Asagi's Art News
都市の創造 ~ ドミニク・ペロー 都市というランドスケープ ― 2010年11月01日 23時27分00秒
いま東京では、高度経済成長期に建設された建物が消えています。理由のひとつは耐震基準の見直しなのでしょうが、それにともなう改修費用や改修中の維持管理などお金に絡む問題なんだと思っています。
東京オリンピックをきっかけにして、多種多様なデザインの現代建築が登場しました。そして、ようやく人が暮らす風景に溶け込みはじめた感じがあるだけにとても残念だと思います。しかし、新たに生み出される建築もまたたくさんあるのも事実です。
ドミニク・ペロー(1953-)は、新しい街や都市を造っていく建築家のひとりです。フランスを拠点にして仕事をしてきたようですが、若くして才能を認められた有望な人材です。今回の展覧会では、彼の過去の作品を振り返りつつ、これからの展望を示しています。
展示は、大きく分けて2つから構成されています。前半は過去のプロジェクトをつなぎ合わせたビデオインスタレーションです。部屋を金属チェーンでできたカーテンで仕切り、映像も視線を高くして見上げるように設定しています。
金属チェーンで空間を作ることが、彼の表現方法のひとつで見る角度や光の強弱で建物と空間をなじませる効果があるようです。そして、金属チェーンで建物を包み込むことは、不思議に暖かみを生み出すのです。柔らかく変化する形状が、金属の冷たさを打ち消しているのだと思います。
後半はグランドイメージを形にした模型と設計図面などで構成されます。また、施工中のプロジェクトやコンペ作品の展示もあります。実物ではありませんが、とてもダイナミックな作品ばかりです。本物の風景にどのように溶け込んでいるか、想像すると楽しくなってきます。
ペローが注目を集めるきっかけとなったのが、89年のフランス図書館の設計だったそうです。フランスの建築界でも異例の若さでの大抜擢だったようです。彼の作品は、日本でも見ることが出来るようで、新潟の越後妻有アートトリエンナーレに出展した「能舞台」や来年竣工される「大阪富国生命ビル」などがそうです。
「ランドスケープ」と言うキーワードが、展覧会に使用されています。この言葉は、文化、地形、歴史などあらゆる要素によって構成される都市そのものを指すと解説にありました。確かに、彼の作品からは、建物を造るのではなく都市を造ることを意味しているように思いました。人の暮らしを建築で造る…それが、都市の創造につながってくることなのだと思います。
※東京オペラシティアートギャラリー(2010年10月23日~2010年12月26日)
東京オリンピックをきっかけにして、多種多様なデザインの現代建築が登場しました。そして、ようやく人が暮らす風景に溶け込みはじめた感じがあるだけにとても残念だと思います。しかし、新たに生み出される建築もまたたくさんあるのも事実です。
ドミニク・ペロー(1953-)は、新しい街や都市を造っていく建築家のひとりです。フランスを拠点にして仕事をしてきたようですが、若くして才能を認められた有望な人材です。今回の展覧会では、彼の過去の作品を振り返りつつ、これからの展望を示しています。
展示は、大きく分けて2つから構成されています。前半は過去のプロジェクトをつなぎ合わせたビデオインスタレーションです。部屋を金属チェーンでできたカーテンで仕切り、映像も視線を高くして見上げるように設定しています。
金属チェーンで空間を作ることが、彼の表現方法のひとつで見る角度や光の強弱で建物と空間をなじませる効果があるようです。そして、金属チェーンで建物を包み込むことは、不思議に暖かみを生み出すのです。柔らかく変化する形状が、金属の冷たさを打ち消しているのだと思います。
後半はグランドイメージを形にした模型と設計図面などで構成されます。また、施工中のプロジェクトやコンペ作品の展示もあります。実物ではありませんが、とてもダイナミックな作品ばかりです。本物の風景にどのように溶け込んでいるか、想像すると楽しくなってきます。
