Asagi's Art News





緊張感 ~ 名和晃平 - シンセシス2011年09月01日 23時22分54秒

会期はかなり長かったように思いますが、なかなか訪れる機会がなくとうとう最終日になってしまいました。名和晃平(1975-)の展覧会は、テレビなどでも紹介されることで評判となったようで、現代美術館に到着したときには約30分待ちとの案内がありました。

会場に入るよりも当日分のチケットを買う方に列が出来ていて、現代美術館の誘導の悪さを露呈している感じです。最近、美術館に足を運ぶ人も増えてきていることから、公立の美術館でも対策は、ちゃんと考えておく必要があるように思います。いくら列を作るのが好きな日本人とは言え、それに甘える時代は過ぎたのではないかと思います。

名和晃平

この展覧会は、随所でおもしろいことをしています。作者とキュレーターの連携が上手く行っているかもしれません。例えば、通常、一般の人なら一度見た作品は、よほど気になる作品がない限り二度と見ることはないと思います。つまり、作品鑑賞は会場を一周することなります。

しかし、この展覧会では、少なくとも会場を二周することが前提になっています。はじめに、この展覧会の作品ガイドをなしに見てきて下さいと言われるのです。そして、二周目は、作品ガイドを見ながらもう一度鑑賞することを進めているのです。

本来、美術館での鑑賞ルールなどは存在しません。どこから見ようと、何回見ようと自由なのですが、あまり美術館を訪れない人などは、既存の一般ルールにあわせるような鑑賞をしがちなのだと思います。誰に言われることもなく、最初から列を作ってガイドを見ながら作品と向き合う人はかなり多いのではないでしょうか。

だからこそ、作品も一度だけ触れ合えば十分と考えるのも責めることは出来ないと思います。したがって、鑑賞者に対してあえて鑑賞ルールを作ったのではと思うのです。名和が自信の作品のために作ったルールとも思うのですが、アートとの触れ合い方はいろいろあると言うことも同時に掲示しているように思います。

名和の作品は、独特の世界観がありポスターなどにもなっている剥製をアクリル樹脂の玉で覆う作品などは、強烈なインパクトと生と死の狭間の美しさに惹かれる一種の背徳感を見る側に与えるように思います。色に関しても作品に光を当てるのではなく、空間全体を単一の光で照らして、何でもない白いオブジェと組み合わせることで非日常を演出するところが良いと思います。

スケジュールの確認なしに会場に行ったのですが、たまたま公開制作でやって来ていた名和のパフォーマンスを見ることが出来ました。現代美術館の吹き抜け部分の壁を使った非常に大きな作品なのですが、前日を含めて2日程度で完成させる絵描きにとっては、ちょっと過酷なパフォーマンスです。

白いキャンバスに墨で描いています。しかし、筆はなくエアースプレーだったようで、吹き付ける時間や量を調整しながら、移動式の脚立を動かし上下左右にとイメージを広げていきます。幾何学的な感じを残しながら、伝統の水墨の世界をも取り込むような、偶然性を伴う大胆な作品のように見ました。

閉館時間が迫ってくることで、完成させることを意識しているのか彼の緊張感が伝わってくるようでした。パフォーマンスとは言え、自信の想いを込めた作品であり真剣に打ち込む姿は、もう一つの作品であるような感じがしました。そこでしか見ることの出来ない作品であり、とても良い体験をしたように思います。

※東京都現代美術館(2011年6月11日~2011年8月28日)

日本人を描くこと ~ 没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と2011年09月03日 13時00分46秒

ブリヂストン美術館では何度が出会っている青木繁(1882-1911)の作品ですが、回顧展としてまとまって見ることが出来るのはとても嬉しいことです。若くして天才と言われていた画家の一生は短く激しいものでしたが、彼に憧れ同じ画家を目指す人たちの道しるべとしていまも輝いています。

青木が活躍した時代は、近代化された西洋への羨望と明治維新前から続く固定化された価値観の入り乱れるときであったと思います。したがって、ある考えは古いと言われ、道を外しているとか批判されるが、誰も本当の答えなど持っていなかったと思います。

青木繁

その中で個性を全面に押し出して、時には圧倒する表現で相手をねじ伏せる必要があったのかもしれません。本当に青木がそうであったかは、判りませんが同時代の作品とはちょっと違った光るものがあるのです。

