線が幾何学的な模様に見えて面白い「金沢八景」(ボストン美術館蔵)、または、光琳風の梅の枝を模して描いたとされる、流れるような墨のタッチが美しい「深山鶯」(大英博物館蔵)などに惹かれましたが、特に、「夜鷹図」(細見美術館蔵)の味わい深さには恐れ入ります。墨を基調にしながら、背筋をピンと伸ばして立つ人物の凛とした趣きと、まるで一筆で描かれたような蝙蝠や柳、そして中央の月が、極めて流麗に描かれています。まさに完璧としか言いようのない、この優れた構図感。全く隙がありません。

三番目のセクションの「葛飾北斎期」では、まず、アニメーションの萌芽と言っても良いような、滑稽で、可愛らしい動きを見せる、戯画の「鳥羽絵集会」(ベルギー王立美術歴史館蔵)のシリーズに惹かれましたが、ここで一押しの作品は、「酔余美人図」(氏家浮世絵コレクション蔵)です。着物を少し開けるようにして、両肘をつけて斜めに寝そべる女性の姿。藍や青などの上に草花の文様が配された着物の色付きは実に見事で、女性の透き通るような美しい肌色と絶妙に調和しています。女性の前には、赤い盃が一つ、無造作に描かれていますが、それがなければ、恋煩いをする女性の姿にも見えてきて、イメージを大きく膨らませます。女性の赤い唇からは、今にも煩悶の溜め息すら洩れてきそうです。背景に何も描かれていない点もまた、女性の存在感を大きく増させます。

「戴斗期」では、「鵜飼図」(MOA美術館蔵)が非常に魅力的でした。この作品も特に構図感に優れています。大きく蛇行する川の流れと、揺れる舟の上でバランスをとるかのようにして立ち、鵜を伺うために腰を折った鵜匠の姿。そして彼が持つ、左から右へと煙の靡く赤い松明。その全てが画面の中で動きを見せながら交錯し、一瞬間に静止しています。まるで、「静」と「動」が同時に描かれたような作品です。また、筆遣いも精密さこそやや犠牲になっていますが、それでもこの瞬間の表現のために必要な流麗さは残していて、構図感と共に魅せるものを強く感じました。

「錦絵の時代」とされる「為一期」からは、何と言っても「富嶽三十六景」が挙げられると思います。「颱風快晴」では、東京国立博物館所蔵の品と、ギメ美術館のものが比較展示されていましたが、東博の作品がまるで油彩画のような味わいを見せているとすれば、ギメのそれは、水墨画のような淡くて美しい色遣いを楽しませてくれます。富士の裾野から頂上にかけて、美しいグラデーションを見せるギメの「颱風快晴」。頂上へ向かって赤らむ富士との接点は、淡い緑の野原の広がりでした。また、空は、微睡むかのような穏やかな表情を見せて、薄い青みにいくつもの雲を浮かべます。東博の作品に見られる底抜けの深い青にも驚かされますが、ギメの初刷りの自然な色合いの前にすると、いささか分が悪いようです。

メトロポリタン美術館からやって来た、あまりにも有名な「神奈川沖浪裏」は、日頃親しんでいた東博の作品がかすんでしまうほどに、鮮やかで美しく輝いていました。黒みを帯びた波の青色と、光るような白い飛沫と波頭。まるで恐竜が牙を剥いているかのように、舟へと襲いかかる逞しい波の描写。メトロポリタンの作品は、波間から汐の匂いすら沸き立ってくるほどに、海の青と白が美しく表現されています。また、東博の作品では少々分かりにくい、富士の上に浮かぶ大きな雲の白さもハッキリと出ていました。巨大な波頭に対峙するかのようにせり上がる、まるで積乱雲のような大きな雲。この対比もまた見事でした。