ペローが注目を集めるきっかけとなったのが、89年のフランス図書館の設計だったそうです。フランスの建築界でも異例の若さでの大抜擢だったようです。彼の作品は、日本でも見ることが出来るようで、新潟の越後妻有アートトリエンナーレに出展した「能舞台」や来年竣工される「大阪富国生命ビル」などがそうです。
「ランドスケープ」と言うキーワードが、展覧会に使用されています。この言葉は、文化、地形、歴史などあらゆる要素によって構成される都市そのものを指すと解説にありました。確かに、彼の作品からは、建物を造るのではなく都市を造ることを意味しているように思いました。人の暮らしを建築で造る…それが、都市の創造につながってくることなのだと思います。
※東京オペラシティアートギャラリー(2010年10月23日~2010年12月26日)
そこから伝わってくるもの ~ 古代メキシコ・オルメカ文明展 - マヤへの道 ― 2010年11月08日 23時35分43秒
オルメカ文明よりも新しいマヤ文明の暦の解釈を引用して、人類の滅亡が来るとほのめかす人たちもいます。確かにオルメカ文明もマヤ文明も、まだまだ判らないがところがあり、不思議なところがたくさんあります。しかし、単に断片的な事柄だけを取り上げて、多くの人を惑わすようなことは良くないことです。何の証拠もないのですから…。
人類に備わった美しいと思う感覚は、たとえ時代や場所が異なっていても共通であるとときどき感じます。異なる文明でも美しいと感じた思いや大事にしていきたいことを、さまざまな形に残しています。オルメカ文明も例外ではありません。政治や宗教などの要素を含む場合もありますが、根本にある想いは同じだと思うのです。
オルメカ文明は、紀元前1200年頃に中央アメリカに発生して紀元前後まで続き、その後の文明の母体となったことから「母なる文明」と呼ばれています。巨石人頭像などが良く知られていますが、土偶や土器、宝石を使った装飾品なども数多く発見されていています。
ジャガーを神として崇め、高度な天文学や数学を発展させています。しかし、生け贄を捧げる儀式があるように、厳しい自然環境の中で生き抜いてきた文明でもあるのです。生け贄の儀式は、野蛮な行為と思われることがあるのですが、誰もが仲間のことを想い自らを犠牲にしてでも仲間を守るという尊い行為なのです。
さて、展覧会は、「人々と自然」「神と王権」「聖なる地」「交流と拡散」の4つのテーマで紹介されていました。反時計回りに一周するような会場作りで、最初の出入り口にレプリカだったのですが、巨石人頭像(第4号記念物)を配置したことがポイントなのだと思います。また、ここだけカメラ撮影可としていて、訪れた人たちは楽しそうに記念撮影をしていました。
各作品の年代については、まだまだ特定しきれないところがあるようで、数世紀の幅を持った判断がされていました。巨石人頭像は見るからにネグロイドなのですが、その他の土偶や石像は、モンゴロイドの特徴を持っているのが不思議でした。これらの作品を作った人たちが本当に同じだったかは、まだまだ研究を進める必要がありそうです。
土偶は、意外にも小さくスタイルはスマートです。やはり、環境が厳しく食べるものに困っていたのかもしれません。日本の縄文土器のような特異なバリエーションはないのですが、暖かみある素朴な土偶で彼らの人柄を伺えるような気がしました。また、王族の副葬品である仮面もありました。たぶん翡翠だと思うのですが、その権威の高さと品の良さを感じることが出来ます。
最後のところにマヤ文明への道として、マヤ文字のレリーフが特別に展示されていました。オルメカ文明よりも若い文明ですが、謎はたくさんあるようで、ピラミッドなどの遺跡にマヤ文字が刻まれているとのことです。とても不雑な文字なのですが、丁寧に正確に石に刻まれている文字は、読めなくてもその美しさと文明の高度さを感じることが出来ます。
オルメカ文明もマヤ文明も歴史の一部としては知っていました。しかし、本物を見る機会は、なかなかないように思います。ありきたりの感想なのかもしれませんが、本物に触れないと判らないことがたくさんあります。そして、そこから伝わってくるものがあるのです。
