Asagi's Art News





スラブ民族の誇り ~ アルフォンス・ミュシャ展2010年06月22日 00時04分37秒

大女優サラ・ベルナールのポスターを手掛けることによって、名声を手に入れたアルフォンス・ミュシャ。美しい女性とアールヌーボー様式のデザインは、現在でも多くの人に人気があります。彼のデザインにより扱われる商品は、いっそう気品を持ち高級感のあるイメージを持つのです。

ミュシャ展

展覧会に訪れている人たちも、やはり美しいパッケージデザインを興味深く眺めているように思いました。ある人は女性の表情に感激し立ち止まり、また、ある人は色彩の鮮やかさ作品の大きさに圧倒されているようでした。

たしかにミュシャのデザインは、美しく気品を持っています。しかし、それらの作品は成功を手にするまでのステップであり、彼が本当に描きたいものは次第に変わっていったようです。故郷を離れて活躍すればするほどに自分が描くべきものが見えてきたのです。

ミュシャはチェコ共和国に生まれますが、当時(1900年初頭)はオーストリア・ハンガリー帝国により主権が握られていました。もともとチェコは、スラブ民族により築かれた土地ですが、何世紀にもわたり他民族の支配を受け続けていました。人々は民族のとして誇りかろうじて保っていたのです。

不幸にも時代が少しずつ戦争と動乱に向かい進みはじめました。彼はスラブ民族の誇り、そして不遇にある故郷への想いを形したいと思ったことでしょう。商業的なデザインから、自身のルーツであるスラブ民族の歴史や人々を見つめていくものになるのです。

例えば、『少女の像』からは、過去の境遇を乗り越えスラブ民族として独立を勝ち取る決意のような眼差しを感じることができます。曇りのない瞳で凛とする少女は、未来の希望を見つめているのだと思います。いままでのような優雅さは、ありませんが人としての力強さを感じることができます。

ミュシャ展
アルフォンス・ミュシャ「少女の像、1913」

晩年のミュシャは、このような作品を精力的に残していきます。同時に祖国も不幸に巻き込まれていくのです。オーストリア・ハンガリー帝国からの支配を逃れチェコスロバキア共和国を建国したもののナチスドイツにより解体、ミュシャ自身も逮捕されしまいます。

この逮捕が原因でミュシャは、78年の生涯に終止符を打ちます。その後、彼の祖国はさまざまな政変を繰り返していきます。ミュシャは祖国が受ける苦悩を見越していたのかもしれません。だからこそ、スラブ民族の誇りと未来を願った作品を残していったのだと思います。

※三鷹市美術ギャラリー(2010年5月22日~2010年7月4日)