Asagi's Art News





秘密のひととき ~ ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年2012年09月08日 00時48分28秒

美術館の都合があったとは思いますが、東京には、もう一つのフェルメールがやって来ています。世界で誰もが知っているという真珠を身につけた少女と同じ真珠を身につけたもう一人の少女です。耳飾りではなく、首飾りですが、日本初来日の表情豊かな作品です。

展覧会の主役はもちろんフェルメールですが、展覧会のテーマはヨーロッパ絵画400年の歴史を紐解く教育的な内容になっています。そのため、東京都美術館の展覧会に比べると比較的穏やか感じの会場になっていて、西洋美術館らしい良い雰囲気をかもしだしていました。

ベルリン国立美術館展


展示は、15世紀に作成されたイコンのような聖母子像からはじまり、ルネッサンスの肖像画、16世紀のマニエリスム、17世紀のフェルメールやレンブラントが活躍したオランダ絵画、そして、18世紀の新古典やロマン主義まで一気に紹介していきます。

さらに、なかなか見ること出来ないボッティチェリやミケランジェロの素描の展示もあるところはさすがです。素描については、それほどの注目はされていなかったようですが、神の域にある巨匠の真のラインを目前にすることは、とても勉強になるのと同時に伝説をより身近に感じること出来る良い機会でした。

さて、展覧会の主役であるフェルメールの『真珠の首飾りの少女』ですが、彼らしい空間を見せる傑作の一つであるように思います。画集ではコントラストの関係で黒くなっている机のところも、実はいろいろな描き込みがあり、ちょっとドキドキしたりします。

ベルリン国立美術館展
ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの少女、1662」

窓から射し込む光と女性の表情は、ほんの一瞬を切り取った写真のような場面ともいえます。それは、とてもプライベートな空間であり、誰にも見せない彼女のだけの秘密のひとときなのだと思います。フェルメールが、なぜそのような人には見せない秘密を描いたのか、ちょっとしたミステリーだと思います。

現在でもフェルメールの詳しい実像は判っていません。たくさんの人がいろいろと推測をして、検証を試みていますが真実は判りません。でも、その答えはやはり絵の中にあるのだと思います。仮説を披露するのも楽しいですが、答えは絵と対峙したひとりひとりが感じれば良いのだと思います。

※国立西洋美術館(2012年6月13日~2012年9月17日)

愛のかたち ~ レーピン展2012年09月14日 23時41分16秒

朝日新聞夕刊の美術欄に紹介されたイリヤ・レーピン(1844‐1930)の『皇女ソフィア』を見たい人は、彼のイメージを誤解してしまうかもしれません。荒ぶる皇女は、とてもインパクトのある作品として取り上げたのだと思います。

ところがBunkamuraの企画では、以前からレーピンの繊細で美しさで魅せるように紹介しています。例えば、ポスターに使用されている『休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像』は、展覧会用に描かれているようですが、妻への愛しさや安らぎを描き込んでいるようです。

レーピン

どちらの作品もロシアアカデミーを代表するレーピンと言うことで、技術の高さよりもモデルの内面の描き方に注目して批評や賛美をしているのだと思います。では、なぜレーピンの作品には、モデルの内面がにじみ出てくるのでしょうか?

彼が生きた時代のロシアは、皇帝や貴族の支配から社会主義革命への変わる激動期です。彼は没落していく上流階級と革命を成し遂げても貧しい民衆が混沌する社会を常に見つめ続けていたのです。

上流階級の肖像画だけでなく、最下層にある民衆も同時に描き社会の矛盾を描いていこうとしたのかもしれません。自身の目の前にいるモデルが、どんな立場でどんな生き方をして来たのか…それを感じ高い技術で絵画に落とし込んでいくのです。

さて、今回の展覧会のお気に入りの作品は、やはり『休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像』でした。繰り返しになりますが、この作品からはレーピンの妻への愛が感じられるのです。そして、彼女もまたすべてを彼にゆだね心を許していることを感じます。

レーピン
イリヤ・レーピン「休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像、1882」

ふたりの間にある信頼や愛を具体的に表現することは、とても難しいことだと思います。これは、レーピンの観察力と卓越した技術があって、はじめて具現化されるのだと思います。そして、彼らの愛のかたちからは、たくさんの幸せを与えてもらうことができるのです。

※Bunkamuraザ・ミュージアム(2012年8月4日~2012年10月8日)

変化していくアラブ ~ アラブ・エクスプレス展2012年09月20日 00時42分57秒

日本の展覧会において、現代アラブ美術シーンをあつかうことは、稀なことなのかもしれません。厳しいイスラムの戒律や生活文化の違いから、芸術的な表現方法にも違いあるように思うことも多々あるような気がします。

しかし、森美術館が企画した『アラブエクスプレス展』は、さまざまな文化的な違いや考え方の違いがあったとしても、人々の芸術に対する想いは共通していることを教えてくれているよう思います。

アラブ・エクスプレス

もちろん、すべての芸術的な表現が許されいないことも事実であり、問題は根深いところにあるように思います。互いの正義が対立する複雑でデリケートな問題が、いくつも隠れていることを知っておくべきなのだと思います。

