Asagi's Art News





ピカソとシュルレアリスム ~ シュルレアリスム展-パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による-2011年03月01日 23時32分54秒

1924年に提唱されたアンドレ・ブルトン(1896-1966)による『シュルレアリスム宣言』からはじまる展覧会は、かなりマニアックな印象を受けます。解説などかなり詳しく説明をしていますが、理解には少しハードルが高いようにも思います。

しかし、集められた作品は、ポンピドゥセンター秘蔵のものばかりで、難しい理屈を抜きにしても十分に楽しめると思います。ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)、マルセル・デュシャン(1887-1968)、マックス・エルンスト(1891-1976)、ルネ・マグリット(1898-1967)、そして、サルバドール・ダリ(1904-1989)とまさにオールスターの競演となっています。

シュルレアリスム

シュルレアリスムの形成には、精神分析学者のジークムント・フロイト(1856-1939)が大きく影響を与えています。そして、シュルレアリストたちは、夢判断や無意識の研究などから脳の中で起こっている表現困難なものに対して、どのように表現するのかと試行錯誤を繰り返すのです。

しかし、そうした試みとは異なるアプローチをして、シュルレアリスムを吸収してしまった人物がいます。パブロ・ピカソ(1881-1973)です。ピカソは、あらゆる方向から見たものを一つの画面に収めるキュビズムを完成させていました。そこに、シュルレアリスムが登場することになります。

新しい風に敏感で貪欲な吸収力を持つピカソが、シュルレアリスムを取り込むことは自然の流れであると思います。そして、今回の展覧会では、ピカソとシュルレアリスムの融合した作品として『横たわる女』がやって来ました。この作品、やはり他の画家の作品とは少し違うようです。

シュルレアリスム
パブロ・ピカソ「横たわる女、1932」

キュビズムの持つ視点と色彩の豊かさが際だっていています。大胆に簡略化された女の姿は、幾何学的でもあり美しい形をしています。青色がベースに使われてることで、不安を内側から発しているような感じを受けます。画面の安定感を配色が否定しているようです。

この画面と配色のアンバランスが、シュルレアリスムの持つ無意識や夢、偶然性を表現しているのではないかと思います。ピカソだから出来るシュルレアリスムの理解と、ある種の反論や欠点の指摘の表れなのかもしれません。

※国立新美術館(2011年2月9日~2011年5月9日)

究極のキャンバス ~ 曽根裕展2011年03月06日 23時25分20秒

彫刻家は、本来の石を刻むことの他に絵画や建築など多くの才能を有しているイメージがあります。若くして高い評価を受けている曽根裕(1965-)も、そうした彫刻家のひとりのようです。絵画はもちろんのこと、映像やインスタレーションなども作成するマルチなアーティストなのです。

ところで、彫刻家が異なる表現方法に挑む理由は、すべての知識と情熱を石に刻み込むためと考えることができます。彼らにとって、石とは究極のキャンバスであり、完璧な芸術であるのだと思います。古代ギリシアの職人から継承されているDNAなのでしょう。

Gogh02.jpg

そのような意図があるかは判りませんが、展覧会のサブタイトルには 『Perfect Moment』とあり、作品の世界観が完璧な瞬間であることを示しています。しかし、『Perfect Moment』とは、いったいどのようなものなのでしょうか? ちょっと哲学的な要素を感じてしまいます。

曽根の彫刻は、美術の教科書に出て来るような人物や動物をモデルとするものでなく、建築や風景といったスケール感のあるものを選んでいます。表現は複雑になり、より細かい作業が求められます。たしかに、道具類が進化したと思いますが、精神的にもきつい作業だと思います。

石の囁きを受け取り、石の中から美を開放するのが彫刻家の仕事だと聞いたことがあります。彼の作品も同じような経緯をたどっていると考えると、ニューヨークの街を刻んだ『リトル・マンハッタン』も石の囁きから形になったのでしょうか…

『リトル・マンハッタン』は、長さ2m65cm、幅85cm、高さ55cm重さ1.4t と巨大です。地形を切り取ったような作品ですが、表面になる街の風景は繊細で丁寧に作られています。大理石の微妙な表情が街の姿を彩り、純白の世界に人の暮らしを再現しているようで驚きを感じます。そして、この驚きが彼の造った完璧な瞬間なのかもしれません。

※東京オペラシティアートギャラリー(2011年1月15日~2011年3月27日)