Asagi's Art News
美しい空間 ~ 前川國男建築展 ― 2006年02月04日 00時08分09秒
耐震強度問題で揺れる世相とは別の世界がありました。赤レンガの壁が残る小さな美術館で少し変わった展覧会が開かれていました。生誕100年を迎える前川國男、彼は建築家です。
この展覧会には、建築に使った設計図、スケッチ、木製の模型、そしてその建物の写真で構成さています。いままで出会った展覧会とは勝手が違い、雰囲気も独特の静けさを感じました。
前川國男は、東京帝国大学の工学部建築科を出て、経歴からみる限り芸術家とは言えません。しかし、彼はル・コルビュジエに学ぶためパリに渡り、帰国後にアントニン・レーモンドの建築事務所に入り仕事を重ねることで建築におけるモダニズムを見に付けたと言われています。
建築は芸術なのか、ちょっと考えてしまいます。建物は本来は、人が暮らす空間を提供します。そこにいる人たちが快適であれば、特にその芸術性にこだわる必要もないように思えます。
しかし、考えてみれば日本には心安らぐ建築がたくさん残っていました。古いお寺や街並みは、暮らしに溶け込み優雅さを漂わせていました。それは、多くの絵画のモデルにもなることから判ります。
ところで、近代建築と言うとどうなるのしょうか? 最近では街の景観を意識するような働きかけも出てきていますが、本当に心安らぐ空間を見つけることが出来るのでしょうか? この東京を見る限りでは、疑問を持ってしまいます。
ところが、その東京のある場所には、彼の残した違った空間がありました。例えば、上野公園にある東京文化会館もそのひとつだったのです。あさぎは、そんなことも知らずその作品の前を幾たびも行き来していたのでした。
そして、奇しくも彼の東京文化会館は、ル・コルビュジエの設計した西洋美術館と並んで建っています。これからも訪れるであろうこの空間がなにか新しい感じに見えてきそうな気がします。
※東京ステーションギャラリー
この展覧会には、建築に使った設計図、スケッチ、木製の模型、そしてその建物の写真で構成さています。いままで出会った展覧会とは勝手が違い、雰囲気も独特の静けさを感じました。
前川國男は、東京帝国大学の工学部建築科を出て、経歴からみる限り芸術家とは言えません。しかし、彼はル・コルビュジエに学ぶためパリに渡り、帰国後にアントニン・レーモンドの建築事務所に入り仕事を重ねることで建築におけるモダニズムを見に付けたと言われています。
建築は芸術なのか、ちょっと考えてしまいます。建物は本来は、人が暮らす空間を提供します。そこにいる人たちが快適であれば、特にその芸術性にこだわる必要もないように思えます。
しかし、考えてみれば日本には心安らぐ建築がたくさん残っていました。古いお寺や街並みは、暮らしに溶け込み優雅さを漂わせていました。それは、多くの絵画のモデルにもなることから判ります。
ところで、近代建築と言うとどうなるのしょうか? 最近では街の景観を意識するような働きかけも出てきていますが、本当に心安らぐ空間を見つけることが出来るのでしょうか? この東京を見る限りでは、疑問を持ってしまいます。
ところが、その東京のある場所には、彼の残した違った空間がありました。例えば、上野公園にある東京文化会館もそのひとつだったのです。あさぎは、そんなことも知らずその作品の前を幾たびも行き来していたのでした。
そして、奇しくも彼の東京文化会館は、ル・コルビュジエの設計した西洋美術館と並んで建っています。これからも訪れるであろうこの空間がなにか新しい感じに見えてきそうな気がします。
※東京ステーションギャラリー
静かに舞う ~ 須田国太郎展 ― 2006年02月05日 00時26分57秒
地下鉄竹橋駅から地上に出たときは、既に日も傾きかけていました。美術館に向かう道筋では、空気が冷たく西日の輝きが眩しい都会の午後を演出していました。
須田国太郎は、京都に生まれ関西美術院でデッサンなどを学んでからスペインに渡りプラド美術館のヴェネチア派の絵画を模写して独学で油彩の技術を習得したと解説にありました。
だからでしょうか、初期の作品には、暖色系を使い見るものに温かみを感じさせてくれます。また、セザンヌの影響を受けていて作品にその影響を伺うことが出来ます。
須田国太郎「アーヴィラ、1920」
展示は、1932年の初の個展、戦前、戦後の作品、珠玉の小品と題された小さな作品、そしてライフワークであった能・狂言を題材にした作品へと組み立てられていました。
作品からは、彼の人間としてのまじめさ素直さが伝わってきます。静かにモデルとなる風景や人物を見つめ正確に彼のフィルターを通し表現していくそんな感じがします。
大作よりも小さい作品に味わいがあって、彼を愛するコレクターがたくさんいると言うこともうなずけます。家の中のちょっとしたところに彼の作品があったとしてらきっと素敵なことだと思いました。
あさぎには後半にあった能・狂言のデッサンやスケッチが印象に残っています。単純な線を素早く的確に必要とされるところだけを写し取っていました。舞台劇の一瞬を捉える観察力は、彼自身が能・狂言に深く愛しいた証拠なんしょう。
須田国太郎「野営、1945」
