Asagi's Art News





想いとときめきを ~ フェルメールからのラブレター展2011年09月10日 20時30分47秒

再び京都にやって来ました。目的はもちろん3枚のフェルメール(1632-1675)の作品となります。東京にやって来る予定も既に決まっていますが、これらの作品は京都まで足を運ばせる力があるのです。今回の展覧会では、修復を終えたばかりの『手紙を読む青衣の女』がはじめて日本にやって来ます。もう、それだけで十分なのです。

日曜美術館をはじめテレビでは、フェルメールの特集を組みだんだん盛り上がって来ています。修復によりフェルメールが描いたとき色が蘇ったなど、はしゃぎ過ぎなところがありますが注目が集まることは良いことだと思います。

フェルメール

京都の会場は、京都駅からバスで北東に向かい公立と私立の美術館が集まる岡崎公園の中にある京都市美術館です。京都市美術館は、1933年にオープンした歴史ある美術館です。東京の東京都美術館に続く日本で2番目の公立美術館で、設計は旧資生堂パーラーや高島屋日本橋店などを手掛けた前田健二郎(1892-1975)によるものです。

この岡崎公園ですが、京都市美術館の他に京都国立近代美術館、細見美術館があり、京都市動物園も合わせて広大な文教地区を形成しています。また、すぐ近くに平安神宮があり、平安神宮の大鳥居がランドマークになっています。アクセスには、東京と異なり電車ではなく、柔軟に発達したバスを利用することになります。

実は美術館に到着したのは、閉館数十分前のギリギリの時間でした。なので、今回はフェルメールのみの鑑賞と決め、残りは年末巡回する東京展であらためて見直すことにしました。会場に入るとチケット売り場をはじめ、多く来場者に対応できるようにガイドや誘導チェーンなどが充実していました。幸い閉館前だったので列に並ぶことはありませんでしたが…

フェルメール

このようの準備は、観光都市してのノウ・ハウを持っている京都ならではの強みなのかもしれません。実際の誘導を見ていないのでその実力は判りませんが、かなり期待できるように思いました。このようなことも美術館に対しては、大きく評価されるべきことだと思います。

展示のほぼ9割はオランダ風俗画であり、通り過ぎるだけでもなかなかの作品があるように思いました。時間がなくてじっくり見ることが出来なかったのは残念でしたが、フェルメールに会うことが何よりも大事なので先を急ぎました。

目的の作品は、展覧会の最後にありました。しかし、彼らに会う前にキュレーターの想いが詰まった解説パネルや画像資料があることに気がつきました。それは、展覧会の題名にもなった手紙(ラブレター)が、フェルメールの時代にどのようなものであったかを説明するものでした。

17世紀オランダにおける最先端のサービスである郵便システム、これが機能することによって生まれる新しいコミュニケーションが生活を変えたのです。ラブレターであれば、愛しい人に想い届くように心を込めて手紙を書きます。そして、想いを受け取る人は、手紙の封を開きときめくのでしょう。

フェルメールが手紙を題材にして絵を残した理由のひとつは、想いとときめきを伝えたかったからなのかもしれません。さて、いよいよフェルメールとの対面です。閉館間近ですが多くの人が、彼の絵に見せられています。ひとり一人がフェルメールからのラブレターを受け取っているのです。

今回の展覧会には、『手紙を読む青衣の女』に加えて『手紙を書く女』と『手紙を書く女と召使い』の3作品が一同に鑑賞できます。『手紙を読む青衣の女』以外は、以前にあっていますがあらためて見直すと新しい発見があるもので、本当に楽しいものです。いずれも淡い光の中で、それぞれのドラマを展開しています。それを読み解くための時間とお金はけして無駄ではないのです。

フェルメール
ヨハネス・フェルメール「手紙を読む青衣の女、1663」

さて、はじめての『手紙を読む青衣の女』ですが、本当に美しく仕上がっています。汚れを落としすぎとの話もありますが、フェルメールブルーと呼ばれる青が白く輝く背景によって鮮やかに浮かび上がっているのは、何と言えず良い感じです。絵を観て感動できることが何よりも大切なことだと思っています。

フェルメールブルーの興奮から落ち着いてくると、そこにたたずむ女性のことが気になってきます。彼女は何を知って、何を想うのか…想像が巡りミステリーのように展開するのです。静かに流れる時間さえも見えてくるのが、とても不思議であり心地良いのです。時を越えフェルメールからのラブレターは、確かに届きました。東京での再会が楽しみです。

※京都市美術館(2011年6月25日~2011年10月16日)