※古代オリエント博物館(2010年10月9日~2010年12月19日)
人類に備わった美しいと思う感覚は、たとえ時代や場所が異なっていても共通であるとときどき感じます。異なる文明でも美しいと感じた思いや大事にしていきたいことを、さまざまな形に残しています。オルメカ文明も例外ではありません。政治や宗教などの要素を含む場合もありますが、根本にある想いは同じだと思うのです。
オルメカ文明は、紀元前1200年頃に中央アメリカに発生して紀元前後まで続き、その後の文明の母体となったことから「母なる文明」と呼ばれています。巨石人頭像などが良く知られていますが、土偶や土器、宝石を使った装飾品なども数多く発見されていています。
ジャガーを神として崇め、高度な天文学や数学を発展させています。しかし、生け贄を捧げる儀式があるように、厳しい自然環境の中で生き抜いてきた文明でもあるのです。生け贄の儀式は、野蛮な行為と思われることがあるのですが、誰もが仲間のことを想い自らを犠牲にしてでも仲間を守るという尊い行為なのです。
さて、展覧会は、「人々と自然」「神と王権」「聖なる地」「交流と拡散」の4つのテーマで紹介されていました。反時計回りに一周するような会場作りで、最初の出入り口にレプリカだったのですが、巨石人頭像(第4号記念物)を配置したことがポイントなのだと思います。また、ここだけカメラ撮影可としていて、訪れた人たちは楽しそうに記念撮影をしていました。
各作品の年代については、まだまだ特定しきれないところがあるようで、数世紀の幅を持った判断がされていました。巨石人頭像は見るからにネグロイドなのですが、その他の土偶や石像は、モンゴロイドの特徴を持っているのが不思議でした。これらの作品を作った人たちが本当に同じだったかは、まだまだ研究を進める必要がありそうです。
土偶は、意外にも小さくスタイルはスマートです。やはり、環境が厳しく食べるものに困っていたのかもしれません。日本の縄文土器のような特異なバリエーションはないのですが、暖かみある素朴な土偶で彼らの人柄を伺えるような気がしました。また、王族の副葬品である仮面もありました。たぶん翡翠だと思うのですが、その権威の高さと品の良さを感じることが出来ます。
最後のところにマヤ文明への道として、マヤ文字のレリーフが特別に展示されていました。オルメカ文明よりも若い文明ですが、謎はたくさんあるようで、ピラミッドなどの遺跡にマヤ文字が刻まれているとのことです。とても不雑な文字なのですが、丁寧に正確に石に刻まれている文字は、読めなくてもその美しさと文明の高度さを感じることが出来ます。
オルメカ文明もマヤ文明も歴史の一部としては知っていました。しかし、本物を見る機会は、なかなかないように思います。ありきたりの感想なのかもしれませんが、本物に触れないと判らないことがたくさんあります。そして、そこから伝わってくるものがあるのです。
※古代オリエント博物館(2010年10月9日~2010年12月19日)
『品格』は『美』から生まれる ~ 第42回 日展 ― 2010年11月14日 22時56分41秒
11月3日の朝日新聞に「この国の『品格』は『美』から生まれる」と題して、日展の全面広告が掲載されました。広告には、日展理事長の中山忠彦(1935-)と数学者・作家の藤原正彦(1943-)が対談をして、美的センスと天才、日本の美の伝統などとても興味深い話をされていました。
ベストセラー「国家の品格」の著者でもある藤原は、天才というのは人口に比例して生まれるものではないと語っています。では、どういうところに天才が生まれるかと言うと「美」があるところで、これはちゃんと調べた結果であるとのことです。
「美」があるということは、美的感受性が育つ環境があるということで、日本はそのような「美」のある恵まれた環境にあるそうです。しかしながら、最近では子供たちの教育に美術の時間が減りつつあり、「美」対する関心が薄れてきていることは、大変危惧すべき問題であると続けます。
