Asagi's Art News





自然と人間 ~ 木を植えた男2006年05月02日 16時46分12秒

この『木を植えた男』が、誕生してから20年もの歳月が過ぎようとしています。あさぎが、アニメでなくアニメーションに興味を持ったはじめての作品です。フレデリック・バックの作品は、とてもメッセージ性が高く、自然と人間の関係をバブル時代の前から訴え続けています。

たぶん、この作品を見たことのない人は、最近の環境問題とかに結びつけて考えると思うのですが、なぜかあさぎとしては、この一連のエコブームとは一緒に考えて欲しくないような気がしています。

木を植えた男
フレデリック・バック「木を植える男、1987」

はじめてこの作品に出会ったとき、パステルの絵が動き出すことに感動して、その中にあるメッセージにショックを受けたことを思い出しました。遠い記憶のような気がします。まだ、若かったのかな・・

はじまりの暗い寂しい風景が、やがて木々たちの成長を見るように色づきカラフルになってきます。パルテルの持つ暖かさが画面からも伝わってきて、いま見ても木々の緑は、まるで生きているように思えます。

一人の男が行ったことを「人のなす業が神の行ないにも匹敵する・・」と作品の中でも言っいるように人間としての奇跡なのです。そして、その奇跡とは逆の行為として出てくるのが戦争です。本編にはさりげなく、第1次大戦と第2次大戦が出てきます。

木を植え森に返すことと破壊を繰り返す戦争は、相反することであるけれどどちらも人間が行うことです。この矛盾に対して疑問を投げかけ、人間が何をするべきなのかを訴えているように思えます。

あさぎが、エコブームに対して持っている疑問点は、たぶんこの矛盾があるからでしょう。環境問題を考えることは大切なことです。しかし、人間の都合の良い環境を守るように見えてしまうエコブームは、ちゃんと人間のもつ矛盾を考えて進めなければすぐに終ってしまうように感じています。

コメント

_ 緑の眼 ― 2006年05月02日 19時03分51秒

エコ、とはヒトが人間として生きるためのエゴ、なのでしょうね。環境保護、ではなく、環境保全、といったことばを科学者さえ、全面におしだして使っています。でも、どこか変です。生活のため、生きるため、がすべてにわたっての行為や主張の正当化に使われているように思います。誰のために、何のために、なのか、再考させられるところです。

_ あさぎ ― 2006年05月03日 00時47分28秒

>緑の眼さん
コメントありがとうございます。

人間のエゴ・・確かにそうですね。『木を植えた男』に出会う前に名前は忘れてしまったのですが、ノーベル賞をとった学者さんの21世紀に警告するようなテーマの講演会に行ったことがあります。そのときの彼がいちばん懸念していたことは、人口の爆発つまり地球に住むことの出来る定員についてでした。

この頃では、この話しはどこかに行ってしまったように誰も語りません。その逆に先進国と言われる国々では少子化を問題にしています。いったい世の中はどうなってしまっているのでしょうね・・。

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