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野心は愛に変わることはなく ~ マン・レイ展2010年07月22日 23時08分25秒

『黒と白』という作品については、テレビの「美の巨人たち」の中で扱われ、本物と対面する前にちょっとした秘密を知りました。この作品は、モンパルナスのキキとの別れの一枚だったようで、中央のお面とキキの横顔、お面の黒と肌の白、そして、残された男と去りゆく女の関係が対峙しているとのことです。

マン・レイ

そもそも、アメリカで生まれたマン・レイ(1890~1976)は、本当は画家になりたかったようです。しかし、アメリカでの画家としての評価が良くない上に、自分の作品の記録用にはじめた写真の技術の方が認められ困惑したようです。思い通りにならない歯痒さを振り切るために、彼はパリに旅立ちます。

今回の展示にも画家としてスタートした頃の作品がありました。たしかにインパクトに欠ける作品であり、彼のモヤモヤした心が見え隠れするのを感じました。ダダイズム的な作品なのですが、色彩がおとなしいため、最先端であるにもかかわらず古い印象となるのだと思います。

当時の写真は、芸術ではなく記録でした。マン・レイ自身もそのつもりだったと思います。しかし、一枚一枚撮り続けるうちに、大きな可能性を見つけ出したのだと思います。そして、彼の内なるモヤモヤが写真を記録から芸術に変化させたのです。

写真が芸術となり彼も変化しました。そして、パリでキキと出会うのです。「美の巨人たち」によるとマン・レイは、キキに「君をフジタの絵よりも美しく撮ることができる」と口説いたそうです。写真の可能性と自身の誇りを取り戻すための虚勢だったのかもしれません。

マン・レイ
マン・レイ「黒と白、1926」

しかし、蜜月の時間は短かったようです。野心は愛に変わることはなく、お互いの溝が広がっていったようです。そして、別れぎわ『黒と白』が生まれたと言われています。キキから微笑みが消え、時の流れの中に身をゆだねているように思います。

激しい感情をぶつけ合ったが、結局残ったものは虚しい心の隙間というダダイズム的な思想が伝わってきます。マン・レイの苦手な色彩を排除したモノクロの世界がより効果的に観るものを引きつけるように思います。

その後も精力的に写真を撮り続けていきますが、画家でありたいと思う葛藤が写真を離れた作品(オブジェやデザインなど)にあらわれます。晩年にはカラー写真にも挑戦して作品を残していますが、かつての輝きをトレースするような雰囲気があり、別の意味の虚しさが漂うっているようです。

※国立新美術館(2010年7月14日~2010年9月13日)

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