「為一期」では、錦絵以外にも、肉筆画に多くの素晴らしい作品が並んでいます。まずは、「長大判花鳥図」の「遊亀」(東京国立博物館蔵)です。亀が三匹、水中にて泳ぐ様子が描かれていますが、これはもはや水の中の光景ではなく、天へ駆ける亀の姿を捉えたような、美しく幻想的な作品に仕上がっています。また、亀も泳いでいると言うよりも乱舞しているとした方が適切で、その伸びやかな動きは目を見張らされます。また、画面の左上から右下へ、四本の線が流れるようにして配されていますが、その線もまた、亀の踊りにさらなる躍動感をもたらします。一番上の亀は、まもなく天頂へ達しそうです。どこか恍惚とした表情を浮かべているようにも見えました。

そして「軍鶏図」(MOA美術館蔵)です。斜めに構えた二羽の軍鶏の立ち姿と、己の力を示威するかのような鋭い目つき。これほどカッコ良い軍鶏がどこにいるのでしょうか。足の先から頭のてっぺん、そして一枚一枚の羽まで、極めて丁寧な筆にて、これでもかと言うほどに精密に描かれています。完成度という点において、これ以上の作品はなかなか見当たらないと思えるほどです。まるで強い光線を発しているかのような軍鶏の強烈な眼光。この視線には、ただただ釘付けになるしかありません。

最後は、北斎の晩年を概観する「画狂老人 卍期」のセクションです。1849年、北斎はその生涯を90歳にて閉じることになりますが、彼の筆の力は、最期を迎えるまで殆ど衰えることがなかったようです。まさに狂ったかのように全てを描き尽くします。この展覧会のハイライトです。非常に見所のある作品ばかりが、見る者の作品に対する受容を超えるほどに、ひたすらに並びます。圧巻です。

まずは「前北斎卍筆 肉筆画貼」(葛飾北斎美術館蔵)から「鮎と紅葉」です。三匹の鮎が、淡い水色のグラデーションを描くせせらぎの中で、気持ち良さそうに泳いでいます。鮎は、その表面の滑りすら表現したのではないかと思うほどに、柔らかく質感豊かに描かれています。中央に配された鮎の目つきは、先の軍鶏のように鋭く、そこにまるで意思と感情が宿っているかのような気配すら感じさせます。水に沈んでいるとも浮かんでいるとも見えるような紅葉も、デザインとしての美しさを見せていて、この作品の魅力をさらに高めます。清らかな水と淡い紅葉に、シャープな体をさらす鮎の美しさ。この味わい深さは深く心に残ります。

そしてここでさらに素晴らしい作品が、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の「西瓜図」です。縦長の画面に、細長く切られて垂らされた、向こう側が透き通って見えるほどに美しい西瓜の皮と、瑞々しい半身の西瓜、そしてその上におもむろに置かれた、仄かに青く光る包丁。構図として見ても非常に興味深い作品ですが、やはりそれぞれの美しい質感には特に魅せられます。そして質感と言えば、西瓜の上にかけられた半紙がまさに絶品です。西瓜の切り口を透かして見せながらも、それ自体もしっかりとした存在感を持っている。少し湿り気を帯びたような半紙は、やはり西瓜の瑞々しさによるものなのでしょうか。西瓜から香しく漂う、甘い匂いすら吸い取っているかのような気配です。

「西瓜図」の隣に展示されていた、「柳に烏図」(ボストン美術館蔵)も迫力満点でした。雲行きの怪しい灰色の空に、大風になびく柳の枝。烏が風にもあおられながら、右往左往するかのように飛び、羽を休める為の木へと向かいます。烏たちの慌てぶりは、表情豊かに描かれた烏たちの目や口のから読み取ることができそうです。上から下へと連なる烏の群れ。決して大きな作品ではありませんが、烏の動きが、広がりを感じさせる空間の中で、躍動的に描かれています。その場の気配、つまり嵐の雰囲気を良く伝えます。今にも大風がこちら側へと吹いてきて、烏が画面から飛び出して来そうです。

