Asagi's Art News
籔内佐斗司展 やまとぢから ― 2014年01月06日 19時20分05秒
良い人 ~ ヤジマキミオ発泡スチロール巨大動物アート展 ― 2011年11月29日 23時07分49秒
朝日新聞の地方面に紹介されていた展覧会だったのですが、発泡スチロールという素材や作品のその大きさから実物を見なければと思い、立川の昭和記念公園まで出かけました。秋も深まって来ていて公園の木々の色も鮮やかに染まっていました。
昭和記念公園は、戦前には旧陸軍が、戦後には在日米軍が使用した立川基地の一部で、広さは180haもあります。昭和天皇の在位50周年を記念して整備され、昭和天皇の死去にともない永眠の地になるなど、静かで自然にあふれるもうひとつの東京と言えます。
展覧会は、公園内の花みどり文化センターという場所で行われていました。しかし、作品は野外にも展示されいて、そのひょうきんな表情の作品たちが、かなり遠くからも確認することができました。
最初に出迎えてくれたのは、新聞にも掲載されていたカエルです。色鮮やかで、かなりの迫力があります。発泡スチロールは、予想通りに暖かな感じがあり、壊れやすいという弱点を除けば、とてもおもしろい素材と言えます。
会場の中の作品もとても大きいのですが、不思議に圧迫感がないように感じました。それは、経験から使われている素材が軽いため、倒れてきたとしても怪我などをしないという安心感からなのかもしれません。
愛らしい動物たちに子供たちが興味津々のようすで、会場にいたヤジマキミオ(1955-)氏も忙しいそうに対応していました。子供たちに素材を触らせたり、作品と一緒に写真を撮ってあげたり、いろいろサービスをしていました。とても良い人のようで、それは作品に中にもにじみ出ていると思いました。
直接はお話しを聞いていませんが、プロフィールによるとアーティストに転身する前は、公務員という堅い仕事をしていたそうです。しかし、もともと絵が好きだったようだったのですが、親の反対もあり美術の道から遠のいていたようです。…やっぱり良い人のようです。
1990年に浅草サンバカーニバルで、「アレゴリア」と呼ばれている山車(だし)の制作を担当することになり、そこで出会った発泡スチロールを使った装飾をヒントに現在の作成に発展させたと言います。いくつかの展覧会を重ねるうち、2009年に公務員を辞めアーティストしてスタートするこを決心したとのことです。
どうしても創りたいという気持ちが、人を動かすのだと思います。安定した職業を辞めてまでやらなければならないことがある。それが、美の世界なのかもしれません。どの時代にも必ず現れる、そういう人たち…愛すべき人たちだと思います。
※国立昭和記念公園(2011年11月16日~2011年11月27日)
昭和記念公園は、戦前には旧陸軍が、戦後には在日米軍が使用した立川基地の一部で、広さは180haもあります。昭和天皇の在位50周年を記念して整備され、昭和天皇の死去にともない永眠の地になるなど、静かで自然にあふれるもうひとつの東京と言えます。
展覧会は、公園内の花みどり文化センターという場所で行われていました。しかし、作品は野外にも展示されいて、そのひょうきんな表情の作品たちが、かなり遠くからも確認することができました。
最初に出迎えてくれたのは、新聞にも掲載されていたカエルです。色鮮やかで、かなりの迫力があります。発泡スチロールは、予想通りに暖かな感じがあり、壊れやすいという弱点を除けば、とてもおもしろい素材と言えます。
会場の中の作品もとても大きいのですが、不思議に圧迫感がないように感じました。それは、経験から使われている素材が軽いため、倒れてきたとしても怪我などをしないという安心感からなのかもしれません。
愛らしい動物たちに子供たちが興味津々のようすで、会場にいたヤジマキミオ(1955-)氏も忙しいそうに対応していました。子供たちに素材を触らせたり、作品と一緒に写真を撮ってあげたり、いろいろサービスをしていました。とても良い人のようで、それは作品に中にもにじみ出ていると思いました。
直接はお話しを聞いていませんが、プロフィールによるとアーティストに転身する前は、公務員という堅い仕事をしていたそうです。しかし、もともと絵が好きだったようだったのですが、親の反対もあり美術の道から遠のいていたようです。…やっぱり良い人のようです。
1990年に浅草サンバカーニバルで、「アレゴリア」と呼ばれている山車(だし)の制作を担当することになり、そこで出会った発泡スチロールを使った装飾をヒントに現在の作成に発展させたと言います。いくつかの展覧会を重ねるうち、2009年に公務員を辞めアーティストしてスタートするこを決心したとのことです。
どうしても創りたいという気持ちが、人を動かすのだと思います。安定した職業を辞めてまでやらなければならないことがある。それが、美の世界なのかもしれません。どの時代にも必ず現れる、そういう人たち…愛すべき人たちだと思います。
※国立昭和記念公園(2011年11月16日~2011年11月27日)
人が挑み続ける ~ 鉄を叩く - 多和圭三展 ― 2010年11月21日 23時43分55秒
