Asagi's Art News
秘密の花園 ~ 現代植物画の巨匠展 ― 2006年06月12日 23時50分45秒
ボタニカルアートは、カルチャースクールの講座に必ずと言っていいほど開講されていて多くの人が楽しんで取り組んでいます。しかし、一般には、花を描くと言うことでボタニカルアートの持つ本質には、気がつく人は少ないのかも知れません。
科学と芸術の融合、これがボタニカルアートの本質です。科学という観点がないとボタニカルアートとは言えないとあさぎの先生はよく言っていまいした。コレクターであるシャーリー・シャーウッド博士も、そのことを強調しています。
18世紀に現れたP.J.ルドゥテは、植物画のラファエロといわれ、ある意味ボタニカルアートを極めてしまいます。歴史から明らかなように、ルドゥテ以降のボタニカルアートは、産業の発達とともにその輝きを失い衰退します。
絵画としては写実主義から印象派への転換期に遭遇することで芸術としては古いものとして扱われ、科学ということでは写真に取って変わられる事態になり、まさに危機的な状態になって行きます。
ところが、最近になってボタニカルアートの持つ本質に気がつく人たちが現れ再びその輝きを取り戻してきました。今回の展覧会は、新しい世代のボカニカルアーティストの作品を集めている彼女のコレクションから120点を見ることができます。
イギリス、アメリカ、オーストラリア、アジア、アフリカと地域ごとの植物をそれぞれの作家により描かれています。各地域の植物の研究機関が中心となって、例えばイギリスならはキュー王立植物園など、科学としてその活動が行われています。
新しい作家に出会うことができました。ボタニカルアートの復興に貢献したローリー・マキューワン、キュー王立植物園を代表するマリー・グリアソン、クリスタバル・キング・・日本人では、丸山きみよ、内城葉子など気がつけば女性の作家ばかりでした。
クリスタバル・キング「ギムノカリキウム・フレイスケリアヌム、1995」
※損保ジャパン東郷青児美術館
科学と芸術の融合、これがボタニカルアートの本質です。科学という観点がないとボタニカルアートとは言えないとあさぎの先生はよく言っていまいした。コレクターであるシャーリー・シャーウッド博士も、そのことを強調しています。
18世紀に現れたP.J.ルドゥテは、植物画のラファエロといわれ、ある意味ボタニカルアートを極めてしまいます。歴史から明らかなように、ルドゥテ以降のボタニカルアートは、産業の発達とともにその輝きを失い衰退します。
絵画としては写実主義から印象派への転換期に遭遇することで芸術としては古いものとして扱われ、科学ということでは写真に取って変わられる事態になり、まさに危機的な状態になって行きます。
ところが、最近になってボタニカルアートの持つ本質に気がつく人たちが現れ再びその輝きを取り戻してきました。今回の展覧会は、新しい世代のボカニカルアーティストの作品を集めている彼女のコレクションから120点を見ることができます。
イギリス、アメリカ、オーストラリア、アジア、アフリカと地域ごとの植物をそれぞれの作家により描かれています。各地域の植物の研究機関が中心となって、例えばイギリスならはキュー王立植物園など、科学としてその活動が行われています。
新しい作家に出会うことができました。ボタニカルアートの復興に貢献したローリー・マキューワン、キュー王立植物園を代表するマリー・グリアソン、クリスタバル・キング・・日本人では、丸山きみよ、内城葉子など気がつけば女性の作家ばかりでした。
クリスタバル・キング「ギムノカリキウム・フレイスケリアヌム、1995」
※損保ジャパン東郷青児美術館
古代への浪漫 ~ ポンペイの輝き ― 2006年06月13日 00時45分45秒
火山が噴火して都市が消える・・そのとき起こったことはとても悲劇的です。
しかし、そのとき時間が止まった歴史は、タイムカプセルとして蘇ることになりました。もうまもなく東京での展覧会も終わりになります。
すべりこみで見に行ったわけではないのですが、たくさんの人が訪れていました。翌朝の新聞には、来訪者が10万人を超えたとあり少しびっくりという感じです。
展示品は、出土した彫刻、宝石をあしらえた指輪、金の首飾り、腕輪、耳飾、家々を飾った壁画などさまざまです。とても2000年も前の品物とは思えないような輝きと色彩には驚きます。豊かで華やいだ都市の生活がそこにあったようです。
どちらかといううと絵画にしか興味がいかないのが、あさぎの悪いところなのか今回の展覧会は工芸品が中心だったので、一歩引いて見に来ている人たちを観察してみました。
絵画の展覧会とは違い一般の人たちが多いからでしょうか、やはり人々の関心は光り輝く装飾品に目がいくようです。時代が変わっても人の心を捕えるものは同じなんだなと思うと同時に技術高さや表現の豊かさが光っているのだと思いました。
あさぎは、やはり壁画に興味がいきました。気に入ったは、大きく色彩豊かなものではなく、酒場の壁に描かれていたという小さな壁画です。男女が抱き合いキスをする。とても素朴な絵ですが、とても癒される場面です。
「居酒屋の場面を表した壁画、1世紀頃」
時間や場所を超えたとしても人々が求めるものは同じです。愛する人を想うこと、愛し合うことはとても大切なことだと思います。都市は消え去っても愛は残るのでしょうか・・。
