Asagi's Art News





命の炎 ~ 高島野十郎展2006年07月10日 23時44分22秒

絵を描くことは、人間の本能のひとつなのかもしれないと思います。だから、数多くの人間が絵を残していきます。少しばかり絵に興味を持っても、すべての画家を網羅することは出来ません。まだ知らない画家たちがたくさんいるのが事実です。

そんな画家たちを知るためにテレビというメディアは、実に便利なものです。 数は少ないものの新しい情報を常に与えてくれます。高島野十郎もそんな画家のひとりでした。専門家やもっと詳しい人たちは知っていても、あさぎはテレビ(美の巨人たち)で初めて知った画家でした。

テレビ画面からは、己を信じて写実の世界を追及した画家という印象を受けました。頑固でナルシスト・・そんな感じのする人物、そして蝋燭という題材に行きついた人生とは何なんでしょうか?

彼はもともとは画家を目指していたわけではなく、その学歴からは官僚になるべき人物だったはずです。ところが、彼は絵の世界に入り込み鋭い観察眼と緻密なテクニックを使い、また当時の新しい絵画の流れにも目もくれず写実の世界に没頭します。

画家と言うよりは、学者のような緻密で正確な描写です。今回の展覧会では、人物画は初期の自画像ぐらいであとは植物画と風景画が大半をしめていました。これらからは観察者としての本能のようなものを感じます。

絵の中に自分のもつ気持ちや理想を描き込むのが、画家が行うことのよう思えるのですが彼は違います。カメラのシャッターを押すようにそこにある事実を捕えるそんな感じがしました。

蝋燭
高島野十郎「蝋燭、1912」

そして、「蝋燭」を描いた作品も最初はそんな感じも受けるのですが、不思議なことにその絵からは別の感じも受けるような気がしました。もちろん、彼が残したその他の作品からすると「蝋燭」はとても異質と感じます。

静かに揺らめき、妖艶ささえ漂う「蝋燭」に彼のメッセージがはっきりとあるような気がしてきました。古くから「蝋燭」は人の命に例えられることがありますが、彼の作品はまさにそのような雰囲気を放っています。

命のはかなさと力強さの相反する側面を見事に捕えれいるように感じました。写実の行きついた先にたどり着いた答えが「蝋燭」という作品のように思えてきます。怪しく美しい命の炎なのでしょう。

※美の巨人たち
※三鷹市美術ギャラリー

今夜はお洒落に ~ インゴ・マウラー展2006年07月25日 00時43分13秒

夜は暗い闇とともに訪れるが、電気の明かりは本来人間の抱く恐れや不安から解放していきます。生活に溶け込んでいる蛍光灯は、あたりを昼間のように照らしてくれますが、大切な何かを忘れさせるような感じがします。

同じ電気の明かりでも電球がもたらす明かりは、なぜか落ち着きがあるのはとても不思議です。ほのかに黄色い優しい光を放ち、良く見るととても可愛い形をした電球・・。インゴ・マウラーは、そんな電球を用いた照明デザイナーと聞いていました。

オペラ・シティのL字形の空間にどのようなインスタレーションを組み立てるのかとても興味がありました。印象を簡単に言えば、前半は照明スタンドを中心に工房のような雰囲気、そして、中間にやや大きめの作品を配置し見るものに変化を与え、後半には、LED照明の作品も加えお洒落なレストランのような感じのするインスタレーションが続いていました。

異空間にいるようなデザインではなく生活の中に溶け込むような柔らか作品が多いような気がしました。「Birdie」は、電球に羽が生えていて小鳥をイメージしているようにとても可愛いです。

Birdie
インゴ・マウラー「Birdie、2002」

電球のほのかな明かりが小鳥の心臓のように思えてまるで生きているようです。金属とガラスに命があるかのように思える不思議な作品です。こんな照明のホテルやレストランがあったら楽しくていいと思います。きっと、お洒落な夜を演出してくれるでしょう。

展示全体を通して見るとその工夫のあとが見て取れるのですが、インスタレーションとしてのインパクトが足りないようにも思えたのは残念です。もしかすると、こう感じたのは梅雨という季節も影響してるのかもしれません。

空調が管理されているとはいえ、電球とその熱が多少蒸し暑つさを感じさせてるような気がしました。きっと、季節が冬で空気が冷たく澄んでいたとしたらもっと素敵に感じることが出来たかもしれません。

※東京オペラ・シティ