「画狂老人 卍期」の展示作品の中でも、一際異様な気配を見せていたのは、「七面大明神応現図」(妙光寺蔵)でした。もの凄い迫力の龍の出現と、それにおののく人々の上には、それらを超越したように経典を読む日蓮の姿が描かれています。そして、龍の周りで渦巻く黒雲からは、真っ黒な飛沫が画面全体に飛び出します。身を屈めて震える人々。神々しい龍の目付きは、また実に強烈でした。経典を読む日蓮は、どこか異界からやって来たような気配です。強風の中にいるはずなのに、龍と人々の間に浮かんで、何事もないかのように超然と経典に視線をおろします。一際光る日蓮の赤い法衣。そこだけ、結界に守られているかのように、ただ強く存在していました。

長々と拙い感想を書いてしまいましたが、何でも描けてしまう、まさに天才の画業を、最高の作品群で堪能出来る展覧会です。今後、展示替えがかなりあるようです。次にいつ、これほど凄まじい「北斎展」が開かれるか。それは全く分かりません。もう一度是非出向いてみたいと思います。

_ 冬の虹 - 2005年11月13日 09時13分57秒

  

国立博物館は、春の弥勒菩薩展以来だった 北斎展は必ず混むからと9時半に待ち合わせ、入場券を買うのに並ぶのも時間のロスと、前もって揃えた さすがに平日の朝はまだ混んでいないと喜んだ 

ところが、修学旅行生の一団と一緒になってしまった 私たちは博物館というだけでやって来たので、建物は間違え、ロッカーに荷物入れたりトイレを済ませている間だった 30分くらい他を周ろうかと言っていたら、子供たちは他の館に行ってホッとした この間にもう混み出している

私には浮世の知識がなく、北斎のことも赤富士の作者ということ位しか知らなかった そこで、これを観るには浮世絵を知っている友だちの峰さんに一緒に行って欲しいと思った 同行を頼んだことは正解で、おおいに楽しんだ
北斎展は作品数が多いとは聞いてはいたが、まさかアレほどとは思わなかった また、一枚一枚手に取って見るように観たくなる絵ばかりなので、なおのこと時間がかかった

北斎を見ていて思うのは、「絵を描くことを楽しんでいる」 そして、この人はあリとあらゆることに興味があったのだろう 絵もドンドン変わって行き、この時代に遠近法を取り入れたり、中国の風俗らしきもの出て来る


         


「岩井半四郎」の絵を観て、「コレは仁科明子のお父さんの系統かしら?」なんて見ていたら、浮世絵が「襖の下張り」に使われていたなんていうことが頷ける気がした ブロマイド感覚、今の折り込み広告感覚だったのではないだろうか・・

私は「多色刷り木版画」をやったことがあり、多少の知識があるのが嬉しかった 木版画は木の板に色を塗って刷る技法だから、その木目が出る 大きな面積の場合はことに良く分かるが、小さな部分でも木目は出る 木目はだんだん絵の具が詰まり潰れていく 1枚目と10枚目、20枚目に明らかな違いが出る 同じ赤でも青でも、後の作品は色がべったりしてしまう 木版画において、地模様のような木目は大切にされる リトグラフでは、1枚目も10枚目も刷った本人でさえも順番は分からなくなるので、1/30も25/30もあくまで刷った枚数が分かるというだけで、木版画とはおおいに違う 

また、線の細かさ「よくやったね〜」と言いたくなった 彫り師、刷り師、皆優れていたのだろう 良い彫刻刀作る人もいたのね、なんて他の事にも心が向いた 

当時の風俗も分かって楽しい 峰さんが、当時のことを教えてくれる コレは待合いだとか、どういう時に使うとか・・ 「道行」の絵を見て、江戸を離れて寛いでいるのが「女性の膝に乗せた男性の腕で分かる」など、私が気付かないことも教えてくれた 

赤穂浪士など、基礎知識があればもっと楽しいだろうなという作品は多かった 木曽路の地図、春に木曽路を歩いていたので楽しく見た デザイン専攻の私は、何気なくこの形で全部詰め込めることに驚く 