※Bunkamura
すべりこみで見に行ったわけではないのですが、たくさんの人が訪れていました。翌朝の新聞には、来訪者が10万人を超えたとあり少しびっくりという感じです。
展示品は、出土した彫刻、宝石をあしらえた指輪、金の首飾り、腕輪、耳飾、家々を飾った壁画などさまざまです。とても2000年も前の品物とは思えないような輝きと色彩には驚きます。豊かで華やいだ都市の生活がそこにあったようです。
どちらかといううと絵画にしか興味がいかないのが、あさぎの悪いところなのか今回の展覧会は工芸品が中心だったので、一歩引いて見に来ている人たちを観察してみました。
絵画の展覧会とは違い一般の人たちが多いからでしょうか、やはり人々の関心は光り輝く装飾品に目がいくようです。時代が変わっても人の心を捕えるものは同じなんだなと思うと同時に技術高さや表現の豊かさが光っているのだと思いました。
あさぎは、やはり壁画に興味がいきました。気に入ったは、大きく色彩豊かなものではなく、酒場の壁に描かれていたという小さな壁画です。男女が抱き合いキスをする。とても素朴な絵ですが、とても癒される場面です。
「居酒屋の場面を表した壁画、1世紀頃」
時間や場所を超えたとしても人々が求めるものは同じです。愛する人を想うこと、愛し合うことはとても大切なことだと思います。都市は消え去っても愛は残るのでしょうか・・。
※Bunkamura
古典絵画の影響 ~ プラド美術館展 ― 2006年06月19日 21時30分13秒
絵画にとって日本の梅雨は、とても厄介なものだと思います。しかし、この梅雨の中でも展覧会は、各地で開かれます。それだけ美術館の環境管理が出来ているのだと思います。
この展覧会は、3月末から開催されていたのですが、なかなか行くことができず、とうとう終りに近づいてしまい慌てて出かけることにしました。まだまだたくさんの人が押し寄せていて、梅雨空に日差しが顔を出すと蒸し暑くなり不快指数が上がるのが実感できます。
古典絵画ですので雰囲気は重いです。それに、東京都美術館の古い建物が体に負担がかかります。周りを見渡すとなんとなくご苦労様という感じなります。
今回のメインはティツィアーノの「ヴィーナスとオルガン奏者」だと思います。テレビ(美の巨人たち)でも取り上げられていましたし、実物を目の前にするとその存在感を感じることが出来ます。
作品は、ティツィアーノが考えた崇高な愛の姿なのだと言います。描かれているものに意味があり、例えは、エロスと音楽に聞き入るヴィーナスは、何も隠さぬ「聖なる愛」の象徴、オルガン奏者は、オルガンから手が離せない人間の官能と煩悩を象徴する「俗なる愛」なのだといいます。
あさぎは、ティツィアーノよりもルーベンスに会いたかったのでワクワクしないがら先に進みました。展示の中間地点にルーベンスの絵画が3点(「ニンフとサテュロス」「ヒッポメイアの略奪」「フォルトゥーナ(運命)」)がありました。
ルーベンスらしくその肉体美に圧倒されます。この作品が、後の画家たちに影響を与えているような感じがしました。例えば、「ヒッポメイアの略奪」は、青木繁の「海の幸」と重なりますし、「フォルトゥーナ(運命)」に描かれる女神は、ルノワールの描く女性のように豊かで官能的です。
どの作品も保存状態も素晴らしく久しぶりにいい作品に出会えて嬉しかったと思います。好評につき会期が延長になったこともうなづけます。
ペーテル・パウル・ルーベンス「フォルトゥーナ(運命)、1638」
※プラド美術館展
※美の巨人たち
この展覧会は、3月末から開催されていたのですが、なかなか行くことができず、とうとう終りに近づいてしまい慌てて出かけることにしました。まだまだたくさんの人が押し寄せていて、梅雨空に日差しが顔を出すと蒸し暑くなり不快指数が上がるのが実感できます。
古典絵画ですので雰囲気は重いです。それに、東京都美術館の古い建物が体に負担がかかります。周りを見渡すとなんとなくご苦労様という感じなります。
今回のメインはティツィアーノの「ヴィーナスとオルガン奏者」だと思います。テレビ(美の巨人たち)でも取り上げられていましたし、実物を目の前にするとその存在感を感じることが出来ます。
作品は、ティツィアーノが考えた崇高な愛の姿なのだと言います。描かれているものに意味があり、例えは、エロスと音楽に聞き入るヴィーナスは、何も隠さぬ「聖なる愛」の象徴、オルガン奏者は、オルガンから手が離せない人間の官能と煩悩を象徴する「俗なる愛」なのだといいます。
あさぎは、ティツィアーノよりもルーベンスに会いたかったのでワクワクしないがら先に進みました。展示の中間地点にルーベンスの絵画が3点(「ニンフとサテュロス」「ヒッポメイアの略奪」「フォルトゥーナ(運命)」)がありました。
ルーベンスらしくその肉体美に圧倒されます。この作品が、後の画家たちに影響を与えているような感じがしました。例えば、「ヒッポメイアの略奪」は、青木繁の「海の幸」と重なりますし、「フォルトゥーナ(運命)」に描かれる女神は、ルノワールの描く女性のように豊かで官能的です。
どの作品も保存状態も素晴らしく久しぶりにいい作品に出会えて嬉しかったと思います。好評につき会期が延長になったこともうなづけます。
ペーテル・パウル・ルーベンス「フォルトゥーナ(運命)、1638」
※プラド美術館展
※美の巨人たち