Asagi's Art News





銀座で ~ アール・ヌーヴォーのポスター芸術展2010年09月02日 00時14分23秒

19世紀のパリはいったいどんな感じだったのでしょうか…華やかなポスターに彩られ、新しい時代のモードや情報にあふれていたのかもしれません。ロートレックやミュシャをはじめ、さまざまな作家が競い合う豊かな生活がそこにあったと思います。

アール・ヌーヴォーのポスター芸術展

銀座でこのような展覧会を開くのも、なかなか意味深いような気がします。ヨーロッパから遠く離れた東洋の街ですが、パリなどにも負けない華やかさがあります。同じように最新のモードが集まり常に賑わいをみせるのが銀座なのです。

さて、展覧会のポスターですが、ウィーン分離派の展覧会案内からはじまり、さまざまな生活雑貨、演劇、旅行の案内などいまとそれほど変わらない内容のものです。大量消費時代のはじまりは、経済を活性化させ、人、もの、金を都市に集中させるのです。

そして、印刷技術の発展も重要なポイントとなります。原画を忠実に再現して、しかも大量に複製することができたのです。個人的な感想ですが、保存状態の良いポスターは原画にも劣らないばかりか、独特の風合いを持つことで、むしろポスターになった方がより味わいが出るようにさえ思いました。

※松屋銀座(2010年8月25日~2010年9月6日)

美の不変性 ~ ハンス・コパー展-20世紀陶芸の革新2010年09月04日 00時37分23秒

陶芸(焼きもの)の作品に対しては少し苦手感があって、あまり見に行く機会がありません。整然と置かれた作品を見つめるだけでは、どうも上手く感じが読み取れないことが原因なのだと思います。確かに、陶芸は遠くから眺めても美しいと思いますが、本来は手に持って触って楽しむものだと思っています。

だから、大事に飾られガラスケースに収まった作品を見るのには多少違和感を感じるのです。しかし、ハンス・コパー(1920-1981)の作品は、見るだけでも何か伝わってくるような感じがしました。既に会期が迫ってきていて、駆け込みで出かけることが出来ました。

ハンス・コパー展

本当は早い時期から展覧会を気にしていたのですが、陶芸ということで引いていたのだと思います。たまたま日曜美術館でハンス・コパーの特集を見たことが、会いに行くきっかけになりました。あり得ないような形の器は、とてもインパクトがありました。そして、彼の人生もまた数奇であり魅力があるのです。

パナソニック電工汐留ミュージアムと企業名が変わったことで、名前も変わってしまった美術館には、やはり日曜美術館を見たと思われる人たちが集まっていました。いつも静かな美術館ですが、テレビの影響はすごいものだと思います。

日曜美術館を見ただけの知識ですが、ハンスはドイツに生まれ、ちょうど第二次大戦と歩調を合わせるかのように成長しました。そして、社会の旅立つ直前に父親の自殺、家族の離散、祖国からの逃避行とめまぐるしい人生の波にのまれます。イギリスに渡った後も敵国人として扱いを受け、収容所にも送られひどく心に傷を作ることになります。

これも必然だったのだと思いますが、戦争も終わり仕事を求めた彼は、陶芸家のルーシー・リー(1902-1995)と出会うのです。繊細で器用な彼はルーシーから陶芸を習いはじめるのですが、とても飲み込みが早く才能もありました。いつの間にかルーシーの良きパートナーに成長して、ルーシーのバックアップもあって独自の作品も手がけるようになりました。

展覧会は、彼が作品を発表しはじめた頃のものから、独立して20世紀陶芸の代表作を送り出す晩年までをゆっくりと展開させています。ルーシーのボタンやティーセットなどルーシーの世界を忠実に再現しています。また、ハンスが独自に作りはじめる同じ形を合わせる技術を使ったシンメトリーな作品は、時が経つと共に進化していきます。

