Asagi's Art News





天下取り ~ 長谷川等伯展2010年03月01日 00時10分50秒

京都で天下を目指した絵師の生涯はいったいどんなものだったのだろうか? そして、『松林図屏風』を描くに至った理由は? と疑問がたくさんあふれます。日本人でありながら、まだまだ良く判らない絵師のひとり長谷川等伯の回顧展は、昨年からとても楽しみでした。

長谷川等伯

長いこと東博には通っているのですが、なかなか『松林図屏風』に出会うことが出来ずにいました。毎年、海外からのさまざまな至宝が会いに来てくれるのに(あのフェルメールなどは、もう1/3もの作品に会いました)、国内にありながら・・・ようやくという思いです。

長谷川等伯は、石川で仏画を中心に肖像画を描いていたそうです。それも、30才になるまでの長い時間を・・・まるで修行僧のような感じです。しかし、京都へ出てくることによって変貌し、天下を目指すのです。狩野一門との激しい対決は、壮絶なものだったと思います。

やがて、天下人の豊臣秀吉からの命を受けて、きらびやかな作品を作成していきます。智積院の『楓図壁貼付』は、そのひとつで、圧倒される迫力と豪華さに驚きます。まさに絵画で天下を取ったと言えるでしょう。

長谷川等伯
長谷川等伯「楓図壁貼付、1593」

しかし、跡継ぎとなるはずの息子(久蔵)の死とともに画風に変化があらわれます。もともと、水墨画の作品も好んで描いていたようですが、きらびやかな画風は消え去り、再び静かな水墨画の世界へと歩んで行ったようです。

そして、『松林図屏風』が描かれたのです。揺らぎたたずむ松は、時の流れを、自分自身の人生を見つめているようにも思います。激しい競いから頂きにたどり着いた時、無くしてしまったものの大きさに気がついた。何のために絵を志したのでだろうと問いかけているようです。

晩年の等伯ですが天下取りへの執着は捨てきれなかったようで、徳川家康に会いに江戸に向かう途中で亡くなったと聞いています。まだまだやり残したことがあったのでしょうか・・・最後までパワフルに生き抜いたスーパースターだったことは間違いありません。

※東京国立博物館(2010年2月23日~2010年3月22日)