Asagi's Art News
ナゴヤ・DX(デラックス)Ⅲ ~ 名鉄百貨店 ナナちゃん ― 2010年10月02日 21時14分13秒
長い旅 ~ 崔在銀展 -アショカの森- ― 2010年10月03日 23時40分23秒
崔在銀(チェ ジェウン)(1953-)は、インスタレーションを中心に活躍するソウル出身の女性アーティストと紹介されています。日本では華道を学んでいて、草月流三代目家元の勅使河原宏(1927-2001)のアシスタントになっています。また、映画監督に挑戦するなど幅広い活動をしているようです。
今回の展覧会は、彼女にとっては初の個展となり、「アショカ王の5本の樹の森」という故事をテーマに作品を展開しています。アショカ王は古代インドの王様で、国民ひとりひとりが5本の樹を植え、見守ることを提唱したそうです。5本の樹とは、病を治す樹、実のなる樹、燃料になる樹、家を建てる樹、花を咲かせる樹のことを言うそうです。
原美術館はそれほど大きな美術館ではないため、広い空間が必要なインスタレーションには向きません。しかし、アーティストたちは、その空間に最適になる作品を用意し来ます。崔在銀は、立体造形、映像、写真の作品を効果的に組み合わせて森という作品を構成しています。
美術館に入るとまず、木材を積み重ねた部屋があります。木材の種類は判りませんが、木材独特の良い香りが漂っていて、これから足を踏み入れる森を演出しているようです。色という意味では、この木材のみであり、その他の作品はモノクロの静かな世界となります。
1階には、とてもゆっくり動く森の木々ビデオインスタレーションがあります。森を歩いているような感じのする映像が、心地良く流れていきます。 2階に進むと今度は電車の車窓のように、動きの早い映像の部屋があります。何か急に遠くまで来てしまった感じを受けるインスタレーションです。
崔在銀「幻想の裏面、2010」
そして、最後は海の写真の部屋になるのですが、森を抜けた先に見た光景のように広がりを持ち、実際にはとても短い時間なのですが、長い旅が終わったような感じがする不思議な作品構成になっています。
人と森の関わりが少しだけ判ったような気がしたのと同時に森がある意味を考えてしまいます。アショカ王がみんなに判って欲しかった大切なことが少しだけ判ったような気がします。そして、人と森の良い関係が将来も続いて行くことを願いたいと思います。
※原美術館(2010年9月11日~2010年12月26日)
今回の展覧会は、彼女にとっては初の個展となり、「アショカ王の5本の樹の森」という故事をテーマに作品を展開しています。アショカ王は古代インドの王様で、国民ひとりひとりが5本の樹を植え、見守ることを提唱したそうです。5本の樹とは、病を治す樹、実のなる樹、燃料になる樹、家を建てる樹、花を咲かせる樹のことを言うそうです。
原美術館はそれほど大きな美術館ではないため、広い空間が必要なインスタレーションには向きません。しかし、アーティストたちは、その空間に最適になる作品を用意し来ます。崔在銀は、立体造形、映像、写真の作品を効果的に組み合わせて森という作品を構成しています。
美術館に入るとまず、木材を積み重ねた部屋があります。木材の種類は判りませんが、木材独特の良い香りが漂っていて、これから足を踏み入れる森を演出しているようです。色という意味では、この木材のみであり、その他の作品はモノクロの静かな世界となります。
1階には、とてもゆっくり動く森の木々ビデオインスタレーションがあります。森を歩いているような感じのする映像が、心地良く流れていきます。 2階に進むと今度は電車の車窓のように、動きの早い映像の部屋があります。何か急に遠くまで来てしまった感じを受けるインスタレーションです。
崔在銀「幻想の裏面、2010」
そして、最後は海の写真の部屋になるのですが、森を抜けた先に見た光景のように広がりを持ち、実際にはとても短い時間なのですが、長い旅が終わったような感じがする不思議な作品構成になっています。
人と森の関わりが少しだけ判ったような気がしたのと同時に森がある意味を考えてしまいます。アショカ王がみんなに判って欲しかった大切なことが少しだけ判ったような気がします。そして、人と森の良い関係が将来も続いて行くことを願いたいと思います。
※原美術館(2010年9月11日~2010年12月26日)
クルーベのりんご ~ 陰影礼讃 ― 2010年10月04日 23時49分13秒
陰影礼讃(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎(1886-1965)の随筆から引用したタイトルだと思います。谷崎は、 電灯がなかった時代の今日と違った美の感覚を考察して、日本は西洋とは違い陰影を好み、その中にある美を見い出すことで芸術を成立させてきたと論じています。