陶芸が戦争で受けた傷を徐々に癒していったのだと思います。そして、作品の中にかつて失ってしまったものを刻みこんでいるように思います。シンメトリーの調和と人を思わせるようなスタイル、釉薬(ゆうやく)や焼き方の研究など精神と技術が融合して行くようです。

やがて、作品は古代のキクラデス彫刻を影響を受けはじめます。最新の陶芸は、少しずつ古代に近づいていく、とても不思議な感じがします。美の不変性を作品として表し証明しているのかもしれません。それは、人生とは何なのか? 人の出会いとは何なのか? と言う哲学的な問いかけを自分自身に課していて、まじめにコツコツとその答えを探っているかのようです。

※パナソニック電工汐留ミュージアム(2010年6月26日~2010年9月5日)

プリミティブの中にある ~ ヘンリー・ムア 生命のかたち2010年09月06日 23時11分31秒

ヘンリー・ムア(1898-1986)は、20世紀を代表するイギリスの前衛的な彫刻家です。人体をデフォルメした彫刻は、シュルレアリスムの絵画に出てきそう感じがします。以前にも作品は見たことはありましたが、どんな人物であるかまではよく知りませんでした…なので、彼の簡単な経歴から調べてみました。

ヘンリー・ムア

彼は小さい頃から粘土などで造形を作るのが好きだったようです。それで彫刻家を目指すようになったのですが、18歳のときに第一次大戦のため徴兵されてしまいます。戦争で負傷をしますが、大きな傷とはならず退役をむかえました。

ロンドンの王立芸術大学(Royal Collage of Art:RCA)で彫刻を学びますが、古典的な表現に疑問をもち自らプリミティブな表現を研究するようになったようです。10年近くRCAで過ごした後に結婚をして、ハムステッドに移り前衛的な芸術家のグループを作り作品を発表していくことになります。

数年後、第二次大戦がはじまり、今度は戦争画家として従軍することになりました。ハムステッドは空襲を受け崩壊、マッチ・ハダムという小さな村に移住して終戦をむかえます。この時期に待望の娘を授かり、母と子をテーマにした作品を作りはじめます。そして、1948年にヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際彫刻賞してから、その知名度が世界に広がっていきます。

さて、展覧会の内容ですが、戦後の彫刻6点の他にパステルや水彩、リトグラフなど40点で構成されています。小規模ながら代表的な彫刻『母と子(ルーベンス風)』や『横たわる人体』に加え、ストーンヘンジを描いたリトグラフとめずらしい作品も展示されています。

ヘンリー・ムア

彫刻は単純な形であるが故に、考え抜かれた安定の形、人への想いを 感じることができます。例えば、『母と子』であれば、母と子が向き合い互いに心を寄せ合う姿が自然であり、微笑ましく見ることができます。単純化された形がシンプルでダイレクトに表現したいものを伝えていると思います。

彼が生涯に渡ってテーマにしたことは、人体であったそうです。そして、それはプリミティブの中にあると考えていたようです。太古の昔に秘めた力強さや単純で素直なところに人体の本質があるのだと思います。そこから沸き上がるエネルギーがこそが、彼が作品にしたかったものだったのだと思います。

※ブリヂストン美術館(2010年7月31日~2010年10月17日)

自分とは何なのだろう ~ "これも自分と認めざるをえない"展2010年09月09日 22時17分45秒

ウィキペディアによると、佐藤雅彦(1954-)は、メディアクリエーターという肩書きを持っていて、電通時代にたくさんのCMを作成しているそうです。例えば、湖池屋の「ポリンキー」、「ドンタコス」、NECの「バザールでござーる」など、イメージキャラクターの個性とほのぼのとした雰囲気が人気を得ていたように思います。

これも自分と認めざるをえない展

理工系の出身の彼がデレクションをすることから、最先端の技術を作品の中に取り入れているようで、展覧会の仕掛けをよりもりあげています。これは、展覧会のキーワードである「属性」を体験して考えるためにとても有効に作用しているようでした。

