Asagi's Art News





銀座で ~ アール・ヌーヴォーのポスター芸術展2010年09月02日 00時14分23秒

19世紀のパリはいったいどんな感じだったのでしょうか…華やかなポスターに彩られ、新しい時代のモードや情報にあふれていたのかもしれません。ロートレックやミュシャをはじめ、さまざまな作家が競い合う豊かな生活がそこにあったと思います。

アール・ヌーヴォーのポスター芸術展

銀座でこのような展覧会を開くのも、なかなか意味深いような気がします。ヨーロッパから遠く離れた東洋の街ですが、パリなどにも負けない華やかさがあります。同じように最新のモードが集まり常に賑わいをみせるのが銀座なのです。

さて、展覧会のポスターですが、ウィーン分離派の展覧会案内からはじまり、さまざまな生活雑貨、演劇、旅行の案内などいまとそれほど変わらない内容のものです。大量消費時代のはじまりは、経済を活性化させ、人、もの、金を都市に集中させるのです。

そして、印刷技術の発展も重要なポイントとなります。原画を忠実に再現して、しかも大量に複製することができたのです。個人的な感想ですが、保存状態の良いポスターは原画にも劣らないばかりか、独特の風合いを持つことで、むしろポスターになった方がより味わいが出るようにさえ思いました。

※松屋銀座(2010年8月25日~2010年9月6日)

美の不変性 ~ ハンス・コパー展-20世紀陶芸の革新2010年09月04日 00時37分23秒

陶芸(焼きもの)の作品に対しては少し苦手感があって、あまり見に行く機会がありません。整然と置かれた作品を見つめるだけでは、どうも上手く感じが読み取れないことが原因なのだと思います。確かに、陶芸は遠くから眺めても美しいと思いますが、本来は手に持って触って楽しむものだと思っています。

だから、大事に飾られガラスケースに収まった作品を見るのには多少違和感を感じるのです。しかし、ハンス・コパー(1920-1981)の作品は、見るだけでも何か伝わってくるような感じがしました。既に会期が迫ってきていて、駆け込みで出かけることが出来ました。

ハンス・コパー展

本当は早い時期から展覧会を気にしていたのですが、陶芸ということで引いていたのだと思います。たまたま日曜美術館でハンス・コパーの特集を見たことが、会いに行くきっかけになりました。あり得ないような形の器は、とてもインパクトがありました。そして、彼の人生もまた数奇であり魅力があるのです。

パナソニック電工汐留ミュージアムと企業名が変わったことで、名前も変わってしまった美術館には、やはり日曜美術館を見たと思われる人たちが集まっていました。いつも静かな美術館ですが、テレビの影響はすごいものだと思います。

日曜美術館を見ただけの知識ですが、ハンスはドイツに生まれ、ちょうど第二次大戦と歩調を合わせるかのように成長しました。そして、社会の旅立つ直前に父親の自殺、家族の離散、祖国からの逃避行とめまぐるしい人生の波にのまれます。イギリスに渡った後も敵国人として扱いを受け、収容所にも送られひどく心に傷を作ることになります。

これも必然だったのだと思いますが、戦争も終わり仕事を求めた彼は、陶芸家のルーシー・リー(1902-1995)と出会うのです。繊細で器用な彼はルーシーから陶芸を習いはじめるのですが、とても飲み込みが早く才能もありました。いつの間にかルーシーの良きパートナーに成長して、ルーシーのバックアップもあって独自の作品も手がけるようになりました。

展覧会は、彼が作品を発表しはじめた頃のものから、独立して20世紀陶芸の代表作を送り出す晩年までをゆっくりと展開させています。ルーシーのボタンやティーセットなどルーシーの世界を忠実に再現しています。また、ハンスが独自に作りはじめる同じ形を合わせる技術を使ったシンメトリーな作品は、時が経つと共に進化していきます。

陶芸が戦争で受けた傷を徐々に癒していったのだと思います。そして、作品の中にかつて失ってしまったものを刻みこんでいるように思います。シンメトリーの調和と人を思わせるようなスタイル、釉薬(ゆうやく)や焼き方の研究など精神と技術が融合して行くようです。