※国立近代美術館
須田国太郎は、京都に生まれ関西美術院でデッサンなどを学んでからスペインに渡りプラド美術館のヴェネチア派の絵画を模写して独学で油彩の技術を習得したと解説にありました。
だからでしょうか、初期の作品には、暖色系を使い見るものに温かみを感じさせてくれます。また、セザンヌの影響を受けていて作品にその影響を伺うことが出来ます。
須田国太郎「アーヴィラ、1920」
展示は、1932年の初の個展、戦前、戦後の作品、珠玉の小品と題された小さな作品、そしてライフワークであった能・狂言を題材にした作品へと組み立てられていました。
作品からは、彼の人間としてのまじめさ素直さが伝わってきます。静かにモデルとなる風景や人物を見つめ正確に彼のフィルターを通し表現していくそんな感じがします。
大作よりも小さい作品に味わいがあって、彼を愛するコレクターがたくさんいると言うこともうなずけます。家の中のちょっとしたところに彼の作品があったとしてらきっと素敵なことだと思いました。
あさぎには後半にあった能・狂言のデッサンやスケッチが印象に残っています。単純な線を素早く的確に必要とされるところだけを写し取っていました。舞台劇の一瞬を捉える観察力は、彼自身が能・狂言に深く愛しいた証拠なんしょう。
須田国太郎「野営、1945」
※国立近代美術館
日本を発見する ~ ニューヨーク・バーク・コレクション ― 2006年02月10日 00時26分20秒
日本人であるがゆえに気がつかない日本の美と言うものがあるのではと考えさせられます。日本には3000年にもおよぶ美の歴史があります。そんなことを海を渡って行った作品たちが教えくれます。
ニューヨークで40年にも渡り日本の美術を追い続けたメアリー・バーク夫人。彼女の目にした日本とはなんだったのでしょう。そして日本とはどういう国なのか、そんな哲学的なことを考えさせられる展覧会でした。
展示は、縄文・弥生時代の美しい土器や埴輪からはじまり、歴史をひも解くように平安・鎌倉の仏像、室町の絵巻や山水、花鳥図を展示して行きます。次に桃山・江戸のきらびやかな屏風の数々を紹介します。
ひとつひとつは、どこかで出会ったことがあるような作品ですが、どこかが違って感じます。例えば国立博物館で出会う作品たちから受ける印象とは、微妙に違うのです。そんなことを考えながら作品に触れていくと、それらの作品は確かに日本で生まれたものですが、外国の作品を見ているような感じがしてきたのです。
伊藤若冲「月下白梅図、1755」
これはバーク夫人から見た視線なのだと思いました。作品に対するちょっとした視点の違いがあるのでしょう。日本人だから当たり前に感じることが、実は邪魔をして世界の中の日本を見ることが出来ないのではと思いました。
日本の作品が海外に出て行ってしまうことは、寂しい気がします。しかし、日本人が世界の中で生きていることを感じるためには、これも大事なことで日本美術を愛してくれているバーク夫人に感謝しなければいけないのでしょう。
国際化と行って海外に出てく人もたくさんいますが、日本人とは何なのかもう一度考え直すことが必要ではないかと思います。この展覧会がそのきっかけのひとつにならば良いと思いました。
※東京都美術館
ニューヨークで40年にも渡り日本の美術を追い続けたメアリー・バーク夫人。彼女の目にした日本とはなんだったのでしょう。そして日本とはどういう国なのか、そんな哲学的なことを考えさせられる展覧会でした。
展示は、縄文・弥生時代の美しい土器や埴輪からはじまり、歴史をひも解くように平安・鎌倉の仏像、室町の絵巻や山水、花鳥図を展示して行きます。次に桃山・江戸のきらびやかな屏風の数々を紹介します。
ひとつひとつは、どこかで出会ったことがあるような作品ですが、どこかが違って感じます。例えば国立博物館で出会う作品たちから受ける印象とは、微妙に違うのです。そんなことを考えながら作品に触れていくと、それらの作品は確かに日本で生まれたものですが、外国の作品を見ているような感じがしてきたのです。
伊藤若冲「月下白梅図、1755」
これはバーク夫人から見た視線なのだと思いました。作品に対するちょっとした視点の違いがあるのでしょう。日本人だから当たり前に感じることが、実は邪魔をして世界の中の日本を見ることが出来ないのではと思いました。
日本の作品が海外に出て行ってしまうことは、寂しい気がします。しかし、日本人が世界の中で生きていることを感じるためには、これも大事なことで日本美術を愛してくれているバーク夫人に感謝しなければいけないのでしょう。
国際化と行って海外に出てく人もたくさんいますが、日本人とは何なのかもう一度考え直すことが必要ではないかと思います。この展覧会がそのきっかけのひとつにならば良いと思いました。
※東京都美術館
ふらっと ~ フェデリコ・エレーロ展 ― 2006年02月12日 00時29分40秒
外苑前にあるワタリウムに行って見ました。気分的には、ただアートに触れていたい感じでだったので、展覧会の内容は特に気にせず訪れたことのない美術館へ飛び込んで行きました。