展覧会の解説では、足元や地面に落ちる人や物の「影」と、光がさえぎられた場所が薄暗く見える「陰」があると分析して、それらが多くの作品の中でどのように表現された来たを考察して行くそうです。
いつもの展覧会と違いかなり研究性の強い感じがします。しかし、そうは言っても、国立美術館4館のコレクションの中から選りすぐりの作品が見られるのですから、気楽に見ていきたいと思い出かけていきました。
展示作品は、アカデミックな絵画あり抽象絵画ありとジャンルは絞っていません。また、版画、写真、インスタレーションの作品まで揃えており、大変興味深いです。考察ポイントなども示していますので、学生さんがレポートを書くならばお勧めと言ったところでしょうか。
さて、展覧会ではいろいろと問題提起されていたのですが、今回はその議論よりも、気に入った作品をひとつ紹介することにします。それは、ギュスターヴ・クルーベ (1819-1877)の『りんご』です。写実主義の巨匠が描いたクルーベのりんごです。
ギュスターヴ・クルーベ 「りんご、1871」
西洋美術館(松方コレクション)の作品ですが、はじめて見る作品のように思いました。真っ赤ではなく形もまんまるで、りんごと判るには少し時間がかかりました。しかし、何気なく置かれている構成やりんごの赤と背景の緑がとても調和していて、安定感のある良い作品です。こんな作品が食卓のそばにあったらきっと楽しい食事になると思います。
画面全体が明るく、確かに西洋画にある陰影を排除する傾向にあるようです。しかし、見えるものを忠実に再現する写実主義なので、光に対しても正確に表現しようとしているのかもしれません。りんごの前後関係などは、影というよりも遠近感による色の見え方の違いようにも思います。左からの光に対する影はちゃんとあるのですが、陰影とは異なるものでしょう。
…考察はしないようにしようと思っていたのですが、やっぱりいろいろ考えてしまいます。そこが楽しいと言えば、それまでなのですが…こうした研究性のある展覧会もなかなか楽しいので、次回の企画を大いに期待したいと思います。
※国立新美術館(2010年9月8日~2010年10月18日)
展覧会の解説では、足元や地面に落ちる人や物の「影」と、光がさえぎられた場所が薄暗く見える「陰」があると分析して、それらが多くの作品の中でどのように表現された来たを考察して行くそうです。
いつもの展覧会と違いかなり研究性の強い感じがします。しかし、そうは言っても、国立美術館4館のコレクションの中から選りすぐりの作品が見られるのですから、気楽に見ていきたいと思い出かけていきました。
展示作品は、アカデミックな絵画あり抽象絵画ありとジャンルは絞っていません。また、版画、写真、インスタレーションの作品まで揃えており、大変興味深いです。考察ポイントなども示していますので、学生さんがレポートを書くならばお勧めと言ったところでしょうか。
さて、展覧会ではいろいろと問題提起されていたのですが、今回はその議論よりも、気に入った作品をひとつ紹介することにします。それは、ギュスターヴ・クルーベ (1819-1877)の『りんご』です。写実主義の巨匠が描いたクルーベのりんごです。
ギュスターヴ・クルーベ 「りんご、1871」
西洋美術館(松方コレクション)の作品ですが、はじめて見る作品のように思いました。真っ赤ではなく形もまんまるで、りんごと判るには少し時間がかかりました。しかし、何気なく置かれている構成やりんごの赤と背景の緑がとても調和していて、安定感のある良い作品です。こんな作品が食卓のそばにあったらきっと楽しい食事になると思います。
画面全体が明るく、確かに西洋画にある陰影を排除する傾向にあるようです。しかし、見えるものを忠実に再現する写実主義なので、光に対しても正確に表現しようとしているのかもしれません。りんごの前後関係などは、影というよりも遠近感による色の見え方の違いようにも思います。左からの光に対する影はちゃんとあるのですが、陰影とは異なるものでしょう。
…考察はしないようにしようと思っていたのですが、やっぱりいろいろ考えてしまいます。そこが楽しいと言えば、それまでなのですが…こうした研究性のある展覧会もなかなか楽しいので、次回の企画を大いに期待したいと思います。
※国立新美術館(2010年9月8日~2010年10月18日)
現実を見つめなければいけない ~ ドガ展 ― 2010年10月08日 23時34分29秒
ドミニク・アングル(1780-1867)は、古代ギリシャ・ローマの美に回帰することが真の美であるとして新古典主義を確立しました。そして、印象派の画家たちの憧れであるロマン主義のウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)に対抗することで、19世紀のフランス絵画の主流を競い盛り上げていました。