のんびり楽しんでいたら、4時間いてもまだ「為一期−錦絵の時代−」赤富士などの前だった 





休憩しながら、峰さんが「これからが良いんだよ」と言う 私は既に疲れきっていた あの時代の版画が一番観たかったもの 疲れているのは、身体だけではなくて心もだった 

それで、「大切に見たいからココから今度にまわしたい」と希望した 「さっと、ひと目見ておこうか」というのを、私は「一度でも見てしまうと初めて見る感激がなくなるから」と、見たいなら待っていることを告げた そのことに賛成してくれて、私たちはミュージアムグッズを眺めカタログを買って会場を後にした

次回は、今までのところは飛ばして一番にココに来よう きっとそれなら空いているだろう
 
 * 「北斎展&燕子花図展」も参考にどうぞ・・

_ 弐代目・青い日記帳 - 2005年11月14日 00時03分37秒

中村雄二郎氏の次の文章は大変興味深い。
春たけなわなに、団体のバス旅行に参加したある奥さんが旅行でいちばん印象深かったところは?と聞かれとっさに「紅葉がとてもきれいで…」と言いかけてビックリしたという話がある。要は、あらかじめ絵葉書で見慣れていた秋の紅葉の景色の方が、現実の春の青葉の景色よりも印象がつよかったわけである。

哲学の現在―生きること考えること
中村 雄二郎

 バスに乗って名勝地まで出かけたことは確かである。現地で春の青葉の景色を見たことも事実である。しかしそれは、スケジュールどおりにただ動いたにすぎず、自分で、自分の躯を使って、抵抗物をうけとめながら、動いたのではなかった。これでは、躯は全身的に働かされず、視覚はほとんど他の躯の働きと切りはなされて、現実や実在との立ち入った関係でいえば、本来の意味で出かけたことにも見たことにもならない。あえていえば、そこにあるのは経験ではなくて疑似経験であろう。

笑い話で済まされればいいが、これはどんな展覧会にでも置き換えて言えることかもしれない。街中に沢山貼ってある宣伝用のポスターや雑誌の紹介記事、そしてインターネットで「見慣れた」絵を観に行く。勿論それらに使われている作品は名作なのだろうから印象に残って当然かもしれないが、その分を差し引いたとして考えた場合果たして如何。「見慣れた」絵を観ることができ、安心してしまう心理は全くゼロであるはずがない。問題は調和、均衡。春に新緑を楽しんできたはずなのに「紅葉がきれいで…」ととっさに言いかけてしまうそれは明らかにバランスが崩れあまりにも偏ってしまっている。それは展覧会が注目されればされるほど(景勝地であればあるほど)ポスターの作品が印象的であればあるほど陥りやすい罠のようなものかもしれない。だから今回の「北斎展」が団体のバスツアーと同じとは言わないまでも、この文章で著者が述べている「擬似体験」という言葉と同じにならないか、罠に嵌ってしまわないか不安があった。始めて目にする絵ならその不安はそれほど感じないのだが、浮世絵は摺りが違えども実際に観たことのあるものがほとんどだから不安は拭い去れない。「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をポスターに使われた時点から焦燥感に似た思いに駆られたのはそのせいかもしれない。

普段書きなれない文体で書くと下手な文が余計目立ちますね…
こんな文章を書かせてしまうほど「北斎展」にやられてしまいました。

それでは、以下いつもの通りの「日記帳」です。

東京国立博物館で開催されている「北斎展」に行って来ました。



間違いありません。今年度ナンバー1の展覧会です。断トツです。
欠点の探しようがありません。お手上げです。質量共に圧倒されます。

昨日の博物館は到着した時点で既にいつもと違いました。

金曜の夜6時ごろ博物館に到着しました。
正面にある大イチョウの木が赤くライトアップされていました。
更に本館には三島由紀夫の顔や金閣寺、新聞記事などが次々と…
妖しげな雰囲気の音楽と共に映し出されていました。画像はこちら。
三島由紀夫 全戯曲上演プロジェクト 三島由紀夫作『サド侯爵夫人』が昨日から
本館で上演されていたのでした。知らずに行ったのでビックリしました。

「北斎展」とは全然関係ないのですが、何かを「予感」させるには十分。
予感は的中。(この前ダーツでハットトリック達成!した時以上に的中)