個人を認識するためにいろいろと情報をシステムに与える必要があります。例えば、性別、年齢、身長、体重など。そして、これら情報はシステムの中で「属性」を与えられ、さまざまに変換され利用されます。しかし、情報は、いつの間にか個人から離れて行き、一人歩きをすると言うのが彼の主張です。

展覧会では、ある程度の個人情報を最初に開示します。しかし、彼が主張するように作品の中では、その情報が勝手に一人歩きをしていきます。個人から情報が与えられた瞬間に、その情報は個人から独立するような感じを体験として実感できます。

『指紋の池』という作品は、最初に作品に指の指紋を与えます。すると指紋が小魚のように池の中に放流されるさまを見ることができます。指紋は泳ぎだして、池の中の既に放流されたたくさんの指紋の中に混ざっていきます。

しばらくすると、どれが自分の指紋なのか判らなくなります。個人から「属性」が切り離される体験ができるのですが、なんとなく寂しい感じがします。試すことは出来ませんでしたが、再び指紋を認識させると、自分の指紋がたくさんの指紋の中から戻ってくるそうです。

この他にもいろいろと個性的な作品があるのですが、彼の術中にはまってしまうようです。さまざまな疑問がいろいろと湧いてくるようになっていて、最終的には社会の中で自分とは何なのだろうという具合に展開されるようです。これも自分と認めざるをえない…その通りだと思います。

※21_21 DESIGN SIGHT(2010年7月16日~2010年11月3日)

フリー・フォール ~ こんな人、あんな人 - 欧米版画に見る人物表現展2010年09月14日 23時56分01秒

人を描くことに注目をして企画した展覧会ということでした。また、サブタイトルにレンブラントからキキ・スミスまでとあるように幅広い年代から版画を集めていることから、時代による比較や移り変わりを見ることが出来るような展覧会になっています。なお、比較的に現代よりの作品が多い構成になっていました。

こんな人、あんな人

展示は、「さまざまな人物」「自分を描く」「変な人たち」「おもしろい”からだ”」の4部構成です。前半の「さまざまな人物」「自分を描く」には、肖像画と自画像の要素を盛り込んでいて、古い作品ほど職人的な細密さを見ることができます。後半の「変な人たち」「おもしろい”からだ”」は表現方法の広がりを見せるようしていて、かなり抽象的な作品も含まれています。

また、版画の技術的な移り変わりも同時に見て取れるところが、この展覧会の隠されたポイントでもあるように思います。銅版画からリトグラフへの変化、現代作家の表現に拘った技法の選択などは、なかなかおもしろいと思います。版画の役割などと同時に考えるとよりおもしろかったりして勉強になります。

キキ・スミス
キキ・スミス「フリー・フォール、1994」

個性的な作品の中でちょっと気になったのは、アメリカで活躍しているドイツ出身のキキ・スミス(1954-)の『フリー・フォール』です。彼女自身はフェミニストのようですが、女性問題にとどまらず人種差別やエイズなどの社会問題に対しても作品に反映しているようです。

この『フリー・フォール』は、構図的にクリムトの『ダナエ』に似ている感じを受けました。このときは、彼女の経歴などは知りませんでしたし、官能的なことをテーマにする作家であるとの印象でした。もちろん、名前から女性であることが判りました。そして、直感的に自画像であると思いました。どこまでも落ちていく自分自身と向き合う、とてもメッセージ性の強い作品なのでしょう。

小冊子のように小さく折りたたまれている作品のようで、左上のところにその表紙となるものがあります。この普段は、見せないでしまっているという行為が、コンセプチュアルアートに近いような感じを受けました。

この作品の本来の意味は判りませんが、感じたところがだいたいの正解ではないかと思っています。もちろん、彼女の別の作品も気になるところです。かなり過激なところもあるようですが、今後の注目すべき作家の1人にしたいと思います。

※町田市国際版画美術館(2010年7月16日~2010年11月3日)