Asagi's Art News





間 ~ 梅佳代写真展「ウメップ」2010年08月08日 23時55分14秒

女子カメラという言葉が定着して来ています。その中心的な存在が梅佳代(1981-)だったと思います。日常の一場面を切り取った写真は、見るものに笑顔を与えて愛されています。人たちの心を穏やかなさまと気取らない表情が引き出されているように思います。

ウメップ

表参道ヒルズという場所で展覧会を開くのもなかなかお洒落です。原宿からやってくるお洒落な女の子たちを意識しているのかもしれません。もちろん、原宿の彼女たちとは少し違った感覚だと思うのですが、言葉には出来ない何か共通するところがあるようにも思います。

展覧会は、過去の作品から現在進行中の作品まで約1,700点もの大量展示です。パネルサイズの作品もあれば、普通のL版サイズの作品もあります。作品毎のつながりは曖昧なのですが、リズム感のある見て楽しい展示となっていました。

どの作品も不意を突かれたような一場面が展開して、人を、街を常に見つめている彼女の姿勢が伝わってきます。どこかのインタビューで、けしておもしろい場面を狙っているのではないとの話を聞いたことがあります。説明は出来ませんが、確かにそんな感じがします。

初日だったこともあり、たまたまですがスタッフをともなった彼女が、会場に姿を見せた場面に居合わせました。なかなかきれいな背の高い女性でした。やはりカメラを片時も離さず見に付けていたのが印象的でした。

時より展覧会に来た人たちを見つめ、シャッターチャンスを伺っているようにも見えました。しかし、時々聞こえる独特の間を持った彼女の話し声から思ったのですが、この彼女独特の間が被写体になる人の緊張を解き放し、彼女に引き込ませる魔法のひとつのように思えました。とても魅力のある人です。今後の作品が楽しみになりました。

※表参道ヒルズ(2010年8月7日~2010年8月22日)

演出写真 ~ 浜口陽三・植田正治二人展-夢の向こうがわ2010年07月31日 00時05分21秒

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションは、はじめて訪れる美術館でした。地下鉄水天宮前からすぐの首都高を見上げるところにひっそりと建っています。入口がカフェなので、美術館というよりも喫茶店のような感じのする美術館です。

ミュゼ浜口陽三

版画家の浜口陽三(1909~2000)の作品を展示するために造られた美術館で、彼の作品は常設的に展示され、他には妻であり版画家の南桂子(1911~2004)の作品なども所蔵しているとのことです。ちなみに、ヤマサとはヤマサ醤油のことで、浜口がヤマサ醤油の創業家出身であることからスポンサーになっているようです。

今回の展覧会は、浜口と写真家の植田正治(1913~2000)の二人展になっています。展示室は1階と地下にあり、1階に浜口の作品、地下に植田の作品をセパレートで展示するようにしていました。版画と写真で異なる媒体であるため別々の展示としたのかもしれません。

浜口の作品は夏場を意識した果物が印象的で、彼独自のカラーメゾチントによる黒と色の調和が心地良く感じられます。『さくらんぼ』が代表作であるように思われますが、この『西瓜』などは、暑かったこともあってとても美味しそうです。

浜口陽三
浜口陽三「西瓜、1981」

浜口の作品は以前から知っていたのですが、植田の作品は今回が初めてです。展覧会に出かけるきっかけも植田のちょっとシュルレアリズムぽい感じの写真が気になったからでした。戦後から高度成長期にかけて撮られた作品とは思えないほど、生々しい感じのする写真です。

植田は鳥取に生まれたこともあり、鳥取砂丘で撮影された作品もあります。作品の評価は世界的にも高く「演出写真」などと呼ばれています。特にヨーロッパでは、彼の作品をそのままUeda-cho(植田調)と紹介されることがあるそうです。

人物は何か意図的なポーズや表情をさせているような感じがあり、風景ははじめから狙った構図があるような感じがしてくるのが不思議です。コントラストがはっきりしていることで、影はより黒く、光はより白くなることで絵画のような減り張りを作ることが出来るのかもしれません。

砂丘を背景にした『妻のいる砂丘風景』などは、どこかで見たような…キリコ? ダリ? そんな世界観を感じることができます。もちろん、植田も同時代の彼らを意識しているとは思いますが、これは本当の世界をカメラを使って撮った現実の世界です。

植田正治
植田正治「妻のいる砂丘風景(Ⅲ)、1950」

写真の持つすごさを感じることが出来ます。しかも、作品は半世紀も前に撮られた写真なのですから驚きと言えます。比較はしませんが、浜口とは黒の持つ静寂さで一致しています。版画と写真の組み合わせは意外とおもしろく、興味深い二人展に仕上がっているようです。

※ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(2010年7月3日~2010年9月26日)