大まかに前期後期に分けると1回に展示されているのは約300作品。
総数約500作品ですから全て観るには少なくても2回は行かないと観られません。
チケットも当日2回券を割引価格で販売しているほどです。
「後期はどうしよう」と観るまでは思っていたのですが、
今は「後期は必ず行く!」と気持ち固まりました。

展覧会の構成はほぼ年代順に展示されています。
これが大成功の一因で北斎の作品の変遷が手で取るように分かります。
素人の私にも。

《展覧会の構成》
第1期 「春朗期」 20歳〜
第2期 「宗理期」 36歳頃〜
第3期 「葛飾北斎期」 46歳頃〜
第4期 「戴斗期」 51歳頃〜
第5期 「為一期」 61歳頃〜
第6期 「画狂老人卍期」 75歳頃〜

遠近法一つとって観ても、第2期くらいまでは西洋の遠近法をそのまま
作品の取り入れた感があってちょっと無理な構図なのですが、
次第に独自の遠近法を確立していき第3期「潮干狩図」などの極端なまでの
作品を見事に完成させています。それ以降は独壇場。

「板ぼかし」技法や金銀箔を刷り込んだり(しゃがんで観ないと分かりません)
トンド形式のような円形の作品を描いたり、川の流れを一筆描きしたりなどなど。

第6期などは全てに遊び心が見え隠れし、
自分の持っている技の全てを惜しみなく
画面に開放しているようでした。見飽きることありません。
とても一人の人物が描き出したとは信じられないほどです。

第6期の展示室に辿り着くのに少なくとも1時間以上は必ずかかります。
ここが一番の見所です。疲れてしまっていい作品に集中てきなかった…
なんてことがないようにお気をつけあれ。

感動した作品の感想をそれぞれ書いていたらきりがないので
一番「ほ〜」と思った作品をご紹介。
第3期に展示してあった「略画早指絵」です。


定規とコンパスを用いて描きたい対象物の骨子を割り出す方法が
伝授されている指南書です。

「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。」とセザンヌが
残した言葉はあまりにも有名ですがそれより100年前の日本でも
同じようなことを伝えようとした人物が居たことに驚きを禁じえませんでした。

この作品は前半と後半に違う作品が展示されますが会期中通して観る事可能です。

もう一つだけ。
チラシやポスターで使われている「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
これメトロポリタン美術館からの出展です。
METの作品がどうしてわざわざ…と思いました。
ところが、実際に目にすると!!

今までに観た事がない浪の白さ、美しさに唖然。
これが同じ版画なのかとしばし呆然。
洗濯用の洗剤のCMではないですが「白さが違います」

白さが美しいという事は版全体が美しいことにつながります。
よく観れば富士山の頂から雲までの背景のグラデーションや
ベロ藍の美しい青!たまりません。
浪しぶきの数さえ違って観えます。
どちらがメトロポリタン所蔵か一目瞭然ですよね。

メトロポリタン美術館所蔵
東京国立博物館所蔵

公式サイトにもこの作品について書かれていましたが、
世界各地の美術館が所蔵するこの作品の中から
一番摺りが良く、美しい一枚を選んだ結果METの一枚になったそうです。
(日本にないのが悔しいですね〜)

因みにこの作品今月13日までの展示です。
それ以降は下の東博の作品に展示替えされてしまいます。

ついでにこの展覧会の作品ナンバー1番の「かしく 岩井半四郎」という版画に描かれている女性の着物の裾に「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を予感させるような浪しぶきが描かれています。

これと同く「冨嶽三十六景 凱風快晴」(俗に「赤富士」)
もまた一番摺りの作品は日本には残っていないそうです。。。
ケルン東洋美術館とギメ美術館から出展されている「赤富士」は
これまた今までに観た事のない赤富士です。
今までの「赤富士」は嘘の作品だったようにすら思えてしまいます。

 

