Asagi's Art News





平和へのメッセージ ~ 明日の神話2006年08月03日 00時51分48秒

その作品には、近づくことかができない・・これがファーストインプレッションでした。もちろん、セキュリティと作品保護の関係もあるので近くにはいけません。しかし、そういう感じがするのは、作品の持つ独特のオーラとその大きさが原因のような気がします。

梅雨の中休みで太陽が照りつけ、蒸し暑さが際立ちました。屋外に展示された強大な壁画は、突然目の前に現れ見るものを拒絶します。この壁画はテレビ局のプロジェクトにより、メキシコに眠っていたところを発見され再び人々の前に現れることができたのでした。

明日の神話

壁画の存在は、岡本太郎の没後にひそかに噂がたち、多くの人が関わることで作品は蘇り日本に帰ってきました。ピカソの「ゲルニカ」に影響され岡本自身、原爆の悲惨さを訴えるために「明日の神話」は生まれたそうです。

中央に位置する骸骨が印象的であり鮮烈です。左右に広がる光景も彼の情熱が伝わるような奇抜なものです。それぞれに意味するものがあることと思います。しかし、彼の作品では解説は必要なく、その存在をどう受け止めるかが問題のように思います。

もちろん、テレビ局が関わることでイベントとしての色彩が強くなっているのも事実です。それに、その大きさゆえに会場に十分な広さが確保出来ていないことは残念です。現在、作品の受け入れ先を探しているとのことですが、早く良い場所が見つかることを願います。

日本人にとって、夏は楽しい夏休みであると同時に半世紀以上前の戦争を思いださなければいけない季節です。戦争に関わる事柄がいまだに多く解決されていないことはとても悲しいことです。多くの人は、戦争のない平和な世界を望んでいるはずです。この壁画のメッセージをこの夏に多くの人に受け入れてもらいたい、そんな気がします。

※明日の神話(日本テレビ)

きれいな戦争 ~ 安彦良和原画展2006年08月10日 18時37分45秒

この夏に長野にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪れる計画をしていました。しかし、残念なことに事情があって実現はできませんでした。戦争については、国でも、個人でも、その受け取り方がバラバラなのが現状です。

芸術を愛し絵を描く人たちにとって、戦争とはなんだったのだろうか? それを感じることができるかもしれないと言うのが「無言館」に行きたかった理由です。本物の戦争が、そこにあるのだと思います。

なじみのあるテレビアニメにも、数多く戦争を背景にした作品があります。「ガンダム」と言えば、社会現象にもなるほどの人気シリーズです。シリーズに登場するモビルスーツと言われるロボット同士の対決が男の子に人気があります。しかし、その背景には、地球に残った人々と宇宙空間に移民した人々との戦争が描かれています。

安彦良和は、その人気シリーズの原画を描くアニメーターです。不透明水彩で描かれた優しい瞳のキャラクターと巨神を思わせるロボットが純粋さと雄大感を与えます。近未来の「ガンダム」よりもギリシャ神話や古事記を扱った作品の方がシックリとくるのが不思議です。

安彦良和原画展
安彦良和「アリオン、1986」

古代の戦争も、近代の戦争も、人と人が殺し合うことには、変わりありません。ただ、古代の戦争においては、戦士同士が戦う武士道のようなロマンを感じることも確かです。たぶん、彼の作品には、この武士道的な感覚が組み込まれているために、戦争の惨劇が弱められて伝わるようにも思えます。

現実の終り無き戦争をみると、やはり戦争は、惨劇で直視する人々には理不尽さと恐怖が付きまといます。「ガンダム」と言う作品が、けして戦争肯定をしているわけではないと聞いたことがあります。しかし、現実とのギャップは、無いとは言えないのも事実でしょう。人の歴史にきれいな戦争など一度も無かったと思います。

※八王子夢美術館

外国から ~ 若冲と江戸絵画展2006年08月19日 22時41分20秒

外国から見つめるまなざしは、新鮮な感覚で受け入れることができます。日本の中にいては、発見できないことをたくさん教えてくれます。ジョー・プライスもそんなひとりで、彼は江戸時代の天才「若冲」の美をあらためて教えてくれます。

展覧会の開催にあたりテレビや雑誌で取り上げられ、ちょっとした若冲ブームになっていました。たくさんの人で混むことが予想されていたので、あえて雨の日を選んで出かけました。雨ならば出足が遠のくはずと思っていたのですが、同じことを考える人もたくさんいて驚きました。もちろん、博物館の外に並ぶようなことはなく、すぐに会場に入れましたが・・。

若沖

いままで、まとめて「若沖」の作品を見たことはありませんが、ときどきふと出会うと繊細な写実に驚きをおぼえます。なんと言っても彼の描く動物(特に鶏)は、細部にまで正確に観察とその描写テクニックに素直に圧倒されます。

観察だけに数年をかけてから描くという噂は、本当かも知れません。その方法にあてはまらないものもありますが、見ることの出来ない動物にしても想像だけのものでは無いように感じます。これは、江戸時代という時代が自由な発想と表現を許された時代だったからでしょう。

後半の展示で「若冲」ではありませんが、興味をひく展示がありました。 それは、屏風の展示方法です。普通の展示会では、作品に当てる光はフラットに全体が見えるようにするものです。そうすることに違和感は、持っていませんでした。

ところが今回の展示では、その光をまるで部屋に差し込む自然光にように変化させる試みがされていました。朝日のように右から徐々に光を当てていき、お昼になると光が全体を包むように変化し明るくなります。やがて光が左に移動すると夕闇が迫り、そして暗くなっていきます。

本来、屏風は、光の変化を感じることのできる部屋に置かれていたのでないのでしょうか。朝日に照らされあらわれる風景が、時間毎に変化してさまざまな表情を作ります。夕闇の頃には、屏風の中の風景も一緒に闇に包まれる。

ここで、ひとつ気がついたことがあります。屏風の背景になってる金箔地です。金属の表面は、変化する光に敏感で、例え少ない光の変化でも増幅して表現されます。光を取り込む日本家屋にでも、それほど劇的な光の変化は望めません。そこで、金箔を使うことで光を増幅して、その変化を楽しんだのではないでしょうか。

昔の日本人のすごさに感心します。そして、このような感覚に気がついたのが、外国にいたプライスなのですから、日本人は何を感じてきたのかと思うぐらいです。近くにいることで気がつかないことが、たくさんあるように思えます。外国に作品が流出してしまうことは、残念ですがこんな発見が出来るなら許してもいいと思う気もします。

※プライスコレクション