Asagi's Art News





至高の技術美 ~ 誇り高きデザイン 鍋島2010年09月17日 23時05分01秒

先日、ハンス・コパーの展覧会に行ったこともあり、苦手な陶芸ですがさらにチャレンジしてみようと思い「鍋島」なる日本の伝統的な陶芸に出かけることにしました。「鍋島」は、江戸時代に佐賀藩から将軍に献上するものとして、高い技術を持って作成された磁器のことでした。

鍋島

古くは中国の宋時代の景徳鎮からの流れを受け継ぐ磁器であり、伊万里焼(有田焼)とも近い関係にあるとのことです。「色鍋島」といわれる色絵が知られるところで、色絵には赤、黄、緑の3色のみを用いることが原則とのことです。青を基調とした「青磁」との組み合わせも多く、デザインには幾何学的な紋様、植物、野菜、器物、風景などさまざまでものがあるようです。

展覧会では、「鍋島」の代表となる尺皿(直径1尺の円形皿)が数多く展示されていました。もちろん、小さい皿などの展示もありましたが、尺皿は大きさが均一であるためか、画家のキャンバスのような感じであり、さまざまなデザインが巧みに描き込まれていました。本当にいまでも古さを感じさせないデザインには驚きを感じます。

そして。透き通るような色彩がさらに洗練されたデザインを引き立てていて、技術の高さと美に対する感覚の鋭さを感じることが出来ます。伝統であるが故に中国の磁器を超えたいとの想いがあったと思います。ただし、デザインや技術そのものを変えることはなかったと思いました。陶芸とは何かとの追求ではなく、あくまでも至高の技術美を目指していったのだと思います。

※サントリー美術館(2010年8月11日~2010年10月11日)

ミソロンギの廃墟に立つギリシア ~ 都立拝島高等学校2010年09月18日 22時58分57秒

朝日新聞の多摩版に「10mのドラクロワ出現」なる記事が掲載されていました。記事には、拝島高校にて巨大絵なるものを完成させたとありました。少し調べてみたのですが、この巨大絵は毎年(今年で12年目)作成されていて、地域でも高評価されているものでした。

拝島高校の文化祭にあわせて作成したものらしく、一般の公開は1日のみとのことでした。新聞の紙面からでは伝わらない何かがあるはずと感じたので、本物を見に拝島高校まで出かけていきました。高校の文化祭なので終了時間が早くギリギリだったのですが、何とか入れてもらうが出来ました。

都立拝島高等学校1

『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』は、やはり大きく高さは校舎に3階に届いていました。画集でしか見たことはなかったのですが、なるほどそうなるか…という感じの印象を受けました。沖縄の修学旅行で感じた想いを作品に込めたと聞いていたのですが、その気持ちはとても強く伝わってくるようです。

都立拝島高等学校2

ドラクロワの作品には、戦略上犠牲になったミソロンギという街に自由を掲げ立ち上がる市民の姿が描かれています。沖縄もまた同じような歴史を持っていますが、そこで感じた想いを『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』に託すとう選択は、実にするどい感性であると思います。

そして、たくさんの人たちが同じ想いで作品を作り上げるという意味も大切ではないかと思います。技術的にも高くノウハウもしっかり継承されているように感じました。このような作品は、本当に良いものだと思います。来年の作品にまた期待をしたいと思います。

本当は見たくない… ~ ウフィツィ美術館自画像コレクション2010年09月19日 22時13分56秒

歴史あるウフィッツィ美術館の自画像コレクションに、日本人の草間弥生(1929-)、横尾忠則(1936-)、杉本博司(1948-)の作品が加えられたと先日話題になりました。そして、ヴァザーリ回廊という数キロにもおよぶ長い建物には、歴代のさまざまな自画像コレクションがあるそうです。

ウフィツィ美術館

このコレクションの中に自分の作品をどうしても加えたかったシャガール(1887-1985)は、なんと作成に9年をかけて、わざわざ作品をウフィッツィ美術館に持参したという伝説が残っています。ルネッサンスの巨匠たちと同じ場所に自分の作品を並べることは、たいへん名誉なことであり憧れであったのだと思います。

さて、展覧会は、その自画像コレクションの中からルネッサンスやバロックから現代までの代表的な作品から構成されていました。例えば、ミケランジェロの再来と言われたベルニーニ(1598-1680)やレンブラント(1606-1669)、マリー・アントワネットの肖像画を描いたエリザベート=ヴィジェ・ル・ブラン(1755-1842)、そして、執念のシャガール…もちろん、草間、横尾、杉本の作品も見ることが出来ます。

