Asagi's Art News





雪 ~ 伊藤純男展2006年01月03日 21時18分34秒

年明けすぐにも係わらず絵画が見ることが出来るのは、百貨店の強みなのでしょう。日本橋・三越もそんな百貨店の1つで、たいへん素晴らしい試みだと感じています。

静寂の夜をイメージする群青の青、輝く光を描いていく胡粉の白を自在に操る画家と感じました。日本の名所・旧跡の風景から大陸(中国)へと作品をスケールアップしていくさまは、ある意味日本画家の典型という感じがします。

伊藤純男は、1930年に千葉の真言宗のお寺に生まれて山本丘人に絵の手ほどきを受けたそうです。1952年の院展で「風景」が入選してから注目を集め、やがて東京芸術大の教授や日本美術院理事の要職に付くなど活躍されているようです。

富士
後藤純男「富士、1995」

仏教がバックボーンにあることからでしょうか、その作品も神聖な感じが漂います。特に山の絵は、その迫力もさることながら存在感が圧倒的です。富士山はもとより桜島などとてもスケールの大い男性的な作品です。しかし、胡粉の白で覆われた山肌の白さは、女性的にも見えるところが彼の作品の不思議なところと言えるでしょう。

胡粉を使った白の濃淡で描かれる雪景色は、季節柄も考慮すると良い雰囲気を伝えていると思います。今年も各地で雪の被害が出ていていますが、ここ東京ではまだ本格的に雪は降っていませんから、申し訳ないのですが素敵な雪景色を満喫とさせてもらいました。

新雪嵐山
後藤純男「新雪嵐山、1985」

ただ、残念なのは百貨店の設備ということで仕方ないのでしょうが、蛍光灯の照明とガラスの反射は気になります。良い作品を集めてこられるのだから展示についても頑張ってもらえるとより嬉しいと思いました。

刻み込まれた切なさ ~ ホルスト・ヤンセン展2006年01月05日 21時31分29秒

ホルスト・ヤンセンの版画を見たのは、昨年のことでした。鮮烈でエロティックな描写に印象を受けたことを覚えています。彼の回顧展が八王子で開かれていると聞いて早速出かけてみることにしました。

ホルスト・ヤンセン展

彼は第二次大戦前(1929)のドイツ・ハンブルグに生まれます。ハンブルク美術学校に入学して、師でもあるアルフレート・マーラウに「デューラ以来の素描家」と言わせるほどの技術を持っていました。また、1学年上に幻想的絵画のパウル・ヴンダーリヒから銅版画を学んでおり、素描と銅版画の作品を数多く残しています。

赤い瓶の中
ホルスト・ヤンセン「赤い瓶の中、1972」

彼の父親は判らず母親も14才の時に他界し、戦争へと時代が進んで行きます。それを反映しているかのように彼の素行は乱れて暴力事件などを起こし学校を追われることになります。そして、彼の中にグロテクスクと美という観念が形成されていくのでした。

展覧会では、彼の素描、銅版画を中心に初期の木版画、北斎を神格化して追い求めていった晩年の水彩画とバラエティ豊かに展示されています。最後に参考として、復刻版(アダチ版)の北斎の版画も展示されており良く考えられていると思います。

ヤンセンは、1968年にヴェネチア・ビエンナーレの版画大賞を受賞して国際的に認められます。しかし、彼はそれを快くは思っておらず、むしろ嫌悪感を持っていたそうです。それを誇示するかのように彼はその生涯を故郷のハンブルクで過ごしています。

彼は多くの自画像を残しているのですが、さまざまな構図、色彩を使っていました。レンブラントを意識した作品もありましたが、何処となく自分をあざけ笑うかのような、自問自答をしているような表情が印象的でした。

作品に問いかけをすると「おまえに俺の作品が判るはずがない・・。そうか・・まあ、ゆっくり見ていってくれ。」そんな言葉が聞こえてくるような気がして、彼の怒りや寂しさ、そして優しさが伝わってくるように思えました。

エロティックな作品や性をテーマにするものは、70年を過ぎた頃から増えてきます。細身の女性が怪しげにそして死神を明示させるような人物と絡み合い、落ちるところまで落ちるような人の運命を描いています。銅版画の冷たい線が、その黒と合間って凄みが伝わってきます。

蜜やか
ホルスト・ヤンセン「蜜やか、1975」

ヤンセンは、北斎をこよなく愛したそうです。版画という共通点を持つということに留まらず、北斎の人生にも深く共感していたようです。たからか自らを「画狂人」と称していたようです。彼は、日本についてどんなイメージを思っていたのでしょうか?

ドイツは日本と同様に敗戦国で戦後に国家分断、ベルリンの壁、東西冷戦と近代史の影の部分が色濃く残っていました。その中でヤンセンは、「画狂人」として生き、人々をどのように思い、何を感じていたのかとても気になってしまいます。

※八王子市夢美術館

ヴェラシーラ ~ 雲の向こう、約束の場所2006年01月06日 22時27分20秒

冬期休暇に映画でも見ようといくつかDVDを買いました。その中にアニメーションの作品を1つ選んでみました。もともとアニメーションは好きなのですが、数多く作られる作品の中でも見たいと思うようなものは、その年に1本あるかないかです。

新海誠は、1人でアニメーションを作ったことで良く知られています。すごいことだと思います。しかしながら、その作品(ほしのこえ)を見たことがあるのですが、とても良いテーマを持っているにもかかわらずロボットなどが出てくるところがいまひとつ受け入れられなかったことを覚えています。