やがて、作品は古代のキクラデス彫刻を影響を受けはじめます。最新の陶芸は、少しずつ古代に近づいていく、とても不思議な感じがします。美の不変性を作品として表し証明しているのかもしれません。それは、人生とは何なのか? 人の出会いとは何なのか? と言う哲学的な問いかけを自分自身に課していて、まじめにコツコツとその答えを探っているかのようです。

※パナソニック電工汐留ミュージアム(2010年6月26日~2010年9月5日)

プリミティブの中にある ~ ヘンリー・ムア 生命のかたち2010年09月06日 23時11分31秒

ヘンリー・ムア(1898-1986)は、20世紀を代表するイギリスの前衛的な彫刻家です。人体をデフォルメした彫刻は、シュルレアリスムの絵画に出てきそう感じがします。以前にも作品は見たことはありましたが、どんな人物であるかまではよく知りませんでした…なので、彼の簡単な経歴から調べてみました。

ヘンリー・ムア

彼は小さい頃から粘土などで造形を作るのが好きだったようです。それで彫刻家を目指すようになったのですが、18歳のときに第一次大戦のため徴兵されてしまいます。戦争で負傷をしますが、大きな傷とはならず退役をむかえました。

ロンドンの王立芸術大学(Royal Collage of Art:RCA)で彫刻を学びますが、古典的な表現に疑問をもち自らプリミティブな表現を研究するようになったようです。10年近くRCAで過ごした後に結婚をして、ハムステッドに移り前衛的な芸術家のグループを作り作品を発表していくことになります。

数年後、第二次大戦がはじまり、今度は戦争画家として従軍することになりました。ハムステッドは空襲を受け崩壊、マッチ・ハダムという小さな村に移住して終戦をむかえます。この時期に待望の娘を授かり、母と子をテーマにした作品を作りはじめます。そして、1948年にヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際彫刻賞してから、その知名度が世界に広がっていきます。

さて、展覧会の内容ですが、戦後の彫刻6点の他にパステルや水彩、リトグラフなど40点で構成されています。小規模ながら代表的な彫刻『母と子(ルーベンス風)』や『横たわる人体』に加え、ストーンヘンジを描いたリトグラフとめずらしい作品も展示されています。

ヘンリー・ムア

彫刻は単純な形であるが故に、考え抜かれた安定の形、人への想いを 感じることができます。例えば、『母と子』であれば、母と子が向き合い互いに心を寄せ合う姿が自然であり、微笑ましく見ることができます。単純化された形がシンプルでダイレクトに表現したいものを伝えていると思います。

彼が生涯に渡ってテーマにしたことは、人体であったそうです。そして、それはプリミティブの中にあると考えていたようです。太古の昔に秘めた力強さや単純で素直なところに人体の本質があるのだと思います。そこから沸き上がるエネルギーがこそが、彼が作品にしたかったものだったのだと思います。

※ブリヂストン美術館(2010年7月31日~2010年10月17日)

自分とは何なのだろう ~ "これも自分と認めざるをえない"展2010年09月09日 22時17分45秒

ウィキペディアによると、佐藤雅彦(1954-)は、メディアクリエーターという肩書きを持っていて、電通時代にたくさんのCMを作成しているそうです。例えば、湖池屋の「ポリンキー」、「ドンタコス」、NECの「バザールでござーる」など、イメージキャラクターの個性とほのぼのとした雰囲気が人気を得ていたように思います。

これも自分と認めざるをえない展

理工系の出身の彼がデレクションをすることから、最先端の技術を作品の中に取り入れているようで、展覧会の仕掛けをよりもりあげています。これは、展覧会のキーワードである「属性」を体験して考えるためにとても有効に作用しているようでした。

個人を認識するためにいろいろと情報をシステムに与える必要があります。例えば、性別、年齢、身長、体重など。そして、これら情報はシステムの中で「属性」を与えられ、さまざまに変換され利用されます。しかし、情報は、いつの間にか個人から離れて行き、一人歩きをすると言うのが彼の主張です。

展覧会では、ある程度の個人情報を最初に開示します。しかし、彼が主張するように作品の中では、その情報が勝手に一人歩きをしていきます。個人から情報が与えられた瞬間に、その情報は個人から独立するような感じを体験として実感できます。

