Asagi's Art News
友情 ~ マリー=アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展 ― 2011年05月02日 22時30分46秒
フランス王妃マリー=アントワネット(1755-1793)と宮廷画家ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)は、偶然にも同い年だったようです。そして、見知らぬ異国であるフランスにやって来たアントワネットにとって、ルブランとの出会いは煩わしいまつりごとを忘れる安らぎであったと伝えられています。

フランス革命によってアントワネットは、たくさんの汚名を受け命を落とすことになります。そして、その汚名によって彼女の芸術に対する貢献が、影に隠れてしまうことになるのです。この時代に、とても重要となることなのですが…
ルブランは、幼い頃から絵画教育を受け10代前半には肖像画を描く仕事を得ていたと言います。画家の組合に入り、徐々に評判を得ていきます。結婚をして公私ともに充実していき、ついにヴェルサイユ宮殿に招かれ、宮廷画家の道に進んでいきます。
しかし、いくら才能があったとしても、画家の世界は男性優位の職場です。何かに付けてじゃまにされたり、女性であることで差別を受けることあったようです。そこで、王妃アントワネットがルブランのために、美術アカデミーや宮廷における男性優位の制度に対して圧力をかけ、女性画家が自由に活動ができるよう、正統な評価が得られるよう支えることになったのでした。
立場は異なっていても共有できる想いがあったことが、アントワネットとルブランを深く結びつけていったのだと思います。だから、ルブランが描くアントワネットの肖像からは、単なるモデルと画家というよりも心を許し、友情を深め合う姿をみることができるのです。
不幸にして、彼女たちにはフランス革命の波が襲いかかります。歴代王族のつけを払わされることになったアントワネットは、民衆の前で死刑となります。ルブランもまた最大の理解者を失い、自画像を手に長い流浪の旅がはじまります。互いに厳しい人生となるのですが、それぞれの役割を果たすことになったと思います。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「自画像、1800」
※三菱一号美術館(2011年3月1日~2011年5月8日)

フランス革命によってアントワネットは、たくさんの汚名を受け命を落とすことになります。そして、その汚名によって彼女の芸術に対する貢献が、影に隠れてしまうことになるのです。この時代に、とても重要となることなのですが…
ルブランは、幼い頃から絵画教育を受け10代前半には肖像画を描く仕事を得ていたと言います。画家の組合に入り、徐々に評判を得ていきます。結婚をして公私ともに充実していき、ついにヴェルサイユ宮殿に招かれ、宮廷画家の道に進んでいきます。
しかし、いくら才能があったとしても、画家の世界は男性優位の職場です。何かに付けてじゃまにされたり、女性であることで差別を受けることあったようです。そこで、王妃アントワネットがルブランのために、美術アカデミーや宮廷における男性優位の制度に対して圧力をかけ、女性画家が自由に活動ができるよう、正統な評価が得られるよう支えることになったのでした。
立場は異なっていても共有できる想いがあったことが、アントワネットとルブランを深く結びつけていったのだと思います。だから、ルブランが描くアントワネットの肖像からは、単なるモデルと画家というよりも心を許し、友情を深め合う姿をみることができるのです。
不幸にして、彼女たちにはフランス革命の波が襲いかかります。歴代王族のつけを払わされることになったアントワネットは、民衆の前で死刑となります。ルブランもまた最大の理解者を失い、自画像を手に長い流浪の旅がはじまります。互いに厳しい人生となるのですが、それぞれの役割を果たすことになったと思います。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「自画像、1800」
※三菱一号美術館(2011年3月1日~2011年5月8日)