西洋絵画の技法で日本人を描くことが、彼の一つのテーマであったように思います。当時、ヨーロッパに留学したものの作品を見る機会もたくさんあったと思います。しかし、彼の感性では、あくまでも遠い異国での出来事であり、その絵から感動を受けなかったのかもしれません。

人と違った題材を狙ったのではなく、やはり日本人や日本の神々でなければ、心の奥まで感動はあり得ないことを言いたかったのはないかと思います。例えば、『海の幸』なら荒々しい漁師たちの肉体は厳しい自然の中に生活する民族の誇りを表現して、絵の中に恋人の福田たねの顔を潜ますことで辛い漁からの開放感と安堵という精神面を強調しているように思います。日本人なら容易に理解できることと言いたいのでしょう。

青木繁
青木繁「わだつみのいろこの宮、1907」

そして、同じように日本の神々だからこそ感動があることを『わだつみのいろこの宮』で表したのかもしれません。但し、この絵の制作には、いままで自分の作品を否定しなければならなかったのです。精神的にもう一つ上の次元に押し上げなければ、到達できない世界に進んでしまったのだと思います。

その結果、彼の人生すべてをかける作品になった『わだつみのいろこの宮』。いまでも青木の情熱が伝わってくるすごい作品です。自信の命を削ってでもやり遂げてしまう情熱は、どこから来るのでしょうか。天才だからと言って片付けたくない事柄です。

※ブリヂストン美術館(2011年7月17日~2011年9月4日)

ギャップ ~ 理想の暮らしを求めて 濱田庄司スタイル展2011年09月04日 21時34分39秒

陶磁器の良し悪しの判断は、なかなか難しいものがあります。何度となく陶磁器の展覧会を訪れますが、いまだに迷うものです。絵画と同じように感性で捕らえようとしてみるのですが、何かが邪魔をしているのかもしれません。

日本には、たくさんの窯があり昔から名品と呼ばれるものが残っています。輸出品としても高く評価され、ヨーロッパをはじめとする海外で大切にされています。しかし、それらは美しい装飾をほどこした高価な作品が大半を占めるのです。

濱田庄司

ところが、濱田庄司(1894-1978)は、そのような華やかな陶磁器とは異なり、益子焼きと呼ばれる素朴でいてスタイリッシュな作品を広め活躍した人です。英国人陶芸家のバーナード・リーチ(1887-1979)や民芸運動の柳宗悦(1889-1961)などとの交流から影響を受けたとも言われています。

何だか田舎の古くさい人物のように思えたのですが、展覧会によるかなりモダンな感じでお洒落であったことが判りました。生活もいまで言うオーガニックという言葉がピッタリだと思います。もちろん、作品も良く見ると抽象画のような人の想像をくすぐるような斬新なものであったりと、想像とのギャップに気づく良い機会になりました。

まだまだ陶磁器の世界は奥が深そうであり、何だかおもしろそうな人たちがたくさんいるような感じがします。絵画と違い生活と直接的に関わりあっているものでもあり、工業製品は大量に氾濫しています。しかし、本当の作品から発せられるメッセージはあるはずです。そのメッセージに早く気がつくように、これからもたくさんの作品に出会いたいと思います。

※パナソニック電工 汐留ミュージアム(2011年7月16日~2011年9月25日)

想いとときめきを ~ フェルメールからのラブレター展2011年09月10日 20時30分47秒

再び京都にやって来ました。目的はもちろん3枚のフェルメール(1632-1675)の作品となります。東京にやって来る予定も既に決まっていますが、これらの作品は京都まで足を運ばせる力があるのです。今回の展覧会では、修復を終えたばかりの『手紙を読む青衣の女』がはじめて日本にやって来ます。もう、それだけで十分なのです。

日曜美術館をはじめテレビでは、フェルメールの特集を組みだんだん盛り上がって来ています。修復によりフェルメールが描いたとき色が蘇ったなど、はしゃぎ過ぎなところがありますが注目が集まることは良いことだと思います。