本来の作品とは異なる自画像は、客観的に自分を見つめるものあり、実験的試みをするものあり、ナルシストに徹するものありとさまざまです。それは、時代が変わっても変わらない個性なのかもしれません。自分自身は、いちばん身近なモデルであり、本当は見たくないものなのかもしれません。

ウフィツィ美術館
エリザベート・シャプラン「緑の傘を手にした自画像、1908」

会場でも人気があり気になったのは、エリザベート・シャプラン(1890-1982)です。大きな傘を持ちちょっと訳ありそうな表情でこちらを見ています。詳しくは判りませんが、イタリア印象派(マッキアイオーリ)の画家と思われ、色彩豊かな背景の風景がとてもすてきです。

しかし、この自画像で印象的なのは、やはり大きく描かれた緑の傘です。女性が日差しを避けるために傘をさすことは自然なことと思いますが、この傘が何かを語っているようにも思います。

心理学的に傘は権力や権威の象徴とされ、傘の扱い方で性格を読み取れるとも言われています。彼女は穏やか情景の中に傘に包まれるようにしてたたずんでいます。またこの傘の色ですが、緑なのですが青ぽく少しくすんでいます。緑は、安定や調和を意味していますが、青は内面に向かうイメージあります。

分析はあまりしたくありませんが、このときの彼女の心境を少し考えてみます。経済的にも環境的にも恵まれて絵の作成をしていたのでしょう。しかし、興味は自分自信の内側に向かっていて、冷静に自己分析をしているようにも思われます。

彼女は、家族とともにフランスからイタリアに渡り、ウフィッツィ美術館で多くの古典を学んでいるようです。その後、ルノワール(1841-1919)やド二(1870-1943)にも影響を受けてたようです。日本では、あまり情報が少ない画家のようで残念ですが、機会があれば彼女の作品を見つけてみたいと思っています。

※損保ジャパン東郷青児美術館(2010年9月11日~2010年11月14日)

美しい自然 ~ 府中市美術館開館10周年記念展 バルビゾンからの贈りもの2010年09月24日 16時07分38秒

武蔵野とバルビゾンの共通点は、農家を中心とした里山で人が手を加えつつ育てた自然があるということでしょうか? それが、バルビゾンで描かれた素朴な風景に、日本人が惹かれてしまう要因なのだと思います。

バルビゾンからの贈りもの

明治維新となった日本は、あらゆるものに西洋化の流れがはじまります。絵画の世界もその流れにのみ込まれ、新しい絵画表現を求め試行錯誤を繰り返します。一部の人は実際にヨーロッパに派遣され、多くのものを日本に持って帰ってきました。

展覧会では、そうした文明開化と共に伝えられた絵画の中から、バルビゾン派の作品を中心に展示をしています。また、バルビゾン派に強く影響を受けた日本人画家たちが、武蔵野の風景に注目したことも興味深いところとなります。

テオドール・ルソー(1812-1867)やシャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878)の自然主義は、19世紀のヨーロッパにおいても最新の絵画表現であり、やがて印象派へと発展していきます。だから、この最新の絵画表現は、とても刺激的であり日本で早く試してみたいという意欲を生み出したのだと思います。

例えば、その一人が高橋由一(1828-1894)です。武家の出身で狩野派など日本画からスタートしますが、ヨーロッパの絵画に出会うことで油彩をはじめることになります。もちろん、彼もバルビゾン派の絵画を見ているはずで、その影響は府中市美術館の至宝でもある『墨水桜花輝耀の景』にも表れているようです。

高橋由一
高橋由一「墨水桜花輝耀の景、1878」

但し、この作品には、人物ではなく桜が描かれています。ある意味とても日本的な解釈と考えるのが妥当であると思います。バルビゾン派は、それまで絵画の対象としていなかった自然に注目することが重要だったのですが、日本ではそう言った考えをする必要がなかったように思います。

したがって、美しい自然をより美しく見せるにはどうしたら良いのか? あるいは西洋の絵画技術をどのように展開させるか? といったアプローチだったかもしれません。いずれにしても、バルビゾン派の発展系としては、すばらしい結果が得られていて、ここから日本の近代絵画がはじまって行くのです。

※府中市美術館(2010年9月17日~2010年11月23日)

街の顔 ~ あいちトリエンナーレ20102010年09月27日 22時53分01秒

新横浜から名古屋までは、新幹線で1時間半です。旅費のことを別にすれば、あさぎには千葉・佐倉の川村記念美術館に行くよりも近かったりします。秋のシルバーウィークには、ちょうど良いトリップと名古屋まで出かけて来ました。

