Asagi's Art News





深い森 ~ コロー 光と追憶の変奏曲2008年09月01日 00時45分36秒

深い森の緑がコローに対するイメージです。まだ見たことのヨーロッパの森の美しさが伝わってきます。もちろん、いまではヨーロッパでも開発も進み、コローの描いた森も少なくってきているかもしれません。

雰囲気が日本の森と違うは、絵の具や文化の違いもあると思いますが、そもそも、植物の種類が微妙に違うからだと思ったりします。森は、たくさんの植物たちが住んでいます。小さいけれど日本にない表情があって、それが森を作りひとつの生き物に感じることが原因かもしれません。

コロー 光と追憶の変奏曲

今回の展覧会では、あまり見たことのないコローの人物画がたくさんやって来ています。風景画を描く人は風景だけ、人物画を描く人は人物だけという展覧会も多いのでとっても嬉しい企画です。さすが、西洋美術館と言うところでしょうか。

コロー 光と追憶の変奏曲

人物画もまた森のイメージにあるような深みがあります。たぶん、色彩のベースがグリーンであるからなのかもしれません。印刷物では判りづらかったのですが、人物画においても背景に薄くグリーンの色彩を感じることができます。

そして、何と言っても今回の展覧会の注目は、もうひとつのモナリザと言われている『真珠の女』がやって来たことでしょう。ルーブル美術館の至宝で門外不出と思われた作品が見ることが出来るのは幸せです。

真珠の女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「真珠の女、1858」

解説にもありましたが、この作品が『真珠の女』と呼ばれるのは、おでこのところに描かれたオリーブが真珠に見えるところから来ています。近づいて見るとちょっと大きく違和感を感じますが、長い時間と修復でオリーブとその影の区別が曖昧になって大きく見えるようにも思いました。

思わず真珠に注目してしまいましたが、画面から伝わる雰囲気はまさに森のように深く神秘的です。諸説いろいろあるようですが、胸元のはだけぐあいも気になりますし、彼女の目線から感じる静寂感はすばらしいです。いつかまた、今度はルーブルで会うことが出来るのを楽しみにしています。

※国立西洋美術館

ダイレクトな感性 ~ 液晶絵画2008年09月27日 00時16分03秒

展覧会のタイトルは、有りそうで無かった『液晶絵画』です。すでに多くのインスタレーションで液晶モニターが用いられていますが、直接的にアピールするのははじめてかもしれません。もちろん、作品のすべてが液晶モニターを使っているわけではありませんが、どことなく新しい感じがするのはなぜでしょうか?

東京写真美術館

映像をメインとするインスタレーションの場合、どのような装置を使って表現するかで印象が変わってきます。ブラウン管を使った作品では、モニター大きさの制限や設置場所の確保などが必要であり、本来は平面にしたいものが、立体になってオブジェのようになってしまうこともあったと思います。

また、いまでも良く使われるプロジェクターは、大画面を得ることは出来ますが、周囲を暗くする必要があり作品を隔離するようなイメージがあります。ところが、液晶は明るい輝度を確保した上で、最近の技術革新により画面も大きくなっており、ある意味作品の解放がなされているのではと思います。

例えば、千住博の『水の森』は、液晶モニターを屏風に見立てた作品です。しかも、水墨画のようなモノトーンの世界を表現しています。湖面に波紋が広がり、風がたなびくように微妙に画面が揺らぎます。

液晶絵画
千住博「水の森、2008」

本物の水墨画であれば描かれているものが動いていなくても、その気配を感じることが出来るのかもしれません。想像力によって徐々に作品に入っていくのでしょう。しかし、実際に動いていたら・・・より早く感性に届くのかもしれません。

スピード感をもって作品に入っていき、別の世界が広がっていくようにも思います。表現しようとしていることは、同じなのかもしれません。でも、いまは自然だけに囲まれていた古い時代とは違います。いろいろなメディアが交差し、人工的な映像があふれているのです。

古い時代と同じ感動を得るためには、もしかしたら今回のようなダイレクトな感性を得るやり方も良いのかもしれません。変わらないものを探しているのかもしれません。でも、表現のしかたは変わってきます。

※東京都写真美術館