この後、日本の「美」の伝統について話を広げ、日展の担ってきた仕事の重要さを確認していきます。確かに日展は、近代日本を象徴する歴史ある公募展です。1907年の文展からはじまり、紆余曲折はあるものの今年で100年以上も続く老舗の展覧会であり、その規模も国内最大級です。
現在では会場も上野の東京都美術館から六本木の新美術館に変わりましたが、日本画、洋画、工芸、彫刻、書の各作品が、ところせましと展示する様は、なかなか壮観な思いがします。そして、たくさんの作品の中でお気に入りを見つけるのもまた楽しみであり、最近のトレンドなど見本市的な要素も持っている展覧会です。
このため新美術館での展示も1階から3階までをフルに使い展示しています。傾向としては、日本画の方が意欲的な作品が多く見られ、その反対に洋画はベイシックな大人しい作品を多く見ることができます。工芸は、細かい細工や装飾を施しその技術力に圧倒されます。伝統に加えてどんどん新しいことに挑戦する姿勢が作品から伝わってきます。
彫刻は、さまざまなものがあるのですが、作品と作品の間隔がどうしても狭くなるため、いつもおしくら饅頭のような感じがするのがおもしろいところです。それに、立像が多いため地震がきて倒れてきたどうしようという緊張感があって良いです。書に関しては、勉強不足なので良いなと思う作品もあるのですが…何ともです。
鎌谷節子「DALIA、2010」
さて最後に、数ある作品の中でお気に入りの一枚は、やはり日本画でした。鎌谷節子の「DALIA」です。調べていないので経歴などは良く判らなかったのですが、大きな画面いっぱいに描かれた赤いダリアは、燃え上がるようにも見え迫力があります。大輪をいくつも描いているのですが、ひとつひとつは、細かく緻密です。女性の持つ力強さが伝わってくる作品でした。
※国立新美術館(2010年10月29日~2010年12月5日)
ベストセラー「国家の品格」の著者でもある藤原は、天才というのは人口に比例して生まれるものではないと語っています。では、どういうところに天才が生まれるかと言うと「美」があるところで、これはちゃんと調べた結果であるとのことです。
「美」があるということは、美的感受性が育つ環境があるということで、日本はそのような「美」のある恵まれた環境にあるそうです。しかしながら、最近では子供たちの教育に美術の時間が減りつつあり、「美」対する関心が薄れてきていることは、大変危惧すべき問題であると続けます。
この後、日本の「美」の伝統について話を広げ、日展の担ってきた仕事の重要さを確認していきます。確かに日展は、近代日本を象徴する歴史ある公募展です。1907年の文展からはじまり、紆余曲折はあるものの今年で100年以上も続く老舗の展覧会であり、その規模も国内最大級です。
現在では会場も上野の東京都美術館から六本木の新美術館に変わりましたが、日本画、洋画、工芸、彫刻、書の各作品が、ところせましと展示する様は、なかなか壮観な思いがします。そして、たくさんの作品の中でお気に入りを見つけるのもまた楽しみであり、最近のトレンドなど見本市的な要素も持っている展覧会です。
このため新美術館での展示も1階から3階までをフルに使い展示しています。傾向としては、日本画の方が意欲的な作品が多く見られ、その反対に洋画はベイシックな大人しい作品を多く見ることができます。工芸は、細かい細工や装飾を施しその技術力に圧倒されます。伝統に加えてどんどん新しいことに挑戦する姿勢が作品から伝わってきます。
彫刻は、さまざまなものがあるのですが、作品と作品の間隔がどうしても狭くなるため、いつもおしくら饅頭のような感じがするのがおもしろいところです。それに、立像が多いため地震がきて倒れてきたどうしようという緊張感があって良いです。書に関しては、勉強不足なので良いなと思う作品もあるのですが…何ともです。
鎌谷節子「DALIA、2010」