野心は愛に変わることはなく ~ マン・レイ展2010年07月22日 23時08分25秒

『黒と白』という作品については、テレビの「美の巨人たち」の中で扱われ、本物と対面する前にちょっとした秘密を知りました。この作品は、モンパルナスのキキとの別れの一枚だったようで、中央のお面とキキの横顔、お面の黒と肌の白、そして、残された男と去りゆく女の関係が対峙しているとのことです。

マン・レイ

そもそも、アメリカで生まれたマン・レイ(1890~1976)は、本当は画家になりたかったようです。しかし、アメリカでの画家としての評価が良くない上に、自分の作品の記録用にはじめた写真の技術の方が認められ困惑したようです。思い通りにならない歯痒さを振り切るために、彼はパリに旅立ちます。

今回の展示にも画家としてスタートした頃の作品がありました。たしかにインパクトに欠ける作品であり、彼のモヤモヤした心が見え隠れするのを感じました。ダダイズム的な作品なのですが、色彩がおとなしいため、最先端であるにもかかわらず古い印象となるのだと思います。

当時の写真は、芸術ではなく記録でした。マン・レイ自身もそのつもりだったと思います。しかし、一枚一枚撮り続けるうちに、大きな可能性を見つけ出したのだと思います。そして、彼の内なるモヤモヤが写真を記録から芸術に変化させたのです。

写真が芸術となり彼も変化しました。そして、パリでキキと出会うのです。「美の巨人たち」によるとマン・レイは、キキに「君をフジタの絵よりも美しく撮ることができる」と口説いたそうです。写真の可能性と自身の誇りを取り戻すための虚勢だったのかもしれません。

マン・レイ
マン・レイ「黒と白、1926」

しかし、蜜月の時間は短かったようです。野心は愛に変わることはなく、お互いの溝が広がっていったようです。そして、別れぎわ『黒と白』が生まれたと言われています。キキから微笑みが消え、時の流れの中に身をゆだねているように思います。

激しい感情をぶつけ合ったが、結局残ったものは虚しい心の隙間というダダイズム的な思想が伝わってきます。マン・レイの苦手な色彩を排除したモノクロの世界がより効果的に観るものを引きつけるように思います。

その後も精力的に写真を撮り続けていきますが、画家でありたいと思う葛藤が写真を離れた作品(オブジェやデザインなど)にあらわれます。晩年にはカラー写真にも挑戦して作品を残していますが、かつての輝きをトレースするような雰囲気があり、別の意味の虚しさが漂うっているようです。

※国立新美術館(2010年7月14日~2010年9月13日)

愛情 ~ 荒木経惟 センチメンタルな旅 春の旅2010年07月12日 21時24分45秒

芸術家にとって、作品を残すことが愛なのかもしれません。荒木経惟を支えてきた猫のチロも年老い死の時を迎えつつありました。その過程を見守るように撮影を続け『センチメンタルな旅 春の旅』を作りあげました。

荒木経惟

猫のチロは、妻・陽子から贈られた…彼女の分身だったのかもしれません。いつもの明るくシュールなアラーキーの作品とは違い、自分自身と向き合うことで現実を認識してるようでした。

愛するものとは、いずれは別れなければなりません。そして、その愛情が深ければ深いほど、別れは辛いものになります。現実を受け入れるため何ができるか? 彼にとっては写真しかなっかたのだと思います。写真を通してチロの死を受け入れようしたのだと思いました。

芸術家であることと残されていく家族であることが、複雑に絡み合っているように思います。でも、彼の愛情が伝わってきて、どれも良い作品であると思います。それて、ここから新しい荒木経惟がはじまるのだと思います。

※Rat Hole Gallery(2010年6月11日~2010年7月18日)

なりきり ~ 森村泰昌 なにものかへのレクイエム2010年05月04日 23時19分25秒

コスプレという言葉は、すっかりと定着しているようです。行為としては誰かのまねをすることですが、その誰かになりきることの方がより重要になっているようです。ある意味、パフォーマンスを通しての自己表現と言っても良いように思います。ただ、森村泰昌はちょっと違いますが…

森村泰昌

テレビの日曜美術館で森村泰昌の特集がありました。ピカソになりきるにあたって、目の表現に注目して何度も写真を撮り直し試行錯誤を繰り返していたのが印象的でした。納得が出来ずに本物のピカソの写真から目を切り抜きそれをまぶたに貼ったりもしていました。

その姿を見て、なりきりという行為から受ける印象とは少し違って、アートとしてまじめに考えいることにあらためて気づきました。だから、アートとて作品が存在するのだと思います。何かいろいろな仕掛けをたくらんでいるようにも思えるところがおもしろいです。

森村泰昌
森村泰昌「創造の劇場/パブロ・ピカソとしての私、2010」

また、現代史における出来事が、作品の背景にあることも興味深いことのひとつだと思います。もちろん、森村泰昌自信の歴史と重ね合わせている部分があるのだとは思いますが、歴史の意味を考えるきっかけを与えてくれます。そして、この先の未来へ、どう向き合っていくかを考えさせられた展覧会でした。

※東京都写真美術館(2010年3月11日~2010年5月9日)