『指紋の池』という作品は、最初に作品に指の指紋を与えます。すると指紋が小魚のように池の中に放流されるさまを見ることができます。指紋は泳ぎだして、池の中の既に放流されたたくさんの指紋の中に混ざっていきます。

しばらくすると、どれが自分の指紋なのか判らなくなります。個人から「属性」が切り離される体験ができるのですが、なんとなく寂しい感じがします。試すことは出来ませんでしたが、再び指紋を認識させると、自分の指紋がたくさんの指紋の中から戻ってくるそうです。

この他にもいろいろと個性的な作品があるのですが、彼の術中にはまってしまうようです。さまざまな疑問がいろいろと湧いてくるようになっていて、最終的には社会の中で自分とは何なのだろうという具合に展開されるようです。これも自分と認めざるをえない…その通りだと思います。

※21_21 DESIGN SIGHT(2010年7月16日~2010年11月3日)

フリー・フォール ~ こんな人、あんな人 - 欧米版画に見る人物表現展2010年09月14日 23時56分01秒

人を描くことに注目をして企画した展覧会ということでした。また、サブタイトルにレンブラントからキキ・スミスまでとあるように幅広い年代から版画を集めていることから、時代による比較や移り変わりを見ることが出来るような展覧会になっています。なお、比較的に現代よりの作品が多い構成になっていました。

こんな人、あんな人

展示は、「さまざまな人物」「自分を描く」「変な人たち」「おもしろい”からだ”」の4部構成です。前半の「さまざまな人物」「自分を描く」には、肖像画と自画像の要素を盛り込んでいて、古い作品ほど職人的な細密さを見ることができます。後半の「変な人たち」「おもしろい”からだ”」は表現方法の広がりを見せるようしていて、かなり抽象的な作品も含まれています。

また、版画の技術的な移り変わりも同時に見て取れるところが、この展覧会の隠されたポイントでもあるように思います。銅版画からリトグラフへの変化、現代作家の表現に拘った技法の選択などは、なかなかおもしろいと思います。版画の役割などと同時に考えるとよりおもしろかったりして勉強になります。

キキ・スミス
キキ・スミス「フリー・フォール、1994」

個性的な作品の中でちょっと気になったのは、アメリカで活躍しているドイツ出身のキキ・スミス(1954-)の『フリー・フォール』です。彼女自身はフェミニストのようですが、女性問題にとどまらず人種差別やエイズなどの社会問題に対しても作品に反映しているようです。

この『フリー・フォール』は、構図的にクリムトの『ダナエ』に似ている感じを受けました。このときは、彼女の経歴などは知りませんでしたし、官能的なことをテーマにする作家であるとの印象でした。もちろん、名前から女性であることが判りました。そして、直感的に自画像であると思いました。どこまでも落ちていく自分自身と向き合う、とてもメッセージ性の強い作品なのでしょう。

小冊子のように小さく折りたたまれている作品のようで、左上のところにその表紙となるものがあります。この普段は、見せないでしまっているという行為が、コンセプチュアルアートに近いような感じを受けました。

この作品の本来の意味は判りませんが、感じたところがだいたいの正解ではないかと思っています。もちろん、彼女の別の作品も気になるところです。かなり過激なところもあるようですが、今後の注目すべき作家の1人にしたいと思います。

※町田市国際版画美術館(2010年7月16日~2010年11月3日)

至高の技術美 ~ 誇り高きデザイン 鍋島2010年09月17日 23時05分01秒

先日、ハンス・コパーの展覧会に行ったこともあり、苦手な陶芸ですがさらにチャレンジしてみようと思い「鍋島」なる日本の伝統的な陶芸に出かけることにしました。「鍋島」は、江戸時代に佐賀藩から将軍に献上するものとして、高い技術を持って作成された磁器のことでした。

鍋島

古くは中国の宋時代の景徳鎮からの流れを受け継ぐ磁器であり、伊万里焼(有田焼)とも近い関係にあるとのことです。「色鍋島」といわれる色絵が知られるところで、色絵には赤、黄、緑の3色のみを用いることが原則とのことです。青を基調とした「青磁」との組み合わせも多く、デザインには幾何学的な紋様、植物、野菜、器物、風景などさまざまでものがあるようです。

