Asagi's Art News





青山、表参道、そして原宿へ2013年01月19日 23時54分00秒

地下鉄の表参道駅から、根津美術館に向かう途中にガラスの城があります。光の屈折により見る角度で色が変化する近未来的な建物、それが『プラダブティック青山店(2003)』です。スイスの建築家ユニットであるヘルツォーク&ド・ムーロンがデザインを担当しています。

青山、表参道、そして原宿へ

彼らは同じ1950年生まれで、ともにスイスの大学で建築を学び、共同で建築事務所を開いています。そして、ロンドンの火力発電所をリノベーションした美術館『テート・モダン』や北京オリンピックでメインスタジアム『北京国家体育場(鳥の巣)』などで注目度が急上昇しました。

表参道駅に戻り反対側の原宿方向に歩いていくと、新旧の日本人建築家の作品に出会うことでできます。まずはじめは、伊東豊雄(1941-)が設計した『トッズ表参道ビル(2004)』です。この建物は、気をつけていないと通りすぎてしまうほど、自然な感じで街に溶け込んでいます。

青山、表参道、そして原宿へ

建物前にあるケヤキの樹と建物(外壁)が静かにシンクロしています。そして、お互い競うように太陽に向かってからだを向けています。人工的な建築に自然(神の造った)造形を取り入れることで、建築を生き物のように表現しているのです。

次は、表参道の新名所ともなっている安藤忠雄(1941-)の『表参道ヒルズ(2005)』です。同潤会青山アパートの再開発プロジェクトとして注目を集め、住居部分とブランドショップなどの商業施設からなる複合ビルとなっています。

青山、表参道、そして原宿へ

独特のコンクリートむき出しの姿は、いまや安藤ブランドとして受け入れられるようになったと思います。それで、不思議に街に馴染みランドマークとしての機能を発揮しているように思います。

原宿に近づいていくと、やはり人の数が増してくるようです。世界にカワイイを発信している街ということで、若い女性をターゲットとしたショップが数多くあります。そして、彼女たちが、この街に来てはじめて目にするが、大正期の鉄道省技師の長谷川馨が設計した『JR.原宿駅(1924)』です。

青山、表参道、そして原宿へ

ヨーロッパを意識したデザインとして、大正・昭和を代表する建物として大事にされています。都内でも木造の駅舎としては、もっとも古いものようで、最先端の建物がならぶ街にひとつの刺激を与えているのかもしれません。

日もだいぶ傾いてきましたが、最後に日本近代建築の父である丹下健三(1913-2005)の『代々木第一体育館(1964)』でしめたいと思います。流れるような曲線美は、東京オリンピックを通して世界に発信されることで、日本の建築技術の高さを知らしめたと言って良いと思います。

青山、表参道、そして原宿へ

時は流れ、東京に再びオリンピックを呼ぼうという活動が、盛んになってきました。夢が叶うか判りませんが、そのとき、また新たな時代の建築が登場して、日本だけでなく世界の人々の記憶に残っていくのかもしれません。