左の薄ぼけたように見える作品が正真正銘の本物?初刷りの作品です。
右の作品がよく見慣れた作品ですよね。これは版を重ねたものだそうです。

一番搾りがビールでも美味しいように、浮世絵も一番刷りが何といっても
一番色が美しく出るそうです。確かに左の作品は中間色が見事に出ています。
こういった作品は北斎立会いの下刷られたとのこと。
なるほど納得です。
「ほぼ日刊イトイ新聞」でギメ美術館所蔵の「赤富士」を自由に拡大して観ることが出来ます!必見。

浮世絵は版画だからどれも同じという概念が音を立てて平成館内で崩れました。
東博所蔵の右の作品も含めてこの「赤富士」は全ての期間通して展示されるそうです。
展示も並べてありますのでよく比較できました。

100年に一度の展覧会。
国内では巡回しません。

図録3000円は超お買い得です!

1999年アメリカのライフ誌が行ったアンケート「この1000年のもっとも重要な世界の100人」に選ばれた、ただ一人の日本人「hokusai」
(100人のリストは↓にあります)一生に一度の大展覧会です。是非。

追記:「北斎展」会場の状況について 混雑しているようです。。。
北斎展ご来館予定のお客様へ(各時間帯の会場状況について)

_ 合気道!大好き - 2005年11月16日 12時15分20秒


一村雨さんのブログの記事↓「北斎展 東京国立博物館」
http://plaza.rakuten.co.jp/ennohasikure/diary/20051102/
を読んで、興味を持ち、北斎展へいってきました。


9時半の開場に合わせていったのですが、平日というのに
館内はけっこう賑わっています。(わたくし、会社を休みました)





いよいよ葛飾北斎の作品にお目見えです。
まず、圧倒されたのはその作品の多さです。
今回は、500点が世界各国から集められ、そのうちの300点が
展示されています。(作品の入れ替えあり)


葛飾北斎は、6歳から絵を描き始め、20歳でデビューして、
90歳まで生きたというから、それだけですごい。
さらに、死ぬまで作品を生み出し続けました。
老年期の肉筆画には、パワーと気迫を感じます。
鳥や花や魚が、まるで生きて息をしているかのような、生々しさでした。


次にスゴイ!と思ったのは、北斎の視点・ものの見方です。
どの作品も、斬新な切り口と目線で描かれています。
よくこんな角度から・・・と思うような作品がいっぱいです。


版画の緻密さにも驚かされました。
どの作品も、細部まで、丁寧に丁寧に作りこまれていて、美しい。
西洋の作品にはない、細やかさではないでしょうか。


楽しみにしていたグレート・ウェーブ(富嶽三十六景 神奈川沖波裏)
もたっぷりと楽しめました。


北斎漫画も大好きです。
江戸時代の人々が、ユーモラスに、愛嬌たっぷりに描かれていて、
すごくかわいらしい。
北斎は、本当に絵を描くことが好きだったんだなぁと思います。





帰りには、上野精養軒のランチに舌鼓をうち、大満足です。
(スープ・エビフライとお肉・パンまたはライス・コーヒー付 2,100円)


葛飾北斎、万歳!!







_ KINGDOM OF KATHARINE - 2005年11月22日 22時38分56秒

何から書いていいのかわからない。。 見応えあったけど「とにかく疲れました」 この一言に尽きてしまうのである。

_ 気まぐれ映画日記 - 2005年11月26日 21時24分33秒

ついに昨今大評判の北斎展へと赴く。西洋かぶれなので、映画も邦画はなかなか観ないし、絵画も日本画は殆ど見たことがなかったのだけれど、百年に一度の、とか、決定版、とか言われるとどうしても行かなくては、という気になってしまう。
いざ出向いてみるとひたすら感動、....

_ 月灯りの舞 - 2006年02月03日 15時23分37秒

「北斎 漫画と春画」
 浦上満・永田生慈・林美一 他:著
? 新潮社(とんぼの本)/1989.11.20/1,680円


『冨嶽三十六景』だけでは、北斎を
わかったことにはならない。
フランスの印象派の画家たちを驚嘆
させた『北斎漫画』、 豪華手彩色の
珠玉の工芸品ともい