展覧会では、「鍋島」の代表となる尺皿(直径1尺の円形皿)が数多く展示されていました。もちろん、小さい皿などの展示もありましたが、尺皿は大きさが均一であるためか、画家のキャンバスのような感じであり、さまざまなデザインが巧みに描き込まれていました。本当にいまでも古さを感じさせないデザインには驚きを感じます。

そして。透き通るような色彩がさらに洗練されたデザインを引き立てていて、技術の高さと美に対する感覚の鋭さを感じることが出来ます。伝統であるが故に中国の磁器を超えたいとの想いがあったと思います。ただし、デザインや技術そのものを変えることはなかったと思いました。陶芸とは何かとの追求ではなく、あくまでも至高の技術美を目指していったのだと思います。

※サントリー美術館(2010年8月11日~2010年10月11日)

ミソロンギの廃墟に立つギリシア ~ 都立拝島高等学校2010年09月18日 22時58分57秒

朝日新聞の多摩版に「10mのドラクロワ出現」なる記事が掲載されていました。記事には、拝島高校にて巨大絵なるものを完成させたとありました。少し調べてみたのですが、この巨大絵は毎年(今年で12年目)作成されていて、地域でも高評価されているものでした。

拝島高校の文化祭にあわせて作成したものらしく、一般の公開は1日のみとのことでした。新聞の紙面からでは伝わらない何かがあるはずと感じたので、本物を見に拝島高校まで出かけていきました。高校の文化祭なので終了時間が早くギリギリだったのですが、何とか入れてもらうが出来ました。

都立拝島高等学校1

『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』は、やはり大きく高さは校舎に3階に届いていました。画集でしか見たことはなかったのですが、なるほどそうなるか…という感じの印象を受けました。沖縄の修学旅行で感じた想いを作品に込めたと聞いていたのですが、その気持ちはとても強く伝わってくるようです。

都立拝島高等学校2

ドラクロワの作品には、戦略上犠牲になったミソロンギという街に自由を掲げ立ち上がる市民の姿が描かれています。沖縄もまた同じような歴史を持っていますが、そこで感じた想いを『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』に託すとう選択は、実にするどい感性であると思います。

そして、たくさんの人たちが同じ想いで作品を作り上げるという意味も大切ではないかと思います。技術的にも高くノウハウもしっかり継承されているように感じました。このような作品は、本当に良いものだと思います。来年の作品にまた期待をしたいと思います。

本当は見たくない… ~ ウフィツィ美術館自画像コレクション2010年09月19日 22時13分56秒

歴史あるウフィッツィ美術館の自画像コレクションに、日本人の草間弥生(1929-)、横尾忠則(1936-)、杉本博司(1948-)の作品が加えられたと先日話題になりました。そして、ヴァザーリ回廊という数キロにもおよぶ長い建物には、歴代のさまざまな自画像コレクションがあるそうです。

ウフィツィ美術館

このコレクションの中に自分の作品をどうしても加えたかったシャガール(1887-1985)は、なんと作成に9年をかけて、わざわざ作品をウフィッツィ美術館に持参したという伝説が残っています。ルネッサンスの巨匠たちと同じ場所に自分の作品を並べることは、たいへん名誉なことであり憧れであったのだと思います。

さて、展覧会は、その自画像コレクションの中からルネッサンスやバロックから現代までの代表的な作品から構成されていました。例えば、ミケランジェロの再来と言われたベルニーニ(1598-1680)やレンブラント(1606-1669)、マリー・アントワネットの肖像画を描いたエリザベート=ヴィジェ・ル・ブラン(1755-1842)、そして、執念のシャガール…もちろん、草間、横尾、杉本の作品も見ることが出来ます。

本来の作品とは異なる自画像は、客観的に自分を見つめるものあり、実験的試みをするものあり、ナルシストに徹するものありとさまざまです。それは、時代が変わっても変わらない個性なのかもしれません。自分自身は、いちばん身近なモデルであり、本当は見たくないものなのかもしれません。

ウフィツィ美術館
エリザベート・シャプラン「緑の傘を手にした自画像、1908」

会場でも人気があり気になったのは、エリザベート・シャプラン(1890-1982)です。大きな傘を持ちちょっと訳ありそうな表情でこちらを見ています。詳しくは判りませんが、イタリア印象派(マッキアイオーリ)の画家と思われ、色彩豊かな背景の風景がとてもすてきです。