フェルメール

京都の会場は、京都駅からバスで北東に向かい公立と私立の美術館が集まる岡崎公園の中にある京都市美術館です。京都市美術館は、1933年にオープンした歴史ある美術館です。東京の東京都美術館に続く日本で2番目の公立美術館で、設計は旧資生堂パーラーや高島屋日本橋店などを手掛けた前田健二郎(1892-1975)によるものです。

この岡崎公園ですが、京都市美術館の他に京都国立近代美術館、細見美術館があり、京都市動物園も合わせて広大な文教地区を形成しています。また、すぐ近くに平安神宮があり、平安神宮の大鳥居がランドマークになっています。アクセスには、東京と異なり電車ではなく、柔軟に発達したバスを利用することになります。

実は美術館に到着したのは、閉館数十分前のギリギリの時間でした。なので、今回はフェルメールのみの鑑賞と決め、残りは年末巡回する東京展であらためて見直すことにしました。会場に入るとチケット売り場をはじめ、多く来場者に対応できるようにガイドや誘導チェーンなどが充実していました。幸い閉館前だったので列に並ぶことはありませんでしたが…

フェルメール

このようの準備は、観光都市してのノウ・ハウを持っている京都ならではの強みなのかもしれません。実際の誘導を見ていないのでその実力は判りませんが、かなり期待できるように思いました。このようなことも美術館に対しては、大きく評価されるべきことだと思います。

展示のほぼ9割はオランダ風俗画であり、通り過ぎるだけでもなかなかの作品があるように思いました。時間がなくてじっくり見ることが出来なかったのは残念でしたが、フェルメールに会うことが何よりも大事なので先を急ぎました。

目的の作品は、展覧会の最後にありました。しかし、彼らに会う前にキュレーターの想いが詰まった解説パネルや画像資料があることに気がつきました。それは、展覧会の題名にもなった手紙(ラブレター)が、フェルメールの時代にどのようなものであったかを説明するものでした。

17世紀オランダにおける最先端のサービスである郵便システム、これが機能することによって生まれる新しいコミュニケーションが生活を変えたのです。ラブレターであれば、愛しい人に想い届くように心を込めて手紙を書きます。そして、想いを受け取る人は、手紙の封を開きときめくのでしょう。

フェルメールが手紙を題材にして絵を残した理由のひとつは、想いとときめきを伝えたかったからなのかもしれません。さて、いよいよフェルメールとの対面です。閉館間近ですが多くの人が、彼の絵に見せられています。ひとり一人がフェルメールからのラブレターを受け取っているのです。

今回の展覧会には、『手紙を読む青衣の女』に加えて『手紙を書く女』と『手紙を書く女と召使い』の3作品が一同に鑑賞できます。『手紙を読む青衣の女』以外は、以前にあっていますがあらためて見直すと新しい発見があるもので、本当に楽しいものです。いずれも淡い光の中で、それぞれのドラマを展開しています。それを読み解くための時間とお金はけして無駄ではないのです。

フェルメール
ヨハネス・フェルメール「手紙を読む青衣の女、1663」

さて、はじめての『手紙を読む青衣の女』ですが、本当に美しく仕上がっています。汚れを落としすぎとの話もありますが、フェルメールブルーと呼ばれる青が白く輝く背景によって鮮やかに浮かび上がっているのは、何と言えず良い感じです。絵を観て感動できることが何よりも大切なことだと思っています。

フェルメールブルーの興奮から落ち着いてくると、そこにたたずむ女性のことが気になってきます。彼女は何を知って、何を想うのか…想像が巡りミステリーのように展開するのです。静かに流れる時間さえも見えてくるのが、とても不思議であり心地良いのです。時を越えフェルメールからのラブレターは、確かに届きました。東京での再会が楽しみです。

※京都市美術館(2011年6月25日~2011年10月16日)

ベネッセアートサイト直島(地中美術館)2011年09月14日 22時53分12秒

岡山に起点を移して瀬戸内のアートな旅をしてきました。もちろん、何と言っても憧れのベネッセアートサイト直島を訪れることが、旅の大きな目的でした。昨年は、瀬戸内芸術祭の開催があり、小さい島々がたいへん賑わったそうです。そして、3年毎の瀬戸内芸術祭のプレシーズンには、ART SETOUCHI として常設展示が中心の取り組みをしているそうです。

