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自分自身が何なのかを問う ~ ぬぐ絵画2012年01月12日 22時39分08秒

人物描写の基本になるのが、ヌードデッサンです。人間の体のしくみを知るだけでなく、絵画の基礎となる技術や感性も学び取ることが素材と言えます。いまはヌードが芸術のひとつして認知されてきていますが、どの国おいても裸を描くことには苦労の歴史があるのです。

もちろん、いまでも宗教的に戒律の厳しい国などは、ヌードはおろか女性が肌を見せることさえ難しいのです。しかし、古くはギリシャ時代の神々の彫刻をはじめ人間の美しさは裸の肉体であり、人々は時代とともに工夫をしながらなんとか裸を描いてきたのです。

ぬぐ絵画

今回の展覧会では、近代日本の幕開けから描かれてきた日本人画家によるヌードの作品を紹介しています。黒田清輝(1866-1924)、安井曾太郎(、1888-1955)、萬鉄五郎(1885-1927)、梅原龍三郎(1888-1986)、小出楢重(1887-1931)など個性ある面々のアプローチをじっくり見ることが出来ます。

作品は、国立の美術館に所蔵されているもの中から厳選されているようで、例えば、黒田清輝の「智・感・情」や萬鉄五郎の「裸体美人」は、それぞれの美術館で常設展示ことが多いものですが、場所が変わるといつもと異なる感覚で向き合うことができます。

中でもいちばん良かったのは、安井曾太郎のデッサンです。彼の油彩の作品からは、想像できないほどすばらしい作品で、神業であると言っても言いすぎでない、それほどすばらしい憧れのデッサンなのです。

ぬぐ絵画
安井曾太郎「裸婦、1909」

このデッサンは、彼のヨーロッパ留学時に描かれたものだと思います。この技術をヨーロッパで身につけたのか、それ以前から身についていたのかは判断が難しいようです。それは、彼が留学前にそれまで描いた作品を焼却してしまったていて、ほとんど記録が残っていないからです。

しかし、彼はこれ程の技術を持っていたのですが、日本に戻ると苦悩をはじめてしまうのです。この展覧会の後半にも、日本で描いた油彩がありますが(これは良い作品です)、本当に同じ人間が描いたものかと思う作品もあったりします。一説には、日本の湿度が、彼の感性を狂わせたとも言われています。

ぬぐ絵画
安井曾太郎「画室、1926」

たくさんの画家が人間の体に向き合いことで、人間の持つ美を追究しています。それは、遠い過去からいまも続いていて、おそらく人間がいなくなるまで続くことなのかもしれません。人間を描くことは、美を通して自分自身が何なのかを問う哲学のようなものです。だからこそ、絵の中の人物と向き合い、語り合うことが大事なことなのです。

※東京国立近代美術館(2011年11月15日~2012年1月15日)