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猫 ~ 藤田嗣治展2006年04月10日 00時25分07秒

海外で高い評価を受けるが日本国内では批判の矢面に立つ、そういったことはいまも続いています。エコールド・パリの時代に生きた藤田嗣治もそのひとりです。

彼の作品を思い出したときに誰もが乳白色の美人と猫だと思います。今回の展覧会では、そういった作品は戦前のものとして前半分に登場します。いままで、あさぎは彼の一部しか知らないかったということです。

知らなかった後半は、色彩豊かな作品に変わりいき、厳しく荒々しい戦争画が登場してきます。そして再び乳白色の肌色を取り戻したかと思うと最後には宗教画へと移って行きます。彼への印象が変わっていく気がしました。

彼がパリに渡り各国から集まった才能の中で、独自の世界を作りあげていったことは素直にすごいことと思います。そして、日本人であることを誇りにすることで生き残っていったのだと思います。パリでの彼の奇行を取り上げその真相を探る雑誌やテレビ特集がありましたが、あさぎにはいまひとつクリアになりませんでした。

それはミステリーの謎解きで頭で理解できても、絵画の世界ではだめなようなのです。あの乳白色の肌から感じるものは、彼の行動とは逆のようなまじめで愚直な感じを受けます。そして、あの猫です。なぜ、彼は自画像に猫を描いたのでしょうか?

自画像
藤田嗣治「自画像、1929」

あさぎは故郷へのノスタルジーではないかと思いました。当時、パリにいる日本人など数えるほどだと思います。東洋人を見つけるのだってたいへんだったかも知れません。当時の海外に渡るということは、いまとはまったく違うはずです。

そう状況でたまたま出会った猫たちは、日本で見る猫たちと同じ顔つきをしています。そこで彼らに心惹かれてしまったのではないのでしょうか。志が高く夢があって突き進んでも、ふとした寂しさは身に染みるはずだと思います。あさぎはそんなふうに思って描かれる猫たちを見ていました。

後半部分にさしかかって驚いてしまうのは、日本に一時戻り戦地におもむき描いた戦争画でした。戦争を描くこと自体にショックがあるのですが、壁画のように大きいキャンバスに戦いの空しさ残酷さがにじみ出ています。半世紀以上も経っているのに、その場にいるような迫力と恐怖が伝わってきます。

アッツ島玉砕
藤田嗣治「アッツ島玉砕、1943」

愛くるしい猫の絵を描く彼の作品とは、思いたくないような気分になります。 息がつまり切ない場面がそこにあります。この戦争画を描いたことで彼が再び日本を離れることになるのですが、やはり彼は日本では生きていけなかったのでしょう。そして、日本も彼を受け入れるだけの余裕がなっかたのかもしれません。

晩年、彼はカトリックの洗礼を受け宗教画を残しているのですが、いったいどんな祈りをささげていたのか気になります。時に画家たちは神に導かれるように作品を描いていきます。最後に彼が選んだテーマには、いったい何があったのでしょうか?

※国立近代美術館

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