まずは地中美術館をはじめ作品が集中する直島へ渡ります。岡山の宇野港、もしくは香川の高松港からフェリーが出ていました。どちらからも約20~30分ぐらいで到着できるアクセスの良いところです。岡山を起点にしたため、宇野港から直島に渡ることにしました。天気も良く初めての瀬戸内はキラキラ輝いて、アートの島が招いてくれているようであした。

直島

しかし、プレシーズンであるにもかかわらず、予想よりもたくさんの人がフェリーに乗り込んでいました。フェリーの座席には余裕がありましたが、ちょっと驚く状況です。噂には聞いていしていましたが、アートでの村おこしは、本当に大成功だったのでした。

さて、直島には2つの港があるのですが、大型のフェリーが着岸できるのは、南側にある宮浦港です。そして、宮浦港には、あの草間弥生の「赤いカボチャ」が展示されていて、島にやって来るフェリーを出迎えてくれるのです。憧れの地にやって来た期待感は徐々に盛り上がっていきます。

直島

直島での移動は、車を持ち込まない場合はバスかレンタルサイクルとなります。あさぎは体力は自信がないので、無難にバスを選択しました。そのバスですが、通常運転の他にフェリーで到着する人数を確認して、すばやく臨時バスを用意するなど素早い対応がとても好感を持てるのです。

あさぎは、その臨時バスに乗り込みました。通常のコースをショートカットをして、いちばん人気の地中美術館に直行することが出来ます。考えていたプランは変更になりしたが、地中美術館、李禹煥美術館、ベネッセハウスミュージアムの逆周りの美術館巡りをして、最後に本村港の家プロジェクトまで制覇するプランに変更してスタートです。

バスはかなりの坂道を登って行き、10分程度で地中美術館のチケットセンターに到着しました。最初にチケットセンターに通されるのですが、そこでは美術館の説明や鑑賞の注意などがあり、美術館の品質を保つようにしているようです。

もちろん、特殊な美術館ですから当然ではあると思いますが、さりげなく一般の美術館でも通用するルールのレクチャーするのは良いことだと思いますし、なかなか気持ちの良いものだと思います。そして、作品への期待を高めていく効果など感動のための仕組み作りには感心します。

直島

チケットセンターから地中美術館までの歩道の脇に、モネの池が再現されていました。とても良く手入れがされていて、少しずつ非日常的な扉に近づいていく感じがしてくる美しい光景です。地中美術館は、地形を活かした傾斜の中に作られた建物で、それ自体が作品である美術館です。展示作品も少なくとても贅沢な美術館です。空間アートとしてのコンセプトを余すところなく見せるためなのでしょう。

主催者であるベネッセコーポレーションの福武總一郎(1945-)は、現代美術に対して深い理解人物です。その彼が、慎重かつ大胆にプランを造り込んでいます。クロード・モネ(1840-1926)、ウォルター・デ・マリア(1935-)、ジェームズ・タレル(1943-)の作品は、建築家である安藤忠雄(1941-)の建物と空間で包みこまれ、特別なアートの結界を形成しているのです。

直島

残念ながら、美術館内部でのカメラ撮影は出来ませんでしたが、特別な空間によって新たな輝きを見せてくれます。例えば、モネの作品のある空間には、床にタイルのように細かい大理石で覆い、白い壁に晩年に作成された抽象画に近い「睡蓮」を5点配置しています。

人工の照明は無く、間接的に取り入れている外光によって作品を見ることができます。外光は天候によって明るさが変化します。太陽の出ているときは、明るくモネの「睡蓮」は部屋の中に輝き光がリズムをとります。しかし、雲が太陽を隠すとすぐに辺りは暗くなり、静寂と音を奪ってしまうのです。

直島
クロード・モネ「睡蓮-草の茂み、1914」

光でモネの「睡蓮」が、こんなにも変化するとは思いませんでした。時間が許せば何時間でもいたい空間です。朝や夕方には、どんな表情を見せてくるか…とっても気になりました。すばらしいコラボレーションと言えます。これらの作品は、地中美術館に行かなければ、見ることも感じることができない貴重なものなのです。さあ、旅はまだはじまったばかり…次の美術館に向かいます。

※ベネッセアートサイト直島