主な会場は、栄地区、白川公園地区、長者町地区、納屋橋地区の4ヶ所になります。栄地区は愛知芸術センターをメイン会場にして展示され、いろいろな作品を数多く見ることができます。白川公園地区は名古屋市美術館をメイン会場にしていますが、美術館の展示スペースなので、愛知芸術センターに比べるとコンパクトな印象があります。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

長者町地区は街そのものが作品の展示会場になっているあいちトリエンナーレらしいところです。もともとは繊維問屋街として賑わった長者町には、古い建物がまだまだ残っていて、その建物に直接作品を展開しています。納屋橋地区は名古屋駅に近い堀川沿いにある旧ボーリング場の建物に作品を展示しています。こちらの会場もコンパクトですが、川が近くにあるので他の会場とは少し風情が違う感じがしました。

最近のトリエンナーレでは作品の撮影可となることが多いのですが、あいちトリエンナーレでは撮影可の作品と不可の作品がありました。作品には撮影可否の表示があったのですが、少し判りにくかったことが気になりなした。確かめてはいませんが、たぶん公共スペースに展示される作品は撮影可、それ以外は撮影可否としたような感じでしょうか。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

最初は、白川地区の名古屋市美術館からですが、美術館ということで作品の撮影は不可だったのですが、気になった作品がいくつかありました。1階の入口に向かうとお香のような香りが漂っていました。オー・イーファンの『Where a Man Meets Man』という作品で、緑のお香で作った砂絵で文字を描き、期間中少しずつ火をつけて燃やすことで姿をあらわしていく作品です。ゆっくりした時間が流れる空間はとても良いものです。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

次は納屋橋地区です。元は娯楽施設であった場所ですが、街の雰囲気として繁華街から外れた感じある場所です。少し残念だったのは作品の不調で2作品が調整中となっており、楽しみしていたヤン・フードンの作品を見ることができませんでした。しかし、直接目で見ることのできないおもしろい仕掛けの作品がありました。

梅田宏明の作品ですが題名はなく『無題』となっているのですが、目を閉じたところに強い光をあて残像のような光を鑑賞者に与える作品です。カラーとモノクロのパターンがあります。3分程度の時間なのですがベッドホンから聞こえる音に合わせ確かにカラーとモノクロの縞模様が見えるのが不思議です。目で見ることを否定する…ちょっと哲学的な側面を持った作品といえます。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

そして、栄地区の愛知芸術センターですが、とても大きな施設です。あいちトリエンナーレのメイン会場でもあり、訪れる人も数多く賑わっています。草間弥生の『真夜中に咲く花』が入口で出迎えてくれます。ど派手でインパクトある作品が、名古屋らしさとの相乗作用でトリエンナーレを盛り上げているようです。

注目の作品もいくつかあります。例えば、ツァイ・グオチャンの水中で泳ぐモデルを和紙にドローイングをして、そのドローイング部分に火薬を仕掛け火を付けて仕上げる作品や宮永愛子のナフタリンを使用して造形を造り、期間中にナフタリンが気化してなくなる様を見せる作品などは、開催前からとても興味深いものでした。…期待感と実際の作品から印象のギャップを楽しむこともインスタレーションの鑑賞の壺なんだと思います。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

最後は作品が街の中に溶け込んでいる、長者町会場になります。ひとつひとつは小さい空間なのですが、互いに連携することの中から街の歴史とも溶け合い何と言えない調和をかもし出している感じがします。

作家はもちろん、街に暮らす人たちやトリエンナーレのサポーターの意気込みが感じられます。鑑賞者も単に作品を見るのではなくトリエンナーレに参加して、一緒に作品造っていくというコンセプトが明確になっていたからだと思います。だから、それぞれの人の作品に対する想いを感じることが出来るのです。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

長者町の作品は、どちらかと言えば夕暮れからがお勧めしたいと思います。日が高いと周りの近代的なビルの姿がはっきりとして普通の街に見えてしまいます。しかし、少し闇がかかりはじめるとビルの姿が目立たなくなり、かつての街の顔が見えてくるのです。

この街の時間は失われたのではなく、見えなくなっているだけなのかもしれません。そのことに気がついた人たちが、アートを通して伝えようとしているように思いました。すてきな取り組みだと思います。また3年後、この街にやって来て新たな想いを感じたいと思います。

あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ

※あいちトリエンナーレ(2010年8月21日~2010年10月31日)