Asagi's Art News
「夜のカフェテリア」にようこそ! ~ ゴッホ展 ― 2005年05月19日 23時58分38秒
日本好きだったファン・ゴッホであるが、彼を好きな日本人も多いこと。GW前に竹橋のゴッホ展に出かけたのだが、通常の展覧会の何倍もの人がいた。主催の東京新聞のHPに混雑状況があり、そこを見るともう大変である。まぁ、22日までだからしかたないのか・・・。

あさぎのお目当の作品は、若い頃の「自画像」と「夜のカフェテリア」。それぞれの印象だが、まず「自画像」は、まだまだ印象派の雰囲気が全体にただよっていて、新鮮な感じがそこにあった。そして、なかなかたどり着くことの出来なっかた「夜のカフェテリア」は、青く深い夜の闇に黄色く誰もいないカフェテリアが、目に飛び込んで来て、何か別の世界の入口のような印象を受けた。

それから、後半にあった「糸杉と星の見える道 」や「夕暮れの風景」などは、孤独感と絶望感が入り混じっていて、だんだん怖くなるものだった。ともかく、混んでいたことを除けば大満足だったのだが、いまひとつ気になったのが、展示順。ゴッホの強烈な作品の間にセザンヌやミレーの作品を挟むのは、なんとなくねぇ。そもそも、国立近代美術館は、日本画中心と思っていたのだが、それが原因か?
余談だが、クレラー=ミュラー美術館の作品の額は、シンプルな木の額だった(普通はゴージャスな額で飾られている)ので、最初はなんとなく不自然に感じたが・・・あれは、あれで、ありかなぁ~、とだんだん思えるようになってきた。
※東京新聞
※国立近代美術館


あさぎのお目当の作品は、若い頃の「自画像」と「夜のカフェテリア」。それぞれの印象だが、まず「自画像」は、まだまだ印象派の雰囲気が全体にただよっていて、新鮮な感じがそこにあった。そして、なかなかたどり着くことの出来なっかた「夜のカフェテリア」は、青く深い夜の闇に黄色く誰もいないカフェテリアが、目に飛び込んで来て、何か別の世界の入口のような印象を受けた。


それから、後半にあった「糸杉と星の見える道 」や「夕暮れの風景」などは、孤独感と絶望感が入り混じっていて、だんだん怖くなるものだった。ともかく、混んでいたことを除けば大満足だったのだが、いまひとつ気になったのが、展示順。ゴッホの強烈な作品の間にセザンヌやミレーの作品を挟むのは、なんとなくねぇ。そもそも、国立近代美術館は、日本画中心と思っていたのだが、それが原因か?
余談だが、クレラー=ミュラー美術館の作品の額は、シンプルな木の額だった(普通はゴージャスな額で飾られている)ので、最初はなんとなく不自然に感じたが・・・あれは、あれで、ありかなぁ~、とだんだん思えるようになってきた。
※東京新聞
※国立近代美術館
マグダラのマリアに会いたくて ~ ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 ― 2005年05月20日 23時18分33秒
テレ東の「美の巨人たち」を見るまでは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールなんて画家は知らなかった。それで、遅くなってしまったのだが、上野まで行ってきた。さすがに西洋美術館という感じの展覧会で、作品数が少ないなりの見せ方が良い。

エントランスを抜けるとイエス・キリストと12使徒それぞれの肖像が出迎える。もちろん全てが揃っているわけでないが(西洋美術館所蔵の聖トマスなど3作品しかない)、コピーパネルなどを展示してシリーズの雰囲気が伝わるようになっていた。
解説によると本物とされる作品は、わずか40点程らしい。このためか、展示の中間あたりで偽者というか、優れた贋作の紹介がされていた。普通に見て、本物か?偽者か?の区別はできないと思う出来だった。

さて、マグダラのマリアであるが、聖書の中でのイエスとの出会いやイエスの最後と復活に立ち会ったなど話が知られ多くの画家に描かれている。しかし、ラ・トゥールの描いた「書物のあるマグダラのマリア」は、その後の半生のある場面であるらしい。
その彼女に会えたのは、展示の最後であった。暗い洞窟のようなところでローソクあかりに照らされて、浮かび上がる彼女の上半身は何も着けておらず、長い黒髪が顔を覆っていて、手にはドクロを持っている。なんとも言い表せない、いとおしさを感じることができる。しばらくは、その情景に引き込まれ動けない、そんな気がした。
※読売新聞
※国立西洋美術館

エントランスを抜けるとイエス・キリストと12使徒それぞれの肖像が出迎える。もちろん全てが揃っているわけでないが(西洋美術館所蔵の聖トマスなど3作品しかない)、コピーパネルなどを展示してシリーズの雰囲気が伝わるようになっていた。
解説によると本物とされる作品は、わずか40点程らしい。このためか、展示の中間あたりで偽者というか、優れた贋作の紹介がされていた。普通に見て、本物か?偽者か?の区別はできないと思う出来だった。

さて、マグダラのマリアであるが、聖書の中でのイエスとの出会いやイエスの最後と復活に立ち会ったなど話が知られ多くの画家に描かれている。しかし、ラ・トゥールの描いた「書物のあるマグダラのマリア」は、その後の半生のある場面であるらしい。
その彼女に会えたのは、展示の最後であった。暗い洞窟のようなところでローソクあかりに照らされて、浮かび上がる彼女の上半身は何も着けておらず、長い黒髪が顔を覆っていて、手にはドクロを持っている。なんとも言い表せない、いとおしさを感じることができる。しばらくは、その情景に引き込まれ動けない、そんな気がした。
※読売新聞
※国立西洋美術館
守備範囲外ということ? ~ ルーヴル美術館展 ― 2005年05月21日 23時17分03秒
横浜にルーブルが来たということで、期待をして出かけて行った。展示内容について、なにも調べなかったが、前売りのチケットには、アングルの「トルコ風呂」が印刷してあった。
エスカレータで2階に着いて左の部屋に入ると、いきなりアングルの「泉」が迎えてくれた。近づいて見上げると壺を持った娘と目があってドッキとしたが、落ち着いて見ると何処となくお人形さんを見ている感じがしたのは、何故だろう?

あさぎの印象に残ったは、実はここまで、後は、すごい作品ばかりなのだけど淡白な感じがした。何でだろうと思っていたのだが、途中で気が付いた。メインの作品が、新古典主義から写実主義の時代のものだったのである。あさぎは、ルネッサンスからバロックあたりまでが好きなので、守備範囲外ということ・・・
そうそう、館内で何処ともなくピアノのメロディが聞こえてきたので、ホールに目にやるとミニ演奏会がはじまっていた。音楽を聞きながら絵画鑑賞も悪くないね。
※日本テレビ
※横浜美術館
エスカレータで2階に着いて左の部屋に入ると、いきなりアングルの「泉」が迎えてくれた。近づいて見上げると壺を持った娘と目があってドッキとしたが、落ち着いて見ると何処となくお人形さんを見ている感じがしたのは、何故だろう?

あさぎの印象に残ったは、実はここまで、後は、すごい作品ばかりなのだけど淡白な感じがした。何でだろうと思っていたのだが、途中で気が付いた。メインの作品が、新古典主義から写実主義の時代のものだったのである。あさぎは、ルネッサンスからバロックあたりまでが好きなので、守備範囲外ということ・・・
そうそう、館内で何処ともなくピアノのメロディが聞こえてきたので、ホールに目にやるとミニ演奏会がはじまっていた。音楽を聞きながら絵画鑑賞も悪くないね。
※日本テレビ
※横浜美術館