鉄の固まりはビクともしません。しかし、人は、鉄に向かい叩き続けます。そして、鉄は、叩かれた力を人に跳ね返し、この繰り返しが続きます。この人と鉄との対話が終わったとき、多和圭三(1952-)の作品が生まれるのです。
何百キロもある鉄の固まりは、叩かれることで表面にたくさんの凹凸ができ、少しずつ形を変えていきます。しかし、人が変えることが出来るのは、鉄にとってはほんのわずかな部分に過ぎません。
多和圭三は、日大芸術学部で彫刻を学んでいます。その後、一貫して鉄と向かい合いながら作品を作り続けています。無骨と言うべき作品は、他の彫刻家にない制作スタイルと彼の持つ自然観にあるようです。なお、現在は、大学教授として多摩美大で後進の指導にも力を注いでいるとのことです。
さて、展覧会ですが、目黒区美術館のスペースを有効に使用して展示がされています。1階には、やや小さめの作品やスケッチ、作成紹介のビデオなども配置して、多和の世界感の入口を示しています。
2階には、野外展示で良いような大きめの作品を配置し、作品の世界を掘り下げるために床のマットを剥がしコンクリートを露出させるなど、見せる側の意気込みと工夫が表れています。
「自然そのままの木や石に手を加える勇気はないが、自然の鉄鉱石から人工化された鉄なら、少しは自分も手を入れることができる。(毎日jpのインタビュー記事より)」、これが彼の鉄に対する想いであり、制作の原点なのでしょう。
自然の大いなる力に対して、人が挑み続ける…ある種の空しさを感じるのですが、人が生きていく情熱をじわじわと感じることが出来ます。また、叩かれた鉄の表面は、鈍く光り伝説の生き物の肌のように滑らかです。無機質の鉄に生命が宿った神秘の扉を開いてしまったかのようです。
※目黒区美術館(2010年11月13日~2011年1月9日)
何百キロもある鉄の固まりは、叩かれることで表面にたくさんの凹凸ができ、少しずつ形を変えていきます。しかし、人が変えることが出来るのは、鉄にとってはほんのわずかな部分に過ぎません。
多和圭三は、日大芸術学部で彫刻を学んでいます。その後、一貫して鉄と向かい合いながら作品を作り続けています。無骨と言うべき作品は、他の彫刻家にない制作スタイルと彼の持つ自然観にあるようです。なお、現在は、大学教授として多摩美大で後進の指導にも力を注いでいるとのことです。
さて、展覧会ですが、目黒区美術館のスペースを有効に使用して展示がされています。1階には、やや小さめの作品やスケッチ、作成紹介のビデオなども配置して、多和の世界感の入口を示しています。
2階には、野外展示で良いような大きめの作品を配置し、作品の世界を掘り下げるために床のマットを剥がしコンクリートを露出させるなど、見せる側の意気込みと工夫が表れています。
「自然そのままの木や石に手を加える勇気はないが、自然の鉄鉱石から人工化された鉄なら、少しは自分も手を入れることができる。(毎日jpのインタビュー記事より)」、これが彼の鉄に対する想いであり、制作の原点なのでしょう。
自然の大いなる力に対して、人が挑み続ける…ある種の空しさを感じるのですが、人が生きていく情熱をじわじわと感じることが出来ます。また、叩かれた鉄の表面は、鈍く光り伝説の生き物の肌のように滑らかです。無機質の鉄に生命が宿った神秘の扉を開いてしまったかのようです。
※目黒区美術館(2010年11月13日~2011年1月9日)
プリミティブの中にある ~ ヘンリー・ムア 生命のかたち ― 2010年09月06日 23時11分31秒
ヘンリー・ムア(1898-1986)は、20世紀を代表するイギリスの前衛的な彫刻家です。人体をデフォルメした彫刻は、シュルレアリスムの絵画に出てきそう感じがします。以前にも作品は見たことはありましたが、どんな人物であるかまではよく知りませんでした…なので、彼の簡単な経歴から調べてみました。
彼は小さい頃から粘土などで造形を作るのが好きだったようです。それで彫刻家を目指すようになったのですが、18歳のときに第一次大戦のため徴兵されてしまいます。戦争で負傷をしますが、大きな傷とはならず退役をむかえました。
ロンドンの王立芸術大学(Royal Collage of Art:RCA)で彫刻を学びますが、古典的な表現に疑問をもち自らプリミティブな表現を研究するようになったようです。10年近くRCAで過ごした後に結婚をして、ハムステッドに移り前衛的な芸術家のグループを作り作品を発表していくことになります。
数年後、第二次大戦がはじまり、今度は戦争画家として従軍することになりました。ハムステッドは空襲を受け崩壊、マッチ・ハダムという小さな村に移住して終戦をむかえます。この時期に待望の娘を授かり、母と子をテーマにした作品を作りはじめます。そして、1948年にヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際彫刻賞してから、その知名度が世界に広がっていきます。
さて、展覧会の内容ですが、戦後の彫刻6点の他にパステルや水彩、リトグラフなど40点で構成されています。小規模ながら代表的な彫刻『母と子(ルーベンス風)』や『横たわる人体』に加え、ストーンヘンジを描いたリトグラフとめずらしい作品も展示されています。