エドガー・ドガ(1834-1917)が、実はドラクロワではなくアングルを師として画業のスタートさせたことは、あまり知られていないようです。古典様式の持つ美は、理性的であり理想化されることで、たいへんアカデミックな要素を持っています。もしかすると、彼が画家になると決めたときに、周囲を説得させる材料としてとても都合が良かったことだったかもしれません。
それに、彼は均整のとれた肉体や筋肉の躍動感にたいへん興味を持っているようです。彼は踊り子の画家と言われるのと同時に、馬の画家とも言われています。若い頃にただ馬が好きだったというだけではなく、馬でも特に鍛えられた競走馬の躍動する筋肉が好きだったように思います。それは、確かに古代ギリシャやローマにも通じる美の原点なのでしょう。単なる筋肉フェチかもしれませんが…
イレール・ジェルマン・エドガー・ドガ「出走前、1876」
ドガは印象派の画家としてリーダー的な存在になっていきます。しかし、彼自身にトラブルが発生してしまいます。それは、視力の低下という画家であり、美を追究するものにとっては計り知れない打撃です。もはや、印象派の仲間たちと光輝く郊外で絵を描くことはできませんでした。
そのときにどうするかで人は変わっていくのだと思うのですが、ドガは微かな光を中にある理想の美を発見しました。それが、バレリーナが舞う夜の劇場であり、踊り子の画家の誕生となるのです。画材も油彩から視力が低下した目でもはっきり判るパステルに変えて新しい世界を切り開いていきます。
『エトワール』は、そんな彼だから残すことのできた希望の一枚だったのだと思います。華やかなライトの中に凛々しく舞うバレリーナの一瞬を切り取りました。もちろん、彼の大好きな筋肉も躍動しています。『エトワール』は、バレリーナがジャンプしてから着地する前の微妙な緊張感を捕らえていると言います。
イレール・ジェルマン・エドガー・ドガ「エトワール、1878」
ドガは、けしてドラクロワを否定してはいません。絵の中に感情や精神的な表現を巧みに取り入れています。それは、アングルを師としていた頃から変わってはいないようです。当時のバレリーナは、高級娼婦という側面を持っていてパトロンによる囲い込み、つまり自分自身で人生をどうこうできる立場にないのです。
そのような状況を絵の中に持ち込み、それぞれの感情をあらわにしています。主役のバレリーナは、この瞬間だけに喜びを感じすべてを忘れて最高の演技をします。しかし、その舞台脇には、好色なパトロンの欲がちらつきます。「現実を見つめなければいけない…」、これはドガが自分自身に言い聞かせているように思うのです。
※横浜美術館(2010年9年18日~2010年12月31日)
エドガー・ドガ(1834-1917)が、実はドラクロワではなくアングルを師として画業のスタートさせたことは、あまり知られていないようです。古典様式の持つ美は、理性的であり理想化されることで、たいへんアカデミックな要素を持っています。もしかすると、彼が画家になると決めたときに、周囲を説得させる材料としてとても都合が良かったことだったかもしれません。
それに、彼は均整のとれた肉体や筋肉の躍動感にたいへん興味を持っているようです。彼は踊り子の画家と言われるのと同時に、馬の画家とも言われています。若い頃にただ馬が好きだったというだけではなく、馬でも特に鍛えられた競走馬の躍動する筋肉が好きだったように思います。それは、確かに古代ギリシャやローマにも通じる美の原点なのでしょう。単なる筋肉フェチかもしれませんが…
イレール・ジェルマン・エドガー・ドガ「出走前、1876」
ドガは印象派の画家としてリーダー的な存在になっていきます。しかし、彼自身にトラブルが発生してしまいます。それは、視力の低下という画家であり、美を追究するものにとっては計り知れない打撃です。もはや、印象派の仲間たちと光輝く郊外で絵を描くことはできませんでした。
そのときにどうするかで人は変わっていくのだと思うのですが、ドガは微かな光を中にある理想の美を発見しました。それが、バレリーナが舞う夜の劇場であり、踊り子の画家の誕生となるのです。画材も油彩から視力が低下した目でもはっきり判るパステルに変えて新しい世界を切り開いていきます。
『エトワール』は、そんな彼だから残すことのできた希望の一枚だったのだと思います。華やかなライトの中に凛々しく舞うバレリーナの一瞬を切り取りました。もちろん、彼の大好きな筋肉も躍動しています。『エトワール』は、バレリーナがジャンプしてから着地する前の微妙な緊張感を捕らえていると言います。