しかし、この自画像で印象的なのは、やはり大きく描かれた緑の傘です。女性が日差しを避けるために傘をさすことは自然なことと思いますが、この傘が何かを語っているようにも思います。

心理学的に傘は権力や権威の象徴とされ、傘の扱い方で性格を読み取れるとも言われています。彼女は穏やか情景の中に傘に包まれるようにしてたたずんでいます。またこの傘の色ですが、緑なのですが青ぽく少しくすんでいます。緑は、安定や調和を意味していますが、青は内面に向かうイメージあります。

分析はあまりしたくありませんが、このときの彼女の心境を少し考えてみます。経済的にも環境的にも恵まれて絵の作成をしていたのでしょう。しかし、興味は自分自信の内側に向かっていて、冷静に自己分析をしているようにも思われます。

彼女は、家族とともにフランスからイタリアに渡り、ウフィッツィ美術館で多くの古典を学んでいるようです。その後、ルノワール(1841-1919)やド二(1870-1943)にも影響を受けてたようです。日本では、あまり情報が少ない画家のようで残念ですが、機会があれば彼女の作品を見つけてみたいと思っています。

※損保ジャパン東郷青児美術館(2010年9月11日~2010年11月14日)

美しい自然 ~ 府中市美術館開館10周年記念展 バルビゾンからの贈りもの2010年09月24日 16時07分38秒

武蔵野とバルビゾンの共通点は、農家を中心とした里山で人が手を加えつつ育てた自然があるということでしょうか? それが、バルビゾンで描かれた素朴な風景に、日本人が惹かれてしまう要因なのだと思います。

バルビゾンからの贈りもの

明治維新となった日本は、あらゆるものに西洋化の流れがはじまります。絵画の世界もその流れにのみ込まれ、新しい絵画表現を求め試行錯誤を繰り返します。一部の人は実際にヨーロッパに派遣され、多くのものを日本に持って帰ってきました。

展覧会では、そうした文明開化と共に伝えられた絵画の中から、バルビゾン派の作品を中心に展示をしています。また、バルビゾン派に強く影響を受けた日本人画家たちが、武蔵野の風景に注目したことも興味深いところとなります。

テオドール・ルソー(1812-1867)やシャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878)の自然主義は、19世紀のヨーロッパにおいても最新の絵画表現であり、やがて印象派へと発展していきます。だから、この最新の絵画表現は、とても刺激的であり日本で早く試してみたいという意欲を生み出したのだと思います。

例えば、その一人が高橋由一(1828-1894)です。武家の出身で狩野派など日本画からスタートしますが、ヨーロッパの絵画に出会うことで油彩をはじめることになります。もちろん、彼もバルビゾン派の絵画を見ているはずで、その影響は府中市美術館の至宝でもある『墨水桜花輝耀の景』にも表れているようです。

高橋由一
高橋由一「墨水桜花輝耀の景、1878」

但し、この作品には、人物ではなく桜が描かれています。ある意味とても日本的な解釈と考えるのが妥当であると思います。バルビゾン派は、それまで絵画の対象としていなかった自然に注目することが重要だったのですが、日本ではそう言った考えをする必要がなかったように思います。

したがって、美しい自然をより美しく見せるにはどうしたら良いのか? あるいは西洋の絵画技術をどのように展開させるか? といったアプローチだったかもしれません。いずれにしても、バルビゾン派の発展系としては、すばらしい結果が得られていて、ここから日本の近代絵画がはじまって行くのです。

※府中市美術館(2010年9月17日~2010年11月23日)

街の顔 ~ あいちトリエンナーレ20102010年09月27日 22時53分01秒

新横浜から名古屋までは、新幹線で1時間半です。旅費のことを別にすれば、あさぎには千葉・佐倉の川村記念美術館に行くよりも近かったりします。秋のシルバーウィークには、ちょうど良いトリップと名古屋まで出かけて来ました。