表参道から青山に至る街並みはオシャレな感じのするところで、ギャラリーもいくつかあります。この美術館も外観からオシャレな感じがしました。1階がギャラリーショップでたくさんのポストカードとステーショナリーがところせましとおいてありました。地下は、カフェとブックコーナーです。
展覧会場は、ビルの2階から4階で小さなエレベータで移動します。たまたま会期中だったのがフェデリコ・エレーロという若い作家の作品展でした。コスタリカ生まれでその作品は、コンクリートの壁に直接ペインティングをするものです。
フェデリコ・エレーロ「無題、2005」
コミカルな動物や人の顔を描いていました。彼は2001年にベニス・ビエンナーレで新人賞を受賞してから各国のビエンナーレなどに多く参加しているとのことです。2005年には愛知万博でも「ワールド・マップ」という作品を発表したそうです。
この展覧会では、2階から4階までの吹き抜けの壁一面に泉から動物達が湧き出れくるような作品を発表していました。感動はありませんが、楽しくなる作品です。彼の明るい性格が伝わってくるようで沈んでいる気持ちもだんだん元に戻ってきます。たまには、ふらっと立寄るこんな感じの鑑賞も良いかなと思いました。
※ワタリウム
表参道から青山に至る街並みはオシャレな感じのするところで、ギャラリーもいくつかあります。この美術館も外観からオシャレな感じがしました。1階がギャラリーショップでたくさんのポストカードとステーショナリーがところせましとおいてありました。地下は、カフェとブックコーナーです。
展覧会場は、ビルの2階から4階で小さなエレベータで移動します。たまたま会期中だったのがフェデリコ・エレーロという若い作家の作品展でした。コスタリカ生まれでその作品は、コンクリートの壁に直接ペインティングをするものです。
フェデリコ・エレーロ「無題、2005」
コミカルな動物や人の顔を描いていました。彼は2001年にベニス・ビエンナーレで新人賞を受賞してから各国のビエンナーレなどに多く参加しているとのことです。2005年には愛知万博でも「ワールド・マップ」という作品を発表したそうです。
この展覧会では、2階から4階までの吹き抜けの壁一面に泉から動物達が湧き出れくるような作品を発表していました。感動はありませんが、楽しくなる作品です。彼の明るい性格が伝わってくるようで沈んでいる気持ちもだんだん元に戻ってきます。たまには、ふらっと立寄るこんな感じの鑑賞も良いかなと思いました。
※ワタリウム
再会 ~ ポーラ美術館の印象派コレクション展 ― 2006年02月19日 14時22分32秒
昨年、わざわざ箱根まで出かけたことを思い出しました。ちょうど紫陽花の咲く頃だったと思います。静かな森の中にたたずむ美術館というのがポーラ美術館の印象です。その作品たちが渋谷にやって来ました。
友人は既に前期開催を見ていて、あさぎとはゴッホの「アザミの花」を見るために付き合ってくれました。会期終了まじかであるのか、週末であるのかは判りませんが少し混んでいました。会場に入ると昨年出合った作品たちが迎えてくれました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「あざみの花、1890」
雰囲気は違うのですが、再び出会えることの喜びが湧いてきました。ドガ、ルノワール、モネ、セザンヌと進んで、ゴーギャンとゴッホに至ります。なんだか彼らの作品たちが「お帰り」と言ってくれているようで嬉しかったです。
そして、なによりも久しぶりに友人と一緒に美術館に訪れることが楽しかったです。ひとりで鑑賞することも、もちろん大事なことです。でも、ふたりで鑑賞してその場でいろいろなお話が出来ることは、素直に嬉しく楽しいことです。
ある学芸員の話では、アートを鑑賞するにはなにも静かに黙って見ていなくても良く迷惑がかからない範囲でお喋りをして見ることを進めたいと言っていたことを思い出しました。素敵な人と一緒に素敵な絵画たちを心に刻み込んでいく、これも大切なことだと思います。
※Bunkamura
友人は既に前期開催を見ていて、あさぎとはゴッホの「アザミの花」を見るために付き合ってくれました。会期終了まじかであるのか、週末であるのかは判りませんが少し混んでいました。会場に入ると昨年出合った作品たちが迎えてくれました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「あざみの花、1890」
雰囲気は違うのですが、再び出会えることの喜びが湧いてきました。ドガ、ルノワール、モネ、セザンヌと進んで、ゴーギャンとゴッホに至ります。なんだか彼らの作品たちが「お帰り」と言ってくれているようで嬉しかったです。
そして、なによりも久しぶりに友人と一緒に美術館に訪れることが楽しかったです。ひとりで鑑賞することも、もちろん大事なことです。でも、ふたりで鑑賞してその場でいろいろなお話が出来ることは、素直に嬉しく楽しいことです。
ある学芸員の話では、アートを鑑賞するにはなにも静かに黙って見ていなくても良く迷惑がかからない範囲でお喋りをして見ることを進めたいと言っていたことを思い出しました。素敵な人と一緒に素敵な絵画たちを心に刻み込んでいく、これも大切なことだと思います。
※Bunkamura