さて最後に、数ある作品の中でお気に入りの一枚は、やはり日本画でした。鎌谷節子の「DALIA」です。調べていないので経歴などは良く判らなかったのですが、大きな画面いっぱいに描かれた赤いダリアは、燃え上がるようにも見え迫力があります。大輪をいくつも描いているのですが、ひとつひとつは、細かく緻密です。女性の持つ力強さが伝わってくる作品でした。
※国立新美術館(2010年10月29日~2010年12月5日)
人が挑み続ける ~ 鉄を叩く - 多和圭三展 ― 2010年11月21日 23時43分55秒
鉄の固まりはビクともしません。しかし、人は、鉄に向かい叩き続けます。そして、鉄は、叩かれた力を人に跳ね返し、この繰り返しが続きます。この人と鉄との対話が終わったとき、多和圭三(1952-)の作品が生まれるのです。
何百キロもある鉄の固まりは、叩かれることで表面にたくさんの凹凸ができ、少しずつ形を変えていきます。しかし、人が変えることが出来るのは、鉄にとってはほんのわずかな部分に過ぎません。
多和圭三は、日大芸術学部で彫刻を学んでいます。その後、一貫して鉄と向かい合いながら作品を作り続けています。無骨と言うべき作品は、他の彫刻家にない制作スタイルと彼の持つ自然観にあるようです。なお、現在は、大学教授として多摩美大で後進の指導にも力を注いでいるとのことです。
さて、展覧会ですが、目黒区美術館のスペースを有効に使用して展示がされています。1階には、やや小さめの作品やスケッチ、作成紹介のビデオなども配置して、多和の世界感の入口を示しています。
2階には、野外展示で良いような大きめの作品を配置し、作品の世界を掘り下げるために床のマットを剥がしコンクリートを露出させるなど、見せる側の意気込みと工夫が表れています。
「自然そのままの木や石に手を加える勇気はないが、自然の鉄鉱石から人工化された鉄なら、少しは自分も手を入れることができる。(毎日jpのインタビュー記事より)」、これが彼の鉄に対する想いであり、制作の原点なのでしょう。
自然の大いなる力に対して、人が挑み続ける…ある種の空しさを感じるのですが、人が生きていく情熱をじわじわと感じることが出来ます。また、叩かれた鉄の表面は、鈍く光り伝説の生き物の肌のように滑らかです。無機質の鉄に生命が宿った神秘の扉を開いてしまったかのようです。
※目黒区美術館(2010年11月13日~2011年1月9日)
何百キロもある鉄の固まりは、叩かれることで表面にたくさんの凹凸ができ、少しずつ形を変えていきます。しかし、人が変えることが出来るのは、鉄にとってはほんのわずかな部分に過ぎません。
多和圭三は、日大芸術学部で彫刻を学んでいます。その後、一貫して鉄と向かい合いながら作品を作り続けています。無骨と言うべき作品は、他の彫刻家にない制作スタイルと彼の持つ自然観にあるようです。なお、現在は、大学教授として多摩美大で後進の指導にも力を注いでいるとのことです。
さて、展覧会ですが、目黒区美術館のスペースを有効に使用して展示がされています。1階には、やや小さめの作品やスケッチ、作成紹介のビデオなども配置して、多和の世界感の入口を示しています。
2階には、野外展示で良いような大きめの作品を配置し、作品の世界を掘り下げるために床のマットを剥がしコンクリートを露出させるなど、見せる側の意気込みと工夫が表れています。
「自然そのままの木や石に手を加える勇気はないが、自然の鉄鉱石から人工化された鉄なら、少しは自分も手を入れることができる。(毎日jpのインタビュー記事より)」、これが彼の鉄に対する想いであり、制作の原点なのでしょう。
自然の大いなる力に対して、人が挑み続ける…ある種の空しさを感じるのですが、人が生きていく情熱をじわじわと感じることが出来ます。また、叩かれた鉄の表面は、鈍く光り伝説の生き物の肌のように滑らかです。無機質の鉄に生命が宿った神秘の扉を開いてしまったかのようです。
※目黒区美術館(2010年11月13日~2011年1月9日)
自由に ~ 丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展 ― 2010年11月29日 22時57分21秒