彫刻は単純な形であるが故に、考え抜かれた安定の形、人への想いを 感じることができます。例えば、『母と子』であれば、母と子が向き合い互いに心を寄せ合う姿が自然であり、微笑ましく見ることができます。単純化された形がシンプルでダイレクトに表現したいものを伝えていると思います。
彼が生涯に渡ってテーマにしたことは、人体であったそうです。そして、それはプリミティブの中にあると考えていたようです。太古の昔に秘めた力強さや単純で素直なところに人体の本質があるのだと思います。そこから沸き上がるエネルギーがこそが、彼が作品にしたかったものだったのだと思います。
※ブリヂストン美術館(2010年7月31日~2010年10月17日)
彼は小さい頃から粘土などで造形を作るのが好きだったようです。それで彫刻家を目指すようになったのですが、18歳のときに第一次大戦のため徴兵されてしまいます。戦争で負傷をしますが、大きな傷とはならず退役をむかえました。
ロンドンの王立芸術大学(Royal Collage of Art:RCA)で彫刻を学びますが、古典的な表現に疑問をもち自らプリミティブな表現を研究するようになったようです。10年近くRCAで過ごした後に結婚をして、ハムステッドに移り前衛的な芸術家のグループを作り作品を発表していくことになります。
数年後、第二次大戦がはじまり、今度は戦争画家として従軍することになりました。ハムステッドは空襲を受け崩壊、マッチ・ハダムという小さな村に移住して終戦をむかえます。この時期に待望の娘を授かり、母と子をテーマにした作品を作りはじめます。そして、1948年にヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際彫刻賞してから、その知名度が世界に広がっていきます。
さて、展覧会の内容ですが、戦後の彫刻6点の他にパステルや水彩、リトグラフなど40点で構成されています。小規模ながら代表的な彫刻『母と子(ルーベンス風)』や『横たわる人体』に加え、ストーンヘンジを描いたリトグラフとめずらしい作品も展示されています。
彫刻は単純な形であるが故に、考え抜かれた安定の形、人への想いを 感じることができます。例えば、『母と子』であれば、母と子が向き合い互いに心を寄せ合う姿が自然であり、微笑ましく見ることができます。単純化された形がシンプルでダイレクトに表現したいものを伝えていると思います。
彼が生涯に渡ってテーマにしたことは、人体であったそうです。そして、それはプリミティブの中にあると考えていたようです。太古の昔に秘めた力強さや単純で素直なところに人体の本質があるのだと思います。そこから沸き上がるエネルギーがこそが、彼が作品にしたかったものだったのだと思います。
※ブリヂストン美術館(2010年7月31日~2010年10月17日)
木の香り ~ 友永詔三の世界「木彫の乙女たち」 ― 2010年07月27日 22時43分58秒
妖しい雰囲気を持つ乙女たちが迎えてくれました。作者の友永詔三(1944~)は、NHKの人形劇「プリンプリン物語」のキャラクターを作成していた造形家です。「プリンプリン物語」は、主役のプリンセス・プリンプリン以外は、あまり可愛くないキャラクターがたくさん出てくるお話だったと思います。
たまたまですが、展覧会場に友永氏本人が来ていて、知り合いと話をしている場面に遭遇しました。聞こえてくる話によると、見るからに細身の乙女たちは、現在の女性の体型とあまり変わりがないとのことでした。手足は少し長めだけど、背伸びをしている姿なのですらっと見えるとのことでした。
そのような情報をインプットしながら、さらに作品を観ていきました。大きさはさまざまですが、木の暖かさとすべすべの肌の滑らかさは、とてもセクシーでありエロスを感じることが出来ます。思ったよりも体の凹凸がしっかりしていて、正面からよりもお尻の見える背中からの方がより女性らしい姿だと思います。
見方によっては観音像のようでもあり、日本の伝統美を受け継いでいるようです。また、宙を舞うバリエーションは、羽衣伝説をイメージでき過去と現在が混じり合っているかのようです。そして、僅かですが作品から木の香りがしていて、とても心地が良い展示空間となっています。
※ニューオータニ美術館(2010年7月24日~2010年10月11日)
たまたまですが、展覧会場に友永氏本人が来ていて、知り合いと話をしている場面に遭遇しました。聞こえてくる話によると、見るからに細身の乙女たちは、現在の女性の体型とあまり変わりがないとのことでした。手足は少し長めだけど、背伸びをしている姿なのですらっと見えるとのことでした。
そのような情報をインプットしながら、さらに作品を観ていきました。大きさはさまざまですが、木の暖かさとすべすべの肌の滑らかさは、とてもセクシーでありエロスを感じることが出来ます。思ったよりも体の凹凸がしっかりしていて、正面からよりもお尻の見える背中からの方がより女性らしい姿だと思います。
見方によっては観音像のようでもあり、日本の伝統美を受け継いでいるようです。また、宙を舞うバリエーションは、羽衣伝説をイメージでき過去と現在が混じり合っているかのようです。そして、僅かですが作品から木の香りがしていて、とても心地が良い展示空間となっています。
※ニューオータニ美術館(2010年7月24日~2010年10月11日)