主な会場は、栄地区、白川公園地区、長者町地区、納屋橋地区の4ヶ所になります。栄地区は愛知芸術センターをメイン会場にして展示され、いろいろな作品を数多く見ることができます。白川公園地区は名古屋市美術館をメイン会場にしていますが、美術館の展示スペースなので、愛知芸術センターに比べるとコンパクトな印象があります。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

長者町地区は街そのものが作品の展示会場になっているあいちトリエンナーレらしいところです。もともとは繊維問屋街として賑わった長者町には、古い建物がまだまだ残っていて、その建物に直接作品を展開しています。納屋橋地区は名古屋駅に近い堀川沿いにある旧ボーリング場の建物に作品を展示しています。こちらの会場もコンパクトですが、川が近くにあるので他の会場とは少し風情が違う感じがしました。

最近のトリエンナーレでは作品の撮影可となることが多いのですが、あいちトリエンナーレでは撮影可の作品と不可の作品がありました。作品には撮影可否の表示があったのですが、少し判りにくかったことが気になりなした。確かめてはいませんが、たぶん公共スペースに展示される作品は撮影可、それ以外は撮影可否としたような感じでしょうか。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

最初は、白川地区の名古屋市美術館からですが、美術館ということで作品の撮影は不可だったのですが、気になった作品がいくつかありました。1階の入口に向かうとお香のような香りが漂っていました。オー・イーファンの『Where a Man Meets Man』という作品で、緑のお香で作った砂絵で文字を描き、期間中少しずつ火をつけて燃やすことで姿をあらわしていく作品です。ゆっくりした時間が流れる空間はとても良いものです。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

次は納屋橋地区です。元は娯楽施設であった場所ですが、街の雰囲気として繁華街から外れた感じある場所です。少し残念だったのは作品の不調で2作品が調整中となっており、楽しみしていたヤン・フードンの作品を見ることができませんでした。しかし、直接目で見ることのできないおもしろい仕掛けの作品がありました。

梅田宏明の作品ですが題名はなく『無題』となっているのですが、目を閉じたところに強い光をあて残像のような光を鑑賞者に与える作品です。カラーとモノクロのパターンがあります。3分程度の時間なのですがベッドホンから聞こえる音に合わせ確かにカラーとモノクロの縞模様が見えるのが不思議です。目で見ることを否定する…ちょっと哲学的な側面を持った作品といえます。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

そして、栄地区の愛知芸術センターですが、とても大きな施設です。あいちトリエンナーレのメイン会場でもあり、訪れる人も数多く賑わっています。草間弥生の『真夜中に咲く花』が入口で出迎えてくれます。ど派手でインパクトある作品が、名古屋らしさとの相乗作用でトリエンナーレを盛り上げているようです。

注目の作品もいくつかあります。例えば、ツァイ・グオチャンの水中で泳ぐモデルを和紙にドローイングをして、そのドローイング部分に火薬を仕掛け火を付けて仕上げる作品や宮永愛子のナフタリンを使用して造形を造り、期間中にナフタリンが気化してなくなる様を見せる作品などは、開催前からとても興味深いものでした。…期待感と実際の作品から印象のギャップを楽しむこともインスタレーションの鑑賞の壺なんだと思います。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

最後は作品が街の中に溶け込んでいる、長者町会場になります。ひとつひとつは小さい空間なのですが、互いに連携することの中から街の歴史とも溶け合い何と言えない調和をかもし出している感じがします。

作家はもちろん、街に暮らす人たちやトリエンナーレのサポーターの意気込みが感じられます。鑑賞者も単に作品を見るのではなくトリエンナーレに参加して、一緒に作品造っていくというコンセプトが明確になっていたからだと思います。だから、それぞれの人の作品に対する想いを感じることが出来るのです。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

長者町の作品は、どちらかと言えば夕暮れからがお勧めしたいと思います。日が高いと周りの近代的なビルの姿がはっきりとして普通の街に見えてしまいます。しかし、少し闇がかかりはじめるとビルの姿が目立たなくなり、かつての街の顔が見えてくるのです。

この街の時間は失われたのではなく、見えなくなっているだけなのかもしれません。そのことに気がついた人たちが、アートを通して伝えようとしているように思いました。すてきな取り組みだと思います。また3年後、この街にやって来て新たな想いを感じたいと思います。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

※あいちトリエンナーレ(2010年8月21日~2010年10月31日)