一昨年、劇場公開されたこの「雲の向こう、約束の場所」ですが、とりあえずロボットは出てこないということなので見てみました。前作でも感じていましたが、新海誠は村上チルドレンですね。作品の中にも村上春樹の小説が出てくるほどですから筋金入りと思います。もちろん、あさぎも村上春樹は好きですからこういう表現もあるのかといった感じです。

雲の向こう、約束の場所
新海誠「雲の向こう、約束の場所、2004」

ストーリーは、南北分断された架空の戦後の日本、ユニオン占領下の北海道との国境がある青森で主人公のヒロキと親友タクヤそれと憧れのサユリとが織り成す心模様を描いています。ヒロキとタクヤは、中学生の時に『ヴェラシーラ(美しい空)』という飛行機を作り、北海道に聳え立つ『塔』まで飛ぶことを計画しました。

その計画を聞いたサユリは、自分もその『塔』まで連れて行くようにヒロキとタクヤに約束を交わします。そして、時は経ち彼らにとっての約束の場所は、それぞれの立場で向かい合うことになります。ヒロキは逃げるように東京の高校へ、タクヤは『塔』の秘密に迫るため研究所へ、サユリは病院で原因不明の眠りの中に・・。『塔』の秘密が明らかになるにつれ、それぞれの運命が再び交差しはじめます。

軍事的な緊張とSF的な展開が心の描写に微妙に絡んでいて面白いです。キャラクターは、時代遅れの同人誌的な顔立ちですが、それが逆にノスタルジーを感じさせるようです。さすがにCGなどが良く出来ており、とても綺麗に仕上がっています。音楽や音の付けかたも凝っていて良いです。

世代が多少違うのでそのままでの感情移入はできなところがありますが、難しい背景を除けば主人公が親友と憧れの女性との三角関係に微妙な心模様を素直に見せるそんな作品ではないでしょうか。取り立てて人に勧めようと思う作品ではないようですが、こんな話しも良いかなと思う作品でした。

※雲の向こう、約束の場所

花のある生活 ~ わたせせいぞうの世界展2006年01月15日 23時06分50秒

漫画雑誌には不釣合いなカラフルでいてさわやかな絵が印象に残っている「ハートカクテル」からもう20年近くが過ぎるとのことです。そして、2年振りの個展ということで東京駅・大丸まで出かけきました。

デパートに併設するアートスペースらしく会場の入り口には、お祝いに生花がたくさんありました。たくさんのお花に囲まれて、とても華やかでいい雰囲気でした。さすがに人気のイラストレータです。

わたせせいぞうの世界展


今回の個展では、新作「Heart Cocktail eleven」を中心に雑誌の表紙やポスターの原画、樹皮粘土花作家とステンドグラスアーティストとのコラボレーションなどなかなか面白い企画を組んでいました。

わたせせいぞうは、自身の作品にはストーリーが存在すると言い描かれる人物、物、風景にちょっとした意味を持たせているそうです。そして、描かれる街はパリを意識しているそうです。パリにある坂がどうやらお気に入りのようです。

巴里の街~めぐり逢う花
わたせせいぞう「巴里の街~めぐり逢う花、2005」

作品は水性マーカーや色鉛筆、パステルなどでデッサンから下塗りを作り、さらに背景などはアニメーションのように印刷で使う色を細かく指定して作成されるそうです。グラデーションの目立たないはっきりとした色彩がさわやかな感じを与えてくれます。

昔の「ハートカクテル」の原画の展示もありました。当時はあまり関心が無かったのですが、この頃、個人的に心境の変化もあったこともあり、こんな男女の関係もあるんだと思いました。少し恋愛が判ってきたのかもしれません。

ともかく絵の中にお花がいっぱいで、元気になります。樹皮粘土花作家の川口紀子とのコラボレーションでは、粘土で作った花が絵の中から飛び出すような感じの作品で新鮮です。花の種類がこんなにあるのかとも思わせる数と本物以上の花に驚きを覚えました。

ノアール ~ 長谷川潔展2006年01月22日 14時21分01秒

横浜からフランスに渡った銅版画家・長谷川潔、マニエール・ノアールを復活させフランスの文化勲章も受賞している人ですが、日本での評価はその当時はいまひとつだったようです。

長谷川潔

几帳面な性格が作品からにじみ出ているようです。彼の作品は、静物を描いたものが多いのですが、特に植物に対しては正確な写実さが見てとれます。モノクロの銅版画は、独特の精神世界を表現していてすんなりと理解することはできません。

目に見えるもの世界の先に目に見えない世界を見ると哲学的な思想をもっていて、漆黒の世界に配置された植物、鳥、道具、おもちゃとそれぞれに何かを暗示させています。

作品は、フランスで復活をさせたマニエール・ノアールの銅版画を中心に渡仏前の木版画、水彩、油彩、デッサンや雑誌の表紙の原画などをおりまぜたもので単調にならないように工夫されています。

仮装したる狐
長谷川潔「仮装したる狐(フィンランド童話)、1965」

マニエール・ノアールは、別名メゾチントといって北村薫の小説『ターン』の中に出てくる主人公の版画家がメゾチントを使っていることで、だいぶ前から気になっていました。『ターン』は、主人公が交通事故にあい気がつくと、たった一人で同じ時間、同じ世界を何度も繰り返しそこから生還しようと試行錯誤して行くストーリーです。

同じ時間を繰り返すこと、永遠と言うのでしょうか? マニエール・ノアールことメゾチントからは、そんな雰囲気もあるような気がします。小説と版画の共通点は技法だけですが、不思議に他の共通点を探っている自分に気がつきました。折りしも外は雪が降っていて、雪によって音が消されていくような感じと黒の静寂感が美術館を包んでいるようでした。

※横浜美術館