アラブ・エクスプレス

アラブ・エクスプレス

アラブ・エクスプレス

インターネットの普及が原因と言われる「アラブの春」という反政府運動は、独占されていた権力や富を解放したばかりではなく、新しい文化の扉を開くきっかけになったように思っています。

反政府運動が起きた背景には、たくさんの人々が本当のことを知っていても、口にすることさえ出来ない。社会全体に窮屈な閉塞感があったのではと考えています。押しつけられる嘘の中に身をおくことから、何とか抜け出したい…そんな想いが人々を動かしたのかもしれません。

アラブ・エクスプレス

アラブ・エクスプレス

アラブ・エクスプレス

例えば、絵画で女性の美しさを表現したいとき、ある人は女性モデルをきらびやかな衣装で飾りたてることが美しいと思います。また、ある人は何も身につけない自然な姿(ヌード)の表現こそが美しいと考えます。もちろん、女性の美しさは表面的なことでないことは誰もが思うことですが...

いづれの表現にしても、日本などで行うならば問題にはなりません。しかし、閉塞された世界では、制限があり許されないタブーとなっていたのです。厳しい罰と恐怖によって、表現の自由さえも許されない世界が続いていたのです。

「アラブの春」を生んだインターネットにより情報の共有化、価値観の共有化が少しずつ進んで来ていて、閉鎖された世界も少しずつですが変化しているのかもしれません。展覧会でも、その変化を知る驚くような作品がありました。

作品に女性の肖像画が目立っていたことも驚きなのですが、中にはさらに踏み込んでヌードを取り込む挑戦的な作品を目にすることもできたことす。もちろん、このまま急激に変化が広がることは、難しいかもしれません。さまざまな問題が発生して、足したり引いたりをして行きながら、変化していくアラブであることを望みます。

アラブ・エクスプレス

アラブ・エクスプレス

アラブ・エクスプレス

※森美術館(2012年6月16日~2012年10月28日)

固定された表情 ~ ジェームズ・アンソール -写実と幻想の系譜-2012年09月29日 22時44分32秒

ジェームズ・アンソール(1860ー1949)の作品は、シュルレアリスムの展覧会に影響を与えた作品として、一緒に展示されることが多いような気がします。骸骨を描く画家としての認識があるのですが、単独の回顧展を訪れるのは、ははじめてだったと思います。

今回の展覧会は、彼の故郷でもあるベルギーのアントワープ王立美術館の改装により実現したと聞いています。骸骨のアンソール以外のどんな作品に出会えるのか、とても楽しみにしていた展覧会のひとつです。

ジェームズ・アンソール

画家を目指したアンソールは、ブリュッセルの王立絵画アカデミーで絵画を学んでいます。初期の作品は、古典的なフランドル絵画を思わせる感じの写実が中心で、自画像をはじめとする人物画や静物画、どんより感のある風景画なども描いています。

興味深いのは、劇的な変化を遂げるパリとは疎遠であることです。気にならないはずがないと思うのですが、そこには目も向けず独自の世界観を確立させたのかもしれません。

そして、徐々に髑髏のアンソールとして、注目を集めるようになっていったと思います。しかし、彼が骸骨を作品にする前に、もうひとつ注目すべき対象を描いていました。それは、仮面です。

仮面は素顔を隠すことによって、まったく別の人物に変わることができます。そのため自身の卑しさや強欲さえも気にすることなく振る舞うことが出来るのです。但し、それは仮面をかぶる方のことですが・・・

では、仮面をかぶる者たちを見る側には、その様子はどう感じるでしょうか? 喜怒哀楽の表情を持つ仮面ですが、それは固定された表情です。動かない表情は、ある意味で死との関わりを導き出すのかもしれません。

あくまで推測に過ぎませんが、アンソールは、仮面をかぶった者たちに対して、精神的な自由を手に入れていても、表情の変化がない死者と同じであると考えたのかもしれません。そう考えると仮面から骸骨に変化していくことが自然に思えるのです。

ジェームズ・アンソール
ジェームズ・アンソール「陰謀、1890」

さて、展覧会では、その仮面の作品の中でも代表的な『陰謀』と出会うことができます。仮面をかぶるり自身を隠した人たちは、お互いの欲望をさらけ出そうとしていますが、その表情は乾いていて変化はしません。自身の欲望と引き替えにするものは、自身の死と言うことなのでしょうか?

この作品は、色彩的にも華やかであり、それが人々のたくらみの数の多さを暗示しているようにも思えます。もしかして、当時、アンソールは、彼の周囲の人間関係に疑問を持っていたのかもと考えてしまいます。

簡単に人を信じられない・・・そのような苦い経験がどこかにあったのか、もっと広い社会的な問題に関心があったのか、興味は尽きません。そして、彼が人の精神的な部分に光をあて、絵画によって表現しようとしたことにも、今後注目してみたい気がします。

※損保ジャパン東郷青児美術館(2012年9月8日~2012年11月11日)