Asagi's Art News





オフィーリア ~ ジョン・エヴァレット・ミレイ展2008年10月11日 23時30分28秒

展覧会も終盤になると会場が込んでくるのは判っているのですが、なかなか上手くスケジュールが合うときばかりでないのがはがゆいところです。もちろん、会いたい作品があるときには、大変ですが出かけて行きます。それだけ価値のある作品が、わざわざ遠いところにやって来てくれているのですから・・・

ジョン・エヴァレット・ミレイ展

渋谷の街は相変わらずの賑わいです。それを避けるには、渋谷駅-東急本店-東急ホテルを巡回する無料のシャトルバスに乗るのが良いのですが、時間帯やお天気によって込み具合が異なり、乗れないときもあるのが欠点です。今回は無事にシャトルバスに乗車できました。待ち時間を考えれば歩いて行くのと同じですが、気持ち的にちょっぴり良い気分になります。

まずは、出足好調でだったのですが、やはり美術館の中に入るとかなりの人がいました。美術館側の誘導にも問題があり、待たせることなく入場させるのもひとつの方法ですが、鑑賞に気を配ることと優先すれば入場制限をするのも必要です。

ミレイのように細かい描写で鑑賞者が、足をとめ細かく見ようとする作品が多い場合、自然に推薦順路に列が出来てしまい、自由に見て回ることに制限がかかるのはとても残念だと思います。絵画の見方は自由であり、その自由度を美術館側が確保するべきで、博覧会や遊園地ののように列を作っては好ましくないと思います。

見なくても良い作品もあり、何度も戻って見る作品があるのが、美術館であると思います。さらに言えば、常設展示などならば写真を撮れたり、模写ができるような環境があり、ただ見せるだけの見世物小屋になるようなことは、避けるべきだと思います。

さて、肝心のミレイですが、やはりオフィーリアとの再会が楽しみでした。以前、新宿の損保ジャパンの展覧会で会いましたが、いまほど画家に詳しくなかった頃だったので、花に囲まれて水辺に浮かぶオフィーリアの姿が印象に残っただけでした。

うろ覚えですがオフィーリアの話が漫画「ギャラリー・フェイク」にあります。たしか、アシスタントのサラが航空機事故に会ったのではと悩み悲しむ主人公の藤田が、オークションに出展したのがオフィーリアだったと思います。藤田はサラをオフィーリアに重ねまだ死んではいない、沈みかけているが意識はある、彼女は生きていると聴衆に訴えるシーンがありました。

その影響で本当にオフィーリアは生きているのか、ちょっと気になりました。本物と対峙してみると・・・なんとも言えないと言うのが答えです。虚ろな眼は絶望を意味して、漂う体はすべてを捨ててしまったようです。肉体的には生きていますが、精神的にはもうこちらの世界にはないように感じます。ミレイの類い稀なる描写力のすごさだと思います。

生きているにしても死んでいるにしても、この場面を忘れることができなくなります。ミレイは数多くの肖像画を残していますが、人間の見せる一瞬の心の情景を捕らえるのです。画力にもましてこの力が、彼の作品に引きつけられる理由なのだと思います。

最後にオフィーリアの他にもとっても良い作品があり、気に入ったので紹介します。彼の娘を描いたもので『初めての説教』と『二度目の説教 』です。見ただけで思わず和んでしまうこの作品は、とても人気があるようです。

初めての説教
ジョン・エヴァレット・ミレイ「初めての説教、1863」

二度目の説教
ジョン・エヴァレット・ミレイ「二度目のの説教、1863」

※Bunkamuraミュージアム

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