イレール・ジェルマン・エドガー・ドガ「エトワール、1878」
ドガは、けしてドラクロワを否定してはいません。絵の中に感情や精神的な表現を巧みに取り入れています。それは、アングルを師としていた頃から変わってはいないようです。当時のバレリーナは、高級娼婦という側面を持っていてパトロンによる囲い込み、つまり自分自身で人生をどうこうできる立場にないのです。
そのような状況を絵の中に持ち込み、それぞれの感情をあらわにしています。主役のバレリーナは、この瞬間だけに喜びを感じすべてを忘れて最高の演技をします。しかし、その舞台脇には、好色なパトロンの欲がちらつきます。「現実を見つめなければいけない…」、これはドガが自分自身に言い聞かせているように思うのです。
※横浜美術館(2010年9年18日~2010年12月31日)
歴史 ~ 御料車 -知られざる美術品- ― 2010年10月11日 22時58分45秒
開館から人気の鉄道博物館で、皇族の専用車両である御料車の展覧会を行うチラシを駅で見かけました。最近では天皇陛下の一般の鉄道利用者に迷惑がかかるとの配慮から、御料車を利用する機会もないと聞きます。しかし、ちまたの鉄道人気は、「鉄」とか「鉄子」なるオタク化したファンが登場するなど話題となっています。
御料車の歴史は、近代日本の幕開けと同時期にはじまります。しかし、単に皇族用の豪華車両というものではなかったようです。高い技術の装飾や工芸を車内にほどこすことは、御料車に関わる人たちにたちにたくさんの誇りや自信ををもたらすことで、日本の美の追求に一役かっていたと思います。
御料車は、常設展示として1階の片隅に大事に展示されています。しかし、車両の内部に入ることはできません。そこで、今回の展覧会で、車両の内部の装飾や工芸品に着目して、その歴史を踏まえ3期に分けて紹介するとのことでした。
車内の再現模型なども実物大で造られていて、なかなか凝った感じがしました。派手さはないのですが、落ち着いた感じの織物や刺繍は緻密で精巧に出来ています。工芸品にも同じような落ち着きのあるものを揃え、快適な旅を演出したのだと思います。
いつもの展覧会とは雰囲気が違うので、特出する作品はないのですが、岡田三郎助(1869-1939)の『野菊と薔薇』という作品が、絵画として一点だけありました。白い野菊が清楚で、画面も静かな良い作品でした。
もちろん、常設の御料車も見てきました。初代のものはコンパクトでちょっと可愛い感じのする車両です。赤をベースに高貴な感じがします。明治天皇が使用したもので、初代1号が1876年、初代2号が1891年に製造されたそうです。
茶色の車両が4両ありました。大正天皇と昭和天皇が使用したものとのことです。大きさはいまの列車と変わらないと思いますが、内部の造りが特別です。細部の作りが丁寧なので、やっぱり近くから見たいと思いました(参加出来ませんでしたが、日に何回かガイド付きの見学ツアーがあるようです)。
※鉄道博物館(2010年10月9日~2011年1月16日)
御料車の歴史は、近代日本の幕開けと同時期にはじまります。しかし、単に皇族用の豪華車両というものではなかったようです。高い技術の装飾や工芸を車内にほどこすことは、御料車に関わる人たちにたちにたくさんの誇りや自信ををもたらすことで、日本の美の追求に一役かっていたと思います。
御料車は、常設展示として1階の片隅に大事に展示されています。しかし、車両の内部に入ることはできません。そこで、今回の展覧会で、車両の内部の装飾や工芸品に着目して、その歴史を踏まえ3期に分けて紹介するとのことでした。
車内の再現模型なども実物大で造られていて、なかなか凝った感じがしました。派手さはないのですが、落ち着いた感じの織物や刺繍は緻密で精巧に出来ています。工芸品にも同じような落ち着きのあるものを揃え、快適な旅を演出したのだと思います。
いつもの展覧会とは雰囲気が違うので、特出する作品はないのですが、岡田三郎助(1869-1939)の『野菊と薔薇』という作品が、絵画として一点だけありました。白い野菊が清楚で、画面も静かな良い作品でした。
もちろん、常設の御料車も見てきました。初代のものはコンパクトでちょっと可愛い感じのする車両です。赤をベースに高貴な感じがします。明治天皇が使用したもので、初代1号が1876年、初代2号が1891年に製造されたそうです。
茶色の車両が4両ありました。大正天皇と昭和天皇が使用したものとのことです。大きさはいまの列車と変わらないと思いますが、内部の造りが特別です。細部の作りが丁寧なので、やっぱり近くから見たいと思いました(参加出来ませんでしたが、日に何回かガイド付きの見学ツアーがあるようです)。
※鉄道博物館(2010年10月9日~2011年1月16日)