Asagi's Art News
都市伝説 ~ 束芋 断面の世代 ― 2010年02月09日 00時31分34秒
三姉妹の次女で田端の妹だから、”たばいも(束芋)”と言うらしい・・・姉は”たばあね”、妹は”いもいも”と、ネーミングがとっても可愛いです。しかし、束芋が中心となって作るアニメーションは、どことなくダークな感じがしてきます。
それは、闇の中から顔出す都市伝説のような静けさで、どこかへ連れ去れてしまうような世界です。扉が開いて何かが出てくる…全体を覆う黒の鮮明さとカラフルな色彩なのですが、少しくすんで見える不思議さを持っています。

プロジェクターに映し出されるアニメーションは、ときに平面のスクリーンだけでなく角度や丸みのあるスクリーンで踊ります。作品は、短く数分ですが、これは彼女自身が見るものの立場で感じるアニメーション作品の長さであるようです。
花を贈られたとしたら、誰しもが嬉しく思うでしょう。しかし、どんな花でも良いかと言えば、答えはNOとなります。記念日の赤いバラならば心がときめき、すてきな気分になります。しかし、このとき白いキクだったら・・・
突然、差し出された鎮魂の花に心は沈み、とまどってしまうことでしょう。束芋の作品は、そんな感じがします。立ち止まらせ、何ごとかを考えるように差し向ける。彼女のメッセージが、そこにあるように思います。
※横浜美術館(2009年12月11日~2010年3月3日)
それは、闇の中から顔出す都市伝説のような静けさで、どこかへ連れ去れてしまうような世界です。扉が開いて何かが出てくる…全体を覆う黒の鮮明さとカラフルな色彩なのですが、少しくすんで見える不思議さを持っています。

プロジェクターに映し出されるアニメーションは、ときに平面のスクリーンだけでなく角度や丸みのあるスクリーンで踊ります。作品は、短く数分ですが、これは彼女自身が見るものの立場で感じるアニメーション作品の長さであるようです。
花を贈られたとしたら、誰しもが嬉しく思うでしょう。しかし、どんな花でも良いかと言えば、答えはNOとなります。記念日の赤いバラならば心がときめき、すてきな気分になります。しかし、このとき白いキクだったら・・・
突然、差し出された鎮魂の花に心は沈み、とまどってしまうことでしょう。束芋の作品は、そんな感じがします。立ち止まらせ、何ごとかを考えるように差し向ける。彼女のメッセージが、そこにあるように思います。
※横浜美術館(2009年12月11日~2010年3月3日)
神の業 ~ 医学と芸術 ― 2010年02月14日 23時58分00秒
ダ・ヴィンチのノートは、出会うたびに彼の記録への執着心を感じます。鏡像文字で記録を補完して、そのときの感動や気付きがいつでも蘇るようにしているのでしょう。飽くなき追求と言っていいほどに細かく描き、深く考察をしています。
医学は、人体の仕組みを解き明かしていき病気の恐怖から解放することを目的としています。そのため、人体の仕組みを細かく調べる必要があります。現在のようにさまざま記録媒体がない時代、紙に記録することが重要になります。

あるがままを正確に記録することが、医学にとっては重要なことだと思います。しかし、その中に美を見つけてしまった瞬間、科学は芸術に浸食されます。皮膚の下に隠れている筋肉や臓器から、神の業による絶妙の構造を目にすることで・・・
人が知らないことは、まだまだたくさんあります。そして、同じようにまだ知らない美があるのだと思います。固定観念から拒絶するようなものがあるのですが、知ることは新しい価値を創造するのだと思います。
※森美術館(2009年11月28日~2010年2月28日)
医学は、人体の仕組みを解き明かしていき病気の恐怖から解放することを目的としています。そのため、人体の仕組みを細かく調べる必要があります。現在のようにさまざま記録媒体がない時代、紙に記録することが重要になります。

あるがままを正確に記録することが、医学にとっては重要なことだと思います。しかし、その中に美を見つけてしまった瞬間、科学は芸術に浸食されます。皮膚の下に隠れている筋肉や臓器から、神の業による絶妙の構造を目にすることで・・・
人が知らないことは、まだまだたくさんあります。そして、同じようにまだ知らない美があるのだと思います。固定観念から拒絶するようなものがあるのですが、知ることは新しい価値を創造するのだと思います。
※森美術館(2009年11月28日~2010年2月28日)
歴史を背負って戦う画家たち ~ マッキアイオーリ展 ― 2010年02月26日 00時31分20秒
マッキアイオーリは、イタリア語の「マッキア(斑点)」から発生しているとのことです。そして、アカデミズムからの脱却を目指した若いイタリアの画家たちのことをマッキアイオーリと呼んでいます。

印象派とのサブタイルのように、作品からは本家の印象派と同じように光への追求が感じられます。そして、新しいことへ挑戦していく勢いのある力強さも感じることができます。風景に溶け込む光は、伝統的な技法からは、表現できなかったイタリアの強い日差しを見事に捕らえてるようです。
テーマとすることも日常の一場面に注目していているようです。身近にいる人たちや普段目にする風景を精力的に描いています。神話や宗教といった古くからの伝統とは別に、伝えるべきもの、残すべきものを探っているように思います。
例えば、アドルフォ・トンマージの『田園詩(逢潮)』とい作品ですが、ある男女の密会を描いたものです。何時の時代にもあったことですが、このようなスキャンダラスなテーマをダイレクトに表現することはあまりなかったようにも思います。

アドルフォ・トンマージ「田園詩(逢潮)、1884」
伝統的なイタリアの芸術が多くの画家に影響を与えいるのも事実ですが。しかし、そのイタリアで活動する画家たちも多くの試行錯誤していたことはひとつの発見となりました。偉大な歴史を背負って戦う画家たちにもっと光があたることを望んでいます。
※東京都庭園美術館(2010年1月16日~2010年3月14日)

印象派とのサブタイルのように、作品からは本家の印象派と同じように光への追求が感じられます。そして、新しいことへ挑戦していく勢いのある力強さも感じることができます。風景に溶け込む光は、伝統的な技法からは、表現できなかったイタリアの強い日差しを見事に捕らえてるようです。
テーマとすることも日常の一場面に注目していているようです。身近にいる人たちや普段目にする風景を精力的に描いています。神話や宗教といった古くからの伝統とは別に、伝えるべきもの、残すべきものを探っているように思います。
例えば、アドルフォ・トンマージの『田園詩(逢潮)』とい作品ですが、ある男女の密会を描いたものです。何時の時代にもあったことですが、このようなスキャンダラスなテーマをダイレクトに表現することはあまりなかったようにも思います。

アドルフォ・トンマージ「田園詩(逢潮)、1884」
伝統的なイタリアの芸術が多くの画家に影響を与えいるのも事実ですが。しかし、そのイタリアで活動する画家たちも多くの試行錯誤していたことはひとつの発見となりました。偉大な歴史を背負って戦う画家たちにもっと光があたることを望んでいます。
※東京都庭園美術館(2010年1月16日~2010年3月14日)