丸沼芸術の森は、世界でも屈指のアンドリュー・ワイエス(1917-2009)のコレクションを所蔵しているそうです。丸沼芸術の森は、ワイエスとも親交の深かった丸沼倉庫の社長である須崎勝茂氏が、若い画家の育成のために作ったメセナ(企業による芸術活動の支援)であるとのことでした。
今回は、この丸沼芸術の森の所蔵品を中心に構成する展覧会になります。そして、丸沼芸術の森にとっても毎年行っていたワイエス展の最後を飾る展覧会として位置づけているようでした。ワイエスの作成過程が判る「オルソン・シリーズ」などの水彩・素描を200点以上を集める大規模な展覧会です。
アンドリュー・ワイエスは、アメリカのペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれますが、子供頃は体が弱いため学校には通わず家庭教師などに勉強を習っていたようです。父親がイラストレータであったこともあり、絵を描くことが好きな少年だったようです。そして、彼の画風が固まるきっかけとなったのが、別荘があるメーン州クッシングでの出会いでした。
別荘の近所に住んでいたオルソン家の姉弟との交流が、代表作である「クリスティーナの世界」として形になります。彼らとの出会いが、作品が生まれる源泉になったと言えます。そして、作品のほとんどは、クッシングでの自然や暮らしている人たちをモデルにしていることも興味深いことです。
アンドリュー・ワイエス「クリスティーナの世界(習作)、1948」
ワイエスの作品は、透き通るような静けさと緻密な描写というイメージがあります。しかし、作品作りの課程でのスケッチなどを見ると、意外にもラフで自由な印象が伝わってきました。鉛筆の線も太くなったり細くなったりしていて、風景や人物の描写も勢いで描かれているようでした。
ひとつの作品ができるまで、自由に描き、構想を展開していたように思います。ところが、いざ本番の作品になるといままでの自由さを捨て去り、基本に立ち戻るように緻密で正確な線に変化するのです。とてもおもしろいと思います。孤高の画家というイメージとは少し違う…新しい感覚を得たような気がしました。
※埼玉県立近代美術館(2010年9月25日~2010年12月12日)
今回は、この丸沼芸術の森の所蔵品を中心に構成する展覧会になります。そして、丸沼芸術の森にとっても毎年行っていたワイエス展の最後を飾る展覧会として位置づけているようでした。ワイエスの作成過程が判る「オルソン・シリーズ」などの水彩・素描を200点以上を集める大規模な展覧会です。
アンドリュー・ワイエスは、アメリカのペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれますが、子供頃は体が弱いため学校には通わず家庭教師などに勉強を習っていたようです。父親がイラストレータであったこともあり、絵を描くことが好きな少年だったようです。そして、彼の画風が固まるきっかけとなったのが、別荘があるメーン州クッシングでの出会いでした。
別荘の近所に住んでいたオルソン家の姉弟との交流が、代表作である「クリスティーナの世界」として形になります。彼らとの出会いが、作品が生まれる源泉になったと言えます。そして、作品のほとんどは、クッシングでの自然や暮らしている人たちをモデルにしていることも興味深いことです。
アンドリュー・ワイエス「クリスティーナの世界(習作)、1948」
ワイエスの作品は、透き通るような静けさと緻密な描写というイメージがあります。しかし、作品作りの課程でのスケッチなどを見ると、意外にもラフで自由な印象が伝わってきました。鉛筆の線も太くなったり細くなったりしていて、風景や人物の描写も勢いで描かれているようでした。
ひとつの作品ができるまで、自由に描き、構想を展開していたように思います。ところが、いざ本番の作品になるといままでの自由さを捨て去り、基本に立ち戻るように緻密で正確な線に変化するのです。とてもおもしろいと思います。孤高の画家というイメージとは少し違う…新しい感覚を得たような気がしました。
※埼玉県立近代美術館